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このブログを読んでいただく前に、まず先に謝罪をさせていただきたいことがあります。
ボケ症状があるので、思っていることが上手く言葉にならずニュアンスが崩れてしまいます。ですから、そのことも含めて色々と 【謝罪文】 のなかで謝罪させていただきました。申し訳ありませんが、 【謝罪文】 を読んでいただけると助かります。
そして、皆様に謝罪文を読ませるお手数をおかけして申し訳なく、ここで重ねて二重にお詫びお申し上げます。申し訳ありませんでした。

2017/08/08

誰かの言葉で抱いてしまった誰かへのイメージはたいがい幻

日常生活の中で、言葉を通して勘違いが引き起こって、私自身が誤解を受けた実例を何点か挙げさせていただいておりますが、 この記事で話題に挙げる実例は、全て例え話にしか過ぎませんので、この記事のなかにある一つ一つの話のエピソードに必要以上に拘ないでくださいね……。
つまり、この記事で例に挙げたことから、それぞれの人が応用して考えてもらい、日常生活の中で人から聞いた様々な言葉に対して、自分が解釈したことが、事実、解釈した通りの意味なのか、それを疑い、真実を確かめるために最終確認を取るか、断定的な結論を出さずにとどめておく等、様々な対処を取り、個人のイメージや思い込みのまま暴走しないほうが良いと言っているだけなのです。
あくまで、例え話にしか過ぎませんから、内容そのものに関しては、あまり強く意識をしないでいていただけると助かるんです……(⌒-⌒)

1. 『知らない』 という言葉 人それぞれの解釈の違い

私は、ある時、ある分野のことについて『私は、その分野について、よく知らないんです。詳しくないんです。』 と発言した。
そうしたところ、ある方から、『あなたが、その分野について知らないなんておかしい。自分はよく知っている。』 と怒られてしまい、その方から様々な講義を受ける結果になった。
ただ、その方の知識が古かったり、グループごと主張が違うことで様々な説があることを、その方自身が分かっておらず、一つの説を頑なに信じておられたので、結果的に沢山の突っ込みを入れざるを得なくなり、あまり突っ込みを入れすぎると恥をかかせることになるので、私自身、どうしたものかと悩み、かなり冷や汗ものになったことがある。

その方が、『よく知っている。』 と言いながらも、結局よく分かっていなかったことを馬鹿にしているのではない。
相手がどの程度知らないのか、その度合いを確かめるということをせずに、人に説教をするという余計な真似さえしなければ、大して分かっていなくても、『自分はよく知っている。』 と思い込んでいてくれて全く構わないのだ……。好きなように思っていてくれて構わない。
私にとって、そんなことは、さして重要な問題ではないのだが……。

何が問題なのかと言えば、何をもってして、『自分は知っている。自分は詳しい。』 と判断するのか、その判断基準・ボーダーラインは人それぞれ異なるので、人の言葉を聞いた時に自分の基準に照らし合わせて相手の状態を判断するのは止めたほうが良いのではないかと思っている。それをすれば、はっきり言って、すれ違いは避けられない。
私自身、謙遜で『知らない。』 と言ったのではなく、ある意味、本当に自分はよく分かっていないと、そう思っていたからこそ、あの言葉は、私自身にとって本音であることに変わりはなかったのだ。私は、『できる。』 とか 『知っている。』 とか、そういう単語をあまり使用しない。((※)下の小さい文字はマウスオーバーさせれば大きくなります。)

(※):(『できる。』 とか 『知っている。』 とか、そういった言葉を、前後の話の流れの関係性から便宜上使用しなければならないといった状況を除けば、私自身、そういった言葉をあまり使用しない。つまり、使用しなければならない状況であれば、使用するということだ。)
(今回、この記事のなかに、小タイトル 【2. 『料理が嫌い』 という言葉 …………】 というものがあるが、その中の本文のなかで、『(料理に関して)……できた。』 という表現を複数回使用している。これも、基本的に、前後の話の流れの関係性から便宜上使用しなければならない状況だったために使用しただけのことであり、私は、日常的に『料理ができる』 とか、そういった類の言葉を、あまり使用しない。何故なら、自分、そこまで凄いと思っていないから……。かと言って、私自身、謙遜主義者ではないが……。『できない。』 『知らない。』 と言っているのは、けっして謙遜ではないのだ。)

ここで話題に出した話は、一つの例え話にしかすぎない。実際さして重要な話ではないし、怒られて嫌だったとか、そういう話をしたいわけではないのだ。どういうことなのかと言えば……、
この記事の話題として出した『知っている。』 『知らない。』 という言葉に限らず、様々な言葉に関して言えることなのだけれど、一つ一つの言葉に対して、それぞれの人間が抱いている意味合いや感情感覚は大きく異なる。
同じ言葉であっても、それぞれの人間が、全く違った意味合いで使用していることに気付けないと、常々解釈のずれが大きくなってしまうだろう。そこに気付けていたところで、思わぬところに落とし穴があり、意外性が潜んでおり、解釈のずれは、どちらにしても引き起こってしまうのだが、気付けていないと、さらに解釈のずれが大きくなってしまう。
自分はこの人のことを誤解していないか? 自分の解釈を過信をせずに確認を取る、質問をする、そういうことは非常に大事なことなんだと思う。
皆で気をつけていこうね~ ♡ ♡ ♡ って話しなのです。

2. 『料理が嫌い』 という言葉 人それぞれの解釈の違い

若かりし頃、『料理は嫌い。』 だと、そう発言したことがある。今では料理は大好きなのだが、独身時代、大嫌いだった。当時の私にとって料理はただの義務感でしかなく、毎日毎日台所に立ち続ける日々が私にとっては苦行でしかなかった。人間、食べなくても生きていけることができれば良いのに……と、ずっと、そう思っていた。
だから、『料理は嫌い。』 だと、そう発言してしまったのだ。けっして、これは嘘ではなかった。ただの本音だった。

そうしたところ、料理を作れない人間だと勘違いされて、何かの折に、『餃子を焼く時は水をいれるの……。』 と初歩的な説明をされてしまった。『いや、それぐらいは知っている。ww』 と心の中で苦笑したが、空気的に訂正するのが面倒くさい状況だったから、何も言わず黙っていた……。
『そもそもにして、毎日毎日台所に立って料理を作っているのだ。料理歴何年だろう? 決して初心者ではない。』 そんな風に思った。決して初心者ではなかったから、女友達や彼氏が家に遊びに来て、たまたま私が料理を作っているところを見てしまえば、彼等は、たいがい 『anan、手早い、手慣れているね……。』 と言っていた。そう言われる程度には、そこそこ慣れていた。
私は病人だから、それほど素早い動きはできないが、野菜を切る等その他、全身を使わない手先だけの動きだけなら、かなり素早く作業を進めることができた。その程度には毎日毎日の料理で慣れが生じていた。(補足: 病状が悪化した今は、手先だけの動きでも素早く動くことができず、ミスするようになった。何度皿を落としか分からない。子供の頃、初回でもキャベツの千切りは難なく素早くできたが、今はできなくなってしまった。手の感覚か何かがおかしいせいだと思う。何に異常をきたしているのか定かではないが、神経に異常があるのかもしれない。『全身を使わない手先だけの動きだけなら、かなり素早く作業を進めることができた。』 と言っているのは、最近の話ではない。若い頃の話だ。だたし、持病の症状以外に過労とか身体全体があちこち変形して歪んでいたり栄養失調とか様々な状態の影響が絡み合っているので、持病の影響だけで動けなくなってしまったとは限らない。他のことも原因の一つかもしれないのだ。私の持病は、ある複数の種類の物質の影響で体調が悪くなってしまう病気なのだが、持病の症状が今より酷かった20代の頃でさえ、症状原因物質さえなければ元気に動けたので、あの頃は、過労とか身体のあちこちの歪みとか、そういったものが身体に与えた影響は少なかったのだと思う。栄養失調にしたところで、栄養を補えば、すぐに快復したが、今はそうはないかない。持病の症状は軽くなっているのに、持病以外の他の症状が出てくるようになってしまったのだ。まあ、もちろん、持病の症状が一番身体に影響を与えているのだけれども……。
まあ、でも、事実は別として、料理は何もできない人間だと勘違いされて上目目線であれこれと指導されてしまったのだ。
人間が勝手に引き起こす勘違いというやつは、それを軸にして、さらに徐々に拡大していき、さらに範囲を広げていくので、正直、面倒くさい。(私も、たいがいどこかで何かをやらかしているとは思うのだけれどね……。たぶん……。)

私自身、『料理が嫌い。』 とは言ったが、『料理を作れない。』 と言った覚えはない。だからこそ、そこから先は、相手の方の解釈の仕方で事実との間に相違が生まれてしまっただけなのだ。
一応のこと、『料理が嫌い。』 この言葉に全く嘘はなかったから、なんていうか、私としては許してほしいな~と思う。事実、言葉が足りなかったとは思うけれど……。

まあ、たしかに言葉が足りなかったと思うけれど、あの時、それほど自分のことを詳しく知ってほしいと思っていなかったし、料理の講習といった面倒くさいものを受ける羽目にさえならなければ、べつに、料理ができない女だと勘違いされたとしても、それで良いと思っていたから、言葉足らずになってしまったのは仕方がないと思う。
必要時でなければ、自分のことを、そこまで詳しく説明しなければいけない義務はないはずだし、正直、面倒だから説明を省きたいので、省いたとしても、こちらが語っていないことまで勝手に補って解釈するのは止めていただきたいな~と思うんだよね……。(まあ、そう指摘したところで、本人、解釈を曲げているつもりがないから、たいがい無駄なんだけれど……。)

こんなのただの例え話だから、料理を作れないって勘違いされたことなんて、はっきり言って、どうだっていいことなんだけれど、問題は、そこではなくて、『相手の言葉から自分が解釈したことなんて、本当の事実からズレている可能性がある。』 ってところを、ちゃんと意識している必要性があるって、話なんだよね……。人は皆、自分が相手の言葉から抱いたイメージなんて、当にならないんだって知っているべきなんだと思う。
私は、よく言っている。『私自身の解釈やイメージを疑う第一の者は私自身だ。』 って……。

だって、勘違いから批判やら嫉妬が生まれて人間関係に罅が入ってしまうことは多いからね……。まあ、たいがい、本人、勘違いしている自覚がないんだけれど……。

3.あとで追記

4. 『百万遍クリニックに通っていた。』 という言葉 人それぞれの解釈の違い

私は、何年か前、百万遍クリニックという病院に通っていた。だから、私が患っている病気と同じ病気で苦しんでいる患者さんに『何年か前に百万遍クリニックに通っていた。』 と話をしたことがある。まあ、これに関しては、たんにそれだけの話しだった。
そうしたところ、何故か、私の話を聞いた受け取り側の解釈で、『ananさんは百万遍クリニックで診断を受けた。』 という話に変形していた。私、『百万遍クリニックで診断を受けた。』 なんて一言も言っていない。診断の話は一言も出していないのだ。
私が患っている病気とは別の種類の病気に関しては、たぶん診断が可能なのだろうが、私が患っている病気と同種の病気に関して、百万遍クリニックでは診断ができない。他の病院に行くしかないのだ。百万遍クリニックでは診断ができないことは、ネット上のどこかのホームページにも書いてあるし、べつのところでは、私自身、何回も、『百万遍クリニックでは診断ができない。』 と言っている。にも関わらず、何故か、『ananさんは百万遍クリニックで診断を受けた。だから、◯◯さんも、百万遍クリニックに行ってみたら……。』 という話に変形してしまっていたのだ。

話を勝手に変形させないでくれ! と思った。(苦笑)私に何も質問せずに自己解釈で勝手に判断してもらったら困る。
誤報がネット上に広がることになるから……。他の患者さんが、百万遍クリニックで診断ができると思い込んでしまったら、それに向けて動いてしまう方はいるだろうから、もし、そうなったら彼等にとって可哀相な結果にしかならない。
だから、私に質問をするなどして事実を確かめないまま、勝手に私の言葉を自己解釈して他者に伝達しないようにしてもらいたいんだ……。
私のブログに書いていないことが患者内やネット上で情報として出回っていたら、今後、申し訳ありませんが、私本人に確認をお願いいたします。あまり簡単に信じないようにしてもらえたら被害が拡大せずに済むとそう思っていますから、よろしくお願いします。まあ、判断って難しいですけれどね……。

5.6.あとで追記

7. 若い頃料理が嫌いだった理由・『2.』への補足・読む必要性はありません

私自身、高校生の頃に家のなかの家事炊事を全部やるようになりました。
その時、まず、台所に立った初回から(初心者の時から)、レシピ本を見ることを我が母から許されなかったんです。(まあ、ただ、あえて『初回』 と言う言い方をしましたが、高校生の時が台所に立った一番最初ではなく、小学生の頃にも少しだけなら料理を作れましたけれどね……。)
当時の我が母には、『女は、冷蔵庫の中に残った食材だけで料理を作れるようにならなかったら、ただの馬鹿女だ。無能過ぎる。』 という哲学があり、レシピ本通りに料理を作ろうとすると食材を新たに買い揃えなくてはいけなくなってしまうので、レシピ本を見て料理を作るのなんて物凄くナンセンス過ぎたんですよね。それが理由でレシピ本を見ることを許してもらえなかったんです。
要するに、料理のりょの字も分かっていない料理の初心者に、冷蔵庫の中に残った僅かな食材を見て自分独自でオリジナルレシピを作れ! って要求していたんです。しかも、母は仕事が忙しかったので普段は子供のことは放置状態ですし、まれに、母と私が一緒にいる時は、母は母自身が子供の頃にどれだけ祖母や伯父から酷い目にあったのかを私に切々と語るので、母の感情を受け止めることに時間が使われ、私は母から料理を教わったことが、ただの一度もありませんでした。基本的に一緒に台所に立ったこと自体がなかったんです。ですから、私は、料理の経験が物凄く浅かったんですね。にも関わらず、何故、料理熟練者にしかできないような高度な発想力(残り僅かな食材で作ることができる料理のレシピを自力で自作する発想力)を私に要求していたのでしょうか? 今となれば、そこを不思議に思います。当時は気にしていませんでしたが……。(料理を教えてもらったことがないのに、何故、小学生の頃に、少しだけなら料理を作ることができたのかと言うと、母が祖母への愚痴を零しながら料理を作っている姿を見ているうちに勝手に自然に気付いたら覚えていたんですね。まあ、毎日見ていましたからね、教えてなんてくれませんでしたから、そういう覚え方でした。もちろん、物凄く簡単なことしかできませんでしたけれど……。そうですね、小学生の頃は、肉じゃがとかキンピラとか、その他複数点、その程度の簡単なものしかできませんでした。見ているだけで作業の順番や調味料の量を覚えることができるぐらい簡単なものだけです。)大したスキルがない人間に、毎回毎回全部オリジナルレシピを自作させるのは、かなり無理があったと思うんですよね。今思えば……。
どうしても冷蔵庫の中に残った食材だけで作れと言うのならば、言われた通り、残った食材だけで作るので、食材の買い出しに関しては、せめて、私にやらせてほしかったのですが、それに関しては、母が許可して下さらなかったんです。母が食材の買い出しに行っていたんですが、母は、タイムセールで何割引きとかになっている食材か極度に安い食材しか買ってこないので、『これでどうやって作ればいいんだ?』 という食材の組み合わせになってしまっていたんです。私が、正月にもらったお年玉を使って(親からお小遣いをもらったことがないので、私が所持していた金銭は全てお年玉でした。)、玉ねぎ・じゃかいも・人参・南瓜・蓮根とかその他一般的に皆がよく使う食材を買って帰ったら、母に怒られてしまいました。ですから、冷蔵庫の中は、もやしとか新鮮ではないからタイムセールで安くなっていた葉物野菜ばかりでしたね。まあ、他にもちらほらとありましたけれど……。ただ、なんで、もやしを3袋も買ってくるのか理解できませんでした。その分、他の種類の食材を買えばいいのに……。
まあ、服や靴でも似たようなことをする人でしたね。『2万円の靴を千円で買うことができたの! このスカート2千円だったの!』 って嬉しそうに見せてくれるんですが、上下の組み合わせを考えて買ってこないので、上下で雰囲気の合う服がなくて、結局買った服どれも着ることができなくて、いつもパジャマみたいな格好をしている人でしたね。『やることに計画性がない。』『あのスカートに合うトップスを買っておいで!』 『あのトップスに合うスカートを買っておいで!そうしないと着れる服が何もなくなってしまうから……。』 と、私自身、何度も母に説明をしたところ、なんとか母も意識が変わってきて多少計画的に動くようにはなったんですが、昔は無茶苦茶だったんで、一事が万事、冷蔵庫の中も同様に支離滅裂な状態になっていました。もう冷蔵庫を開ける度に、『この食材の組み合わせでどうやって作れってんだ!』 って状態でしたね。たぶん、我が母って、先を考えていないと言うか、頭の中で状況を整理するのが凄く苦手な方なんだと思うんです。
でっ! ここまでは、まだいいんですよ。良くないけれど、まだましなんです。
母は、仕事で付き合いのある客人を、ほぼ毎日のように勝手に家に連れてきて、料理担当である私に何の断りもないまま、客人に 『あんた、今日はここで食べてきなさい。』 と言い放ち、当然のように私に客人への料理を作らせるんですよね……。
食材が足りなくて『食材少ないけれど、ある程度工夫をして今日は誤魔化すかな? 今日一日ならなんとかなるかな?』 って家族の分ですら足りなくて困ったな~と思っている時に、そんなことを気安く言ってくれちゃうんで、『どうやって作ればいいんですか?! 』 って話になるんですよね……。冷蔵庫の中に食材が大量にある時なら、まだなんとかなったのですが…。

ガキの頃、母にこんなことを言われていたんです。『仕事では付き合いが大事なので、(将来の)旦那さんが、いつ何時、客人を連れて来ても、すぐさま料理を出せるような完璧な対応ができる女にならないと駄目。客人を連れてきた旦那さんに対して迷惑そうな顔をする女では駄目。暖かく迎えることができる女になりなさい。ビジネスをやっていく上では最低限必要なこと。』 『女は、冷蔵庫の中に残った食材だけで料理を作れるようにならなかったら、ただの馬鹿女だ。無能過ぎる。』 こんなことを言われていたんですが、そう言った母の言葉を素直に信じてしまい、クソ真面目に頑張ろうとしてしまったので、私自身、余計に負担が大きくなってしまったんですね。母は、仕事に関しては成功者でしたから、その人間に、『仕事では付き合いが大事なので、旦那さんが、………。』 と言われたら他の人間に言われるよりは真面目に真剣に聞いてしまったんです。当時、自分、そんな感じでした。(何年か前、母と私の上下関係は逆転してしまいましたが……。)
途中から、なんか状況が異常だ! って気付いて、母に、『客人に料理を作らなくてはいけない時には事前に報告してください。私に許可を取ってから、客人をご飯に誘って下さい。私の許可なく勝手に話を進めないでください。』 って注意をするようになったんですが、最初、高校生の頃は駄目でしたね……。真面目に対応しちゃったんです。なんで、当時、私は、ああだったんだろう? と当時の自分の感覚を不思議に思います。
結婚してから、さらに心理の変化があったんです。『レシピを見たり、その時の気分に合った物、今、家族が食べたがっている物や自分が食べたい物、そういったものを作って良いんだ~! 季節に合う物を作ったり、情緒を楽しんだり、食(しょく)って、もっと楽しんで良い物だったんだ~!』 ってことに気付くことができたので、一気に心理的に変化が起こり料理を作るのが大好きになりました。
まあ、もちろん、家計を考えて作りたいものばかり作るってことはしていませんでしたけれどね……。でもね、たまには、さっき言ったように楽しんでも良いんだよね~!ってことに気付いてから、料理を作ることが楽しくなったんです。それに 『その時の気分に合った物、今、家族が食べたがっている物や自分が食べたい物、そういったものを作って良いんだ~! 季節に合う物を作ったり、情緒を楽しんだり、食(しょく)って、もっと楽しんで良い物だったんだ~!』 って気付いたって言っても贅沢な料理のことではなくて、一般的にどこにでもある普通の家庭料理のことですよ……。その辺は、勘違いしないで下さいね。贅沢をしようとしていたのではなく、結婚前とは視点の方向性が変わったってだけです。
ただ、私の心理を一番変えてくれたのは、我が子なんですけれどね……。スプーンを我が子の口の中に運んだ時にニマ~と嬉しそうに笑ってくれた、あの表情が忘れられないんですよ。私自身、親族から虐待を受けていて家族団欒って経験がなかったんで、あの時、『あ~、これが家族団欒ってやつなんだな~、今まで経験なかったけれど、これは、なんか嬉しいな~。』 って初めて何かを手に入れたような気持ちになって、それがきっかけで我が子の笑顔見たさに料理を作るようになったんです。(まあ、そうこうしているうちに何も作れなくなってしまったんですけれどね……。)

母の問題は、これに関しては、さほどの問題ではなくて、これ以外に、もっと酷い問題起こしてくれるんですけれどね……。

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