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このブログを読んでいただく前に、まず先に謝罪をさせていただきたいことがあります。
ボケ症状があるので、思っていることが上手く言葉にならずニュアンスが崩れてしまいます。ですから、そのことも含めて色々と 【謝罪文】 のなかで謝罪させていただきました。申し訳ありませんが、 【謝罪文】 を読んでいただけると助かります。
そして、皆様に謝罪文を読ませるお手数をおかけして申し訳なく、ここで重ねて二重にお詫びお申し上げます。申し訳ありませんでした。

2017/07/04

夜ひとりで夜泣きの子供をあやすお母さんたちの場所
「夜泣き小屋」 …これって本当に大丈夫?

この記事は後で文章を再度追記する予定ですので、今しばらく読むのをお待ちください。大変申し訳ありませんが、ご理解のほどをよろしくお願いいたします。

「夜泣き小屋」には、色々と問題を感じたので
その問題と感じるものを下にまとめてみました

「夜泣き小屋」って本当に心の救いになるんですか?
心が傷ついてボロボロになるママさんがいそうで心配です

私は、ある職場で、ある部所のトップの立ち位置に置かれていた時に、社長から『普通、女性が集まる場所では派閥ができるのに、ananさんのいるところでは派閥ができない。それに関しては感心する。』 と褒められたことがあるのですが、通常たいがい、グループ内のトップの人間の考え方次第で、そのグループ内の空気や方向性が変化してしまいますから、どういった方向性に向かって行くのか、よく分からない「夜泣き小屋」に関しては、確実性がないので、やはり難しさを覚えます。
(ちなみに、社長は『派閥ができない。』 という表現の仕方をしましたが、これは正確な表現ではなく、『派閥の境界線の輪郭が薄くなる。』 と言葉を置き変えたほうが良いとは思います。ただ、なんで、派閥の境界線の輪郭が薄くなるのか、私自身、理由を、よく分かっていないんですけれどね……。こういうものは、狙ってできるものではないのでしょう……。ですから、理由に関しては、よく分かっていないんです……。(-。-;))
ちなみに、職場内で私の立場的が下っ端だった時には、『派閥の境界線の輪郭が薄くなる。』 という現象は起きませんでした。私は、異端児なので、上司の間でanan肯定派と否定派と中立派といった派閥が沢山できてしまい、意味の分からない状態になってしまったことがあります。(笑)立場的が下っ端だった時には、逆に駄目でしたね。なんか、もう~、ほんと色々ありました。私は、こういった問題を起こしてしまうぐらいなので、スペックが高い人間というわけではありませんし、コミュ力が高い人間というわけでもありません。(;へ:)
どちらにせよ、私の例に限らず、トップの人間の考え方次第で、良くも悪くも、そのグループ内の方向性が変化してしまうことは多いですから、「夜泣き小屋」に関しては、不安定要素が大きすぎて確実性が無いのが凄く引っかかります。 m(__)m

これが、職場であれば、若干空気が悪くても頑張って我慢をすれば良いのかもしれませんが、皆が救いを求めてやってくる「夜泣き小屋」のような空間で空気が殺伐としていたらお話になりませんよね……。来た意味がありませんもの……。(本当は、職場だって空気が殺伐としていたら問題なのですが、現状耐えるしかない時だって有りますよね?)

また、「夜泣き小屋」のような空間は、どこかの飲み屋やお部屋などで人が集まってワイワイガヤガヤ騒ぐのとも違います。「夜泣き小屋」という空間は、それとは違い、自分の精神的に弱っている部分を見られてしまう場であるということを忘れないようにしたほうが良いと思うんです。
そうであるのならば、当然、相手は、ある程度信用できる人でないと問題がありますよね?

また、産後、ずっとパジャマのまま寝たり起きたりを繰り返しながら赤ちゃんのことだけしていれば良かった、産婦人科や助産院への入院中の時とは状況が異なるということを忘れないようにしたほうが良いと思うんです。
夜泣きに対応しているママさん達は、日常生活のなかで姑さんや旦那さんや仕事のことなど、その他様々な柵や枷を背後に抱えながら、様々な感情を余韻として残して、「夜泣き小屋」といった一つの空間に集まる場合もありますよね……。
当然、様々な感情がお互いの間に行き交うことも有り得るでしょう……。

にも関わらず……
「夜泣き小屋」って関わり合う相手を全く選べないのが問題です。
近所のママ友さんでさえ、多少、付き合う人、付き合わない人、を選別できますが、「夜泣き小屋」って、たぶん、それが全くできない状況ですよね? 付き合う相手を選べずに一つの空間に大勢集まるって、なんか、職場(仕事)みたいな状態になりませんか? 職場(仕事)のような状態にしてしまったら、心の救いになりませんよね? なんか、それって、どうなんでしょうか? って思ってしまうんです………………。 (x_x;)

物理面の問題に関しては、後回しにすることにして、とりあえず先に、精神的な問題に関して引き起こりそうなことを枠線の中にまとめてみました。 m(__)m
マウスオーバーさせると文字が大きくなりますので、読みたい方は、マウスを文字の上に当ててみてくださいね。手間をかけさせて申し訳ありません。

1. 様々な理由で、何かのきっかけで、派閥ができてしまいハブられる女性が現れたり……

2. 『私は兼業主婦だけど、あなたは専業主婦だから、私に比べたら楽よね……。贅沢な悩みだわ……。』 と相手の苦しみを過小評価する人が極少数いたり……。
いくら専業主婦でも、親世代や障害者の介護をしている方は、大変です。それ以外にも人それぞれ異なる事情を抱えているために、本来、兼業主婦か専業主婦かといった違いだけでは簡単には判断できないはずなんですよね。そういったことに意識を向けていないために、相手のことを知りもせずに勝手に不満を抱いてしまう方もいたりします。
と言うか、それ以前の問題として、他人より困難な状況を抱えている方は、他人が抱えている苦痛の度合いを軽視してしまっても良いのでしょうか? お互いの苦悩の度合いを比較して、相手の抱えている苦悩が自分の抱えている苦悩より度合いが低いと判断した場合、相手の苦悩を軽視し否定してしまって良いのでしょうか?
私は、けっこう困難な状況を抱えているタイプの人間なので、『ananさんの苦しみに比べたら私の苦しみなんて大したことがないから、自分程度の悩みで落ち込んでいるなんて申し訳ない。』 と言われることが多いのですが、私は、それを言われることが、あまり好きではありません。何故なら、比較の原理からは本質的な解決なんて導き出されないからです。って言うか、本質的に比較する必要性がないんですよね……。(その理由は、説明すると長くなるので、他の記事に書かせていただきます。)

3. 相手が自分と同じ種類の悩みを抱えておらず、自分より恵まれているように見えたとしても、相手を知ろうとして真剣に全体を眺めれば、相手は自分とは違う種類の悩みを抱えていて、お互いに大変であることに変わりはないと気付くはずなのに、自分の苦しみに翻弄され視界が塞がれ相手の状況が見えていなかったり、相手を真剣に知ろうとしなかったせいで、自分が意識している一部の限定された状況だけしか把握できず、『あの人は私に無いものを持っている。私の状況より恵まれている。』 と勝手に思い込み、他人と自分を比較して他人を嫉妬してしまう人がいたり……。

4. 他人が努力して勝ち取った【良い状況や家族や友人からの理解】を、その人が何も努力せずに得たものだと勘違いして、自分では何も努力してこなかった人間が、『あの人は私には無いものを持っている。あの人は楽だ。』 と馬鹿みたいに羨んで妬んでいたり……。
(仮に、嫉妬するに値する正当な理由があると思われる場合でも、私は個人的に、嫉妬する人間は駄目だと思っていますがね……。)

5. 妊婦さんであれば、数多くある問題の中のほんの一部として、【マタニティマークを批判する人がいるみたいだけれど、私はマタニティマークに賛成】 という記事のなかで書かせていただいたような問題が発生してしまうのですが、出産後の女性だって、同じ人の世で生きていることに変わりはありませんから、問題の内容が変化するだけで、同じように何らかの問題が発生してしまうことに変わりはないんです。まず、問題が起こっている場所は、同じ人の世だということを忘れてはいけません。同じ人の世のなかで起こっていることなのですから、分野や内容が変わるだけで、同じ原理のことが発生するはずなんです……。それが、具体的になんなのかは、まだ分からなくとも……。
例えば、一つだけ例を挙げるのなら、『あの人は、旦那さんの理解に恵まれている。大切にされている。羨ましい……。』 とか、そういった類の嫉妬が引き起こる可能性があります……。って言うか、実際、旦那さんに大切にされていなくても、何か一部の無意味なところだけを比較して、あの人は大切にされていると勝手に思い込んじゃうお馬鹿な女性は多いんです……。事実と違うところに頭が飛んじゃうんですよね……。そういった馬鹿馬鹿しい理由で誰かを嫉妬してしまうお馬鹿さんな女性も、実のところ沢山現れるでしょう……。
産後、産婦人科や助産院へ入院中の時とは全く状況が異なるということを忘れてはいけません。産婦人科や助産院に入院中の時には、生活の場からママさん達が離れているのですが、夜泣きに対応しているママさん達は、日常生活のなかで姑さんや旦那さんや仕事のことなど、その他様々な柵や枷を背後に抱えながら、様々な感情を抱えて一つの場所に集まるんですよね……。そうなると、お互いに生活面の話題は、どうしても時折出て来てしまいますよね……。余計な情報が相手の耳に入ってしまうことがあるわけです……。産婦人科や助産院へ入院中の時とは全く状況が異なるわけなんですよね……。ですから、互いの人間関係や生活状況を無駄に比較し合って嫉妬してしまう、お馬鹿な女性も一部現れるでしょう……。
まあ、マタニティマーク使用者は、一部の見ず知らずの通りすがりの人に悪意を持たれてしまうだけですが(それだって十分本当は問題なのですが……。)、「夜泣き小屋」は、通りすがりの人レベルの関わりでは終わらないので、これに関しては、もっともっともっと大きな問題が発生してしまうことが予想されます。

余談: 女は嫉妬深い生き物だと世間で言われてしまっていますが、あれは、少し誤解があると思うんですよね……。男性は、やたら格好つけて体裁を取り繕って屁理屈をこねて感情を表に出さないので、表面化しませんが、実は、男性は女性よりプライドが高いので、それなりに嫉妬深い生き物だと思っています……。(-。-;)
って言うか、マタニティマークが抱えている問題が書かれている記事のなかに出てきたような、『羨ましい』 という感情が原因で自分以外の女性に攻撃的な感情を抱いてしまう女性なんて、かなり人数は少ないはずなんですよね……。マイノリティーのなかのマイノリティーなんです……。もう、あそこまで人間のレベルが低い女性まで対象に入れてしまうと、いささか、男性に、あれに類似するタイプの感情を抱いた方を見たことがないので、男性のほうが嫉妬心は強いなんて言い方はできなくなってしまうのですが、あそこまでレベルが低い例を排除して見た場合には、平均的に、実は、男性のほうが嫉妬心は強いと思うんですよね……。
まあ、ただ、 『あの人は、旦那さんの理解に恵まれている。大切にされている。羨ましい……。』 といったタイプの感情を抱いてしまう女性は多いと思うんですよね……。これに関しては、そんなに人数は少なくないはずなんです……。ただ、そういった感情が飛び交ってしまう原因の一端は、男性の側にも責任はあるよな~って思ってしまうところはあるので、ある程度は仕方がないのかな?~って思ってしまうところはあるんですけれどね……。まあ、私は、嫉妬心という感情自体を感じたことがないので、その私が、『ある程度は仕方がないのかな?~って思ってしまうところはあるんですけれどね……。』 って言い方をするのも変なんですが、やはり、男性の側にも責任はあるよな~って思ってしまうところはあるんです……。まあ、ただ、嫉妬心自体を肯定しているわけではないので、最終的に嫉妬心という感情は肯定できず否定してしまうことに変わりはないのですけれどね……。(-。-;)(x_x;)

6. 他人の赤ちゃんが何度も何度も起きてしまい、なかなか泣き止まない他人の赤ちゃんを見て、『赤ちゃんが夜泣きするのは当然のことだけれど、そうかといって、あの人は、子育て下手過ぎるわ~。』 とか思って他人を見下したり優越感を感じている人がいたり……。
必ずしも子育てが下手だから、そうなるとは限らず、人それぞれ違う理由を抱えていたりします。本当は正確な理由なんて第三者には分からないことのほうが多いんですよね……。

7. 『せっかく、うちの子が寝たのに、あの人の赤ちゃんが、やたら何度も起きて泣くせいで、うちの子も起きちゃったじゃない。あの子情緒不安定で迷惑なのよね~。来ないでほしいわ……。』 と思っている人がいたり……。
って言うか、それ以前に、大勢赤ちゃんが集まって皆で泣いていたら、決して気が休まる空間とは言えないでしょう。自分の子供が泣いているだけで悲鳴を上げている方々が、大多数の赤ちゃんの泣き声に囲まれたら、もっと神経が病みそうですね……。お互いの苦しみを伝染し合って苦しみの連鎖反応が起こりそうです。
それに、そこまでの騒音が響く中にいたら、お母さんだけではなく、赤ちゃんにとっても良い環境とは言えないでしょう……。『私はひとりではない。』 という母親側の精神的安心感のためだけに、赤ちゃんの側が犠牲になるのはどうでしょうか? 赤ちゃんの側にも感情はあるわけで、そこは、しっかり考えなくてはいけないと思うんです。

8. 相手の言葉や行動から自分がイメージしたものは、たいがい、自分の感情を誰かに投影してしまったが故に引き起こる蜃気楼や幻覚にしか過ぎないのに、それを真実・事実だと誤認して、堂々と説教してくる人がいたり……。

9. 人それぞれ抱えている状況や思想が全く違うのに、一般的に最も多い状況や思想のイメージを、その人個人もそうだと勝手に決めつけて、事実確認をしないまま、誤認識を起こしたまま不必要な説教をしてくる人がいたり……。

10. 噂や伝聞は、本人が言ったこととニュアンスや内容がかなり変形している可能性が高いのに、噂や伝聞を真に受けて信じてしまい怒ってくる人がいたり……。
実は、こういう失敗する人って、一般的にかなり多いのですが、毎回毎回 『本人である彼女に事実を確かめなさいよ! なんで、こんな簡単なことが分からないんだ?』 って不思議に思っていました。

11. 自分が信じている理想の子育て論を他人に強制的に押し付けてくる人がいたり……。

多くの人間が自分以外の人間を見て思っていることは、たいがい思い込み・幻・幻想・幻覚・妄想です。そして、思い込みや幻を真実だと誤認して人は人を非難し、やがては闘い合ってしまうのです。まずは、自分のなかに現れ出たイメージを疑う癖をつけたほうが良いのですが、それをしない人が多いので、人と人とが関わり合うと、たいがい何か争いごとが起きてしまうんですよね……。(-。-;)
私も含めて皆で気をつけなくてはいけませんね。

今から語ることは、例え話にしか過ぎませんから、全ての物事に対して自分なりに応用して考えてみてください。

私の母は虐待を受けて育ったんですが、その母は、ある方に対してこう言ったんです。『彼は、虐待を受けていないから、私の気持ちなんて理解ができない。いつも、お祖父ちゃんから、あんなに大事にされて育ったから、私の気持ちなんて理解ができない。』 と……。(べつに、母は、彼のことを嫉妬していたわけではありません。彼は苦労がないから私の苦労なんて理解ができないと勘違いしていただけなんです。)
ですが、事実は、母が認識していたものとは全く真逆だったんですよね……。彼は、彼の両親から虐待を受けていましたし、彼のお祖父ちゃんから大事にされていたからこそ、彼の母親から 『なんで、この子ばかり。』 と嫉妬されて余計に冷たく扱われていたんです。お祖父ちゃんから大事にされていたという事実が、さらに深い闇を作り出してしまっていたんですね。
また、彼自身、お祖父ちゃんから優しくされればされるほど、『お祖父ちゃんは疲れているはずなのに申し訳ない。』 と余計に落ち着かない気分になり、かえって疲れたそうです。まあ、私自身、この気持ちは理解できます。

【お祖父ちゃんから大事にされている】 という、自分の目の前に見えていることだけで、自分が目撃したことだけで、何かを判断してしまえば、やはり、こういった誤認識が大々的に引き起こります。そして、その後、【お祖父ちゃんから大事にされている】 といった一部の現象だけに固執し囚われると、いつまで経っても、こういった誤認識が訂正されずに終わってしまうんですよね……。
そして、大概の人は、自分では気付かずに、これと似たようなことをしているんです……。自分が認識したことを事実と認識しているわけですから、当然、誤認識だと気づくはずがありません。

人の表面的な動きや自分の視界に映ったものだけで何かを判断すると誤認識が起きてしまうのは事実だと思います。

私が、中学生の頃に、まだ保育園生だった彼が、私の目の前をニコニコ笑いながら駆け抜けて行ったんですが、その時の、子供のくせに一切我儘を言わず物分りが良すぎるうえに一切大人に甘えることをしない大人びた不自然な笑顔から何か妙な違和感と危険性を感じ取り、『この子は、たぶん虐待を受けている。』 と気づきました。(はっきりとした感覚ではありませんでしたけれどね……。可能性を疑った程度です。)また、お祖父ちゃんから優しくされているからと言って、そんな簡単な状況ではないことにも気付いていました。気配で感じ取っていたんです。
まあ、我儘なんて言ったり、手を煩わせたら、親から殺されますからね……。虐待を受けている子の一部は、必然的に大人の邪魔をしないで生きる技を身に着けてしまうでしょう……。それに、泣けば殺されますから、虐待を受けているからと言って、助けを求めて泣き叫ぶとは限りません……。第三者に助けを求めれば、よけい酷く殴られ殺されかねませんから、やはり助けを求めるという事自体をしないでしょう。むしろ、何も言わなくなってしまうパターン・自己主張しなくなってしまうパターンのほうが多いと思うんです……。危険な人間に向かって、助けを求めて泣き叫ぶ人間はいません。そして、誰に対しても、助けを求めるという発想自体が沸かない……そんな状態になってしまうんです。(人を疑っているからではなく、全部自分でやるのが当たり前になってしまいますから、条件反射的に、誰かに助けを求めるという発想自体が沸かなくなってしまうだけなんですけれどね……。だって、自分の環境下に自分を助けてくれた人間なんていなかったんですから、人に助けを求めるという習慣パターンが条件反射的に身につくはずがないんです。これは、自分の目の前にいる人間を疑っているからなのではなく、発想として思いつかないだけなんですよね……。)

私自身、母以外の親族から虐待を受けていたこともあって、私自身が、幼児の頃、子供らしくなくて、やたら物分りが良すぎるほうだったので、ある意味、彼の姿って、幼き日の自分の姿を見ているようで、それが原因で、彼が虐待を受けているんじゃないか? ってことに気づいたんですが……。ただ、それが、単純に理由に過ぎないのなら、虐待を受けていた私の母だって充分気づきそうなものなのですが、全く気づいていなかったので、この、人によって、気づく気づかないの違いって何が原因で引き起こってしまうんでしょうね~? って、ある意味、物凄く不思議なんです~。(-。-;)

ただ、何かに気づけている必要性は無いんだと思うんです。気づく気づかないが重要なのではなく、何かに気づけなくても、物事、白黒はっきりできるほど単純じゃないって知っているだけでも、人のことを良い悪いと勝手に判断しなくなるので、多少ましになるかな~? って思っているんですけれどね……。(まあ、ましになるだけで、私も含めて人間ですから、どこかで失敗する可能性はあるわけですが……。)様々な可能性があるので断定的な結論を出すのって正直怖いんです。

断定的な結論をパッパ言う人のほうが、一見格好良く見えますが、実は、それって凄く怖いことなんですよね。自分が出した結論を徹底的に疑うぐらいで丁度良いんだと思うんです。(まあ、断定的な結論が必要な場合だって、極稀にあるのかもしれませんが……。)

あと、話しは変わるんですが、一つ例え話を挙げます。
詐欺師ほど、『あの人は自分を騙すんじゃないか』って周りの人間を疑う傾向性があります。人の善意を信じることができないんですね。まあ、たぶんですが、善意の感情原理を理解できないが故に、善意を想定できず、そんなことになってしまうのでしょう。その逆に、善意で動いている人間は、他人を疑わない傾向性があります。これもまた同様に、悪意や自己中心的な感情の感情原理を理解できないが故に、悪意や自己中心的な感情を事前に想定できず、そういったことになってしまうでしょう。
ただし、人を疑うのが苦手な人間だって、何かを経験したり聞いたり見たりする度に警戒をする必要性を学んでいきますから、先ほど例に挙げた傾向性通りに物事が進んでいくわけではありません。ですから、この辺は一概には言えないのですが、それでも、やはり、先ほど言ったように、人間、自分の人間性と似たようなものを相手の中に映し出して判断してしまう傾向性があるのは事実なんですよね。
何故なら、どちらにしても、人間、自分が過去考えたり聞いたり見たりしたことがない発想は、自分の頭の中に思い浮かべることができないので、相手の言葉や行動からイメージしたものは、どうしても、自分の中に既にあった感情感覚や思想が軸になって、そこから相手に合わせて多少変化させているだけのものにしか過ぎないからなんですよね……。

現実に置きかえて例を挙げるのならば、『体調が悪いことを、わざわざ書くなんて、あの人は、人から同情されたくて、あんなことを言っているんだ。気持ちが悪い。』 であったり、誰かが人に対して抱いているイメージというのものは、たいがい、そのイメージを抱いたご本人様、その人自身が、もともと抱えていた感情である場合が多いんです。まあ、もともと抱えていた感情と言うよりは、もともと抱えていた感情が何かの判断の原材料となり、相手に合わせて多少変化させたものを相手に投影させてしまっていると言ったほうが良いのかもしれませんが……。
実際、私は、疲れるから人と群れるのがあまり好きではなくて(不器用なんです)、苦しい時ほど一人になりたがると言うか、孤独を愛してしまう性格なんですが、そんな私が、Twitterで、誰かの 『身体が苦しい。……。』 といった文章を読んだところで、『この人は、人から同情されたがっているんだ。人からの注目を集めたがっているんだ。』 とは解釈しないんですね……。あまり、そういう発想が早々とは出て来ないんです。何故、発想として最初に出て来ないのか? その理由は、私自身、同情なんてクソ下らない感情だと思っていて、誰かの同情が欲しいなんて思ったことはないのだけれど、それでも、同情が欲しい以外の別の理由で、体調が悪いことをTwitterに書いたことがあるので、誰かのTweetを読んだ時にも、同情を求めている以外の別の可能性が浮かんでしまう、そういう感覚のほうが強く出て来てしまうというところがあるんですよね……。話の前後関係から、同情を求めているのだと分かる根拠のようなものが散見されていた場合には、『この人は同情が欲しいんだろうな~。』 って思うことはありますが、最初の時点で、すぐには発想として出て来ないんです。『背後に抱えてきた歴史が人それぞれ違うから、人によって様々な事情があって、体調を書き記す理由なんて人によって全く違うから、体調のことを書いた理由に関しては、全く分からない。』 と思う程度で余計なことはゴチャゴチャ考えないんですよね……。
ところが、なかには、『この人は、人からの注目を集めたがっている。人から同情されたがっている。』 と判断し人を批判してしまう人がいて、誰かが誰かに対して、そう指摘しているのを見た時には、私自身、『なんで?』 と、かなりビックリしてしまいました。
ただ、残念なことに、何の根拠もなく、『この人は、人からの注目を集めたがっているんだ。人から同情されたがっているんだ。気持ちが悪い。』 と勝手に人に対して何かのイメージを持ってしまう人こそが、もともと同情されたいという感情を強く抱えていた場合が多いんですよね……。自分がイメージしたものは、自分自身の写し鏡であることが多いんです。(注意:あくまで、そういったケースが多いと言っているだけで、全ての人がそうなわけではありませんから、それこそ勝手に決めつけないように気をつけてくださいね……。 m(__)m )
それに、もし、仮に、本当に同情を求めていたんだとしても、『放っといてやれよ。そんなことどうだっていいだろう。』 って思ってしまうんですけれどね……。実際、本当にどうでもいいことですし、わざわざ、そんなことを指摘するのは、下らないですから、なんか幼稚な人間だな~って思ってしまうんですよね……。(まあ、同族嫌悪なのかもしれませんね……。) (*^-^)

●見栄やプライド・コンプレックス等、人によって理由は様々でしょうが、色々と気になってしまい、着替えをしたりお化粧をしたり、赤ちゃんの物とか その他様々な物を準備したりして、気を使ってしまうから、かえって、よけいに大変になってしまう可能性だってあると思うんです。
疲れている時に、なんで、そんなことまでするの??? って感じになってしまうのかもしれません。

●それ以外にも、お互いに変に意識し合って逆に辛くなることもあるのでは?

ここまでは、夜泣き小屋に関して人間関係の問題点を説明させていただきましたが
人間関係の問題だけではなく、夜泣きの問題だって根本解決にはならないのでは?

「夜泣き小屋」のことを書いた女性の記事から以下の文章を引用させていただきました。枠の中が引用文です。

夜泣き子を寝かせるのにこんなうるさいところ、人のいるところにいったら余計に寝ないだろ!子供の睡眠に悪影響!とかは妄想なので考えなくて大丈夫なやつです。
ギャン泣きor置いたら泣く赤ちゃんを抱いてる孤独な夜のつらさを、誰かと共有出来たらな…といつもいつも思っています。
実際こんな場所があって、行っても、こんなにノリノリで話せる人間ではないのですが(できてたらもっとママ友いる)、妄想のなかでくらい好きな自分になってもいいでしょ…?自分がバトルロワイアルに参加したらどうなるか考えたことオタクなら誰でも一度はあるでしょ…?

妄想だそうですよ。
彼女は非現実な話をしているのです。それは彼女自身が自分で言っていることです。
御本人様は、『「夜泣き子を寝かせるのにこんなうるさいところ、人のいるところにいったら余計に寝ないだろ!」 とかは妄想なので考えなくて大丈夫なやつです。』 と言っています。妄想だから現実に起こるであろう問題は全く考えなくても良いということのようですから、この話は現実を無視した話で、仮に、彼女が望む「夜泣き小屋」ができたところで、彼女の現実だって誰の現実だって解決にならないことは、すでに判明しているようなものですよね。
彼女自身が、自分で妄想だって言っているんですよ。

にも関わらず……。

ご本人様が妄想だと言っているのにも関わらず、何故、多くの人達は、『こういう施設は作ってあげるべき!』 『こういう施設作ってみようかな?!』 『お金を溜めたら、こういう施設作ってみる。』 と凄く必要だと言わんばかりに全肯定して共感を示して盛大に盛り上がっているのでしょうか?
「夜泣き小屋」に関するツイートが、4万2千強の『いいね』・3万1千強の『リツイート』 されています。モーメントで、4千近く 『いいね』 されています。皆さん、びっくりするぐらい必要性を感じているようですね。万の単位で反響があるのは、現実をよく考えないタイプの人間が多いということを物語っているようにも感じます。
まあ、ただ、どういう理由で、『リツイート』 したり 『いいね』 したのかは知らないので、はっきり、そう言ってしまうのは、問題があるのかもしれませんが……。

様々な事柄が想像通りにいくほど、この世の中甘くはありません。
デメリットが存在しない選択肢など、この世には存在しないのです。今現在成功している事業の裏にだって、必ずデメリットはあったんですよね。光と闇は表裏一体なんです。そして、多くの成功者は、デメリットをある程度把握できていたからこそ成功できたんです。憧れだけでは何もできない……。デメリットが何も頭に浮かばない人間は、新しいことなんて何もしないほうが良いと思うんです。
『予測できないことがある。想像通りにはいかない。世の中甘くはない。理想通りにはいかない。』 と最初から覚悟しておくことは大事だと思うんです。憧れや理想ばかりを抱いていると、この世の中生き辛い……。現実主義者だからこそ、手に入る人間関係があるし、手に入る現実があったりする、そのように思っています。
まあ、だからと言って、全てのものが手に入るわけではありませんけれどね……。

ご本人様が非現実的だと自覚できているなら、『妄想』 をいくら頭の中で考えてくれても、それは自由なんです。『妄想』 を実際に行動に移さない冷静さがあるのであれば、誰の迷惑にもならないので、頭の中で何を考えてくれようと自由です。多くの分野に言えることですが思想は自由なんです。

まあ、ただね、「夜泣き小屋」の案を書いた女性自身、『妄想なので考えなくて大丈夫』 と言いながらも、こんな漫画を書いちゃうぐらいですから、どの程度、現実と妄想の見分けがついているのか? という部分に関しては、定かではありませんけれどね……。(まあ、ただ、ここに関しては強く言う気はありませんので、聞き流してください。)

『(引用)実際こんな場所があって、行っても、こんなにノリノリで話せる人間ではないのですが(できてたらもっとママ友いる)、妄想のなかでくらい好きな自分になってもいいでしょ…?』 だそうですよ。
仕事でも何でも現実に人間関係を築いてきた人間のほうが、現実の厳しさをよく知っているでしょう?
『(できてたらもっとママ友いる)、……』 と仰っているように、ママ友が少ないからこそ、彼女自身、現実世界での人間関係の経験が足りなくて、発想が妄想や憧れの領域を出ないまま留まってしまっているのではないでしょうか?
本当にママ友が少ないと決めつけているわけではありませんよ……。それに、べつに少なくても良いと思うんです。そこは、さして問題ではないですよね……。私もママ友少ないですよ……。病気で何十年と寝込んでいましたからね……。まあ、ただ、ママ友ではなくて、独身時代、仕事仲間の付き合いならありましたけれどね……。でもね、ママ友でなくとも、どっかで人間関係の付き合いがあるなら、原理的に同じことが発生するんで、何が起こるか想像できるじゃないですか~。 (*^-^)




夜泣きに困っているからではなくて、ただお喋りしたくて集まる女性もいそうなので、空間の空気が堕落しそうで怖いです。
「夜泣き小屋」のモーメントを書いた女性は、『テレビでは常に何かが流れていて…』 と望んでいるようですが……
そもそもにして、私は、出産後の当時、授乳しながらテレビを見ていられる人の心理が理解できませんでした。なんかそれって、せっかく話をしてくれている人に背中を向けて違うところを見ているのと同じぐらい違和感があって、赤ちゃんに失礼だと思っていたんですね。たしかに、赤ちゃんは喋れませんが、同じ人間であることに変わりはありません。お乳を飲んでいる赤子をちゃんと眺めていれば表情の変化や様々な仕草にも気付くことができます。意外と飽きないのです。表情を見ていないのは、もったいないです。と言うより、見ずにはいられなかったのです。授乳中テレビなどを見ながら上の空で子育てをしていれば、何の感動も発見もなく子供の表情から得られる癒やしや励みも何もないので、たしかに労働のキツさや寝不足といったマイナス面だけが強調され、子育てを楽しむことができないのかもしれません。それでも、一つ一つをちゃんと意識していれば、苦しいことだけではなくて、楽しめることだって沢山あります。(全くテレビを見るな!とは言っていません。そこまでストイックな話はしていません。(笑)ですから、そこは気を楽にして捉えてくださいね。)
私自身、子供を出産した直後は人生で一番幸せを感じた時で、夜中一人なのが孤独って感じたことがなかったのですが、こういった個々の心理の違いは、何が原因で生み出されてしまうのでしょうかね~。そこを自分自身で見つめていったほうが何らかの根本解決になるのかもしれません。まあ、分かりませんが……。
皆さんの赤ちゃんは、皆さんを苦しめる加害者なのでしょうか? 皆さんは、赤ちゃんに苦しめられる被害者なのでしょうか? 自分を犠牲者扱いするのは、やめたほうが良いのではないでしょうか? 赤ちゃんに対して失礼だとは思いませんか?(ちょっと私の説明の仕方が下手ですが……。(汗)加害者だと思っていないのは分かっています。)
先ほどテレビのことを通して例を挙げたように、私は授乳中あまりワチャワチャと他のことをしたいタイプの人間ではないので、ただお喋りしたくて集まっただけの人間がペチャクチャ騒々しく喋っていたら、逆にイラつきますね。だったら、一人のほうが、よほど充実感を覚えます。
現実逃避するためではなく、子供にとって良い環境と言える「夜泣き小屋」 って実現可能なのでしょうか~? まあ、色んな人間がいるので難しいでしょうね……。




「夜泣き小屋」に関する漫画のなかには……

『わ~、起きてる人いる~ ひとりじゃないって思える』
『夜泣きの辛いところは ……(中略)…… 今起きてるのは自分だけという気持ちになってしまうことだと思うから (みんな、どこかで起きてる) だから こんな場所があったらなあと今日も考えるのです 』

と書いてあるのですが……
寝ずに起きている人が自分の目の前にいなかったとしても、
夜泣きに付き添って寝ずに起きている人が地球上のあちこちに多数いることは至極当然なことなので、そういう人間が自分の目の前にいなかったら、『みんな、どこかで起きてる』 って思えないのだとしたら、それこそ現実把握能力が足りなすぎて……。
『今起きてるのは自分だけという気持ちになってしまう』 って何の被害妄想なの?って思ってしまうのです。
もし、仮に、『いや違うの! 被害妄想ではなくて、「苦しいよね~!」 っていう共感の言葉で救われるの!』 と言うのならば、なにも夜集まらなくても昼間ママさん同士で話すだけで十分なのでは? と思ってしまうのです。
それ以前に、自分以外にも苦しんでいる人間がいれば、本当に救われるのでしょうか? 『私、餓死しそうだけれど、私以外の他の人も皆、餓死しそうだから大丈夫。』 なんて理屈は成立しないですよね? 一人になってしまうことより、合間合間に全く睡眠が取れていない状況にあるのなら、そちらのほうが問題なので、そういった問題は是非とも改善されるべきだとは思いますが、夜中一人だから孤独だとか、そういう問題に関しては、個人的にはどうでもいい問題としか思えないんですよね。いったいどういうことなんでしょうね~?

まず、一人になることで感じてしまう孤独の原因って何なんでしょうか? 孤独感は、どこかしらで誰もが感じる感情なので孤独を感じる事自体は問題がないのですが、孤独を感じる必要性のないところで孤独を感じてしまうのであれば、何か原因があるはずなんです。
原因を解決しないと、環境を変えても、思考がまた別の種類の苦しみを作り出して、また騒ぎ出してしまいます。自分自身の思考性が苦しみを作り出しやすいパターン(癖)を持っているのにも関わらず、環境を変えたところで意味はありません。何故なら、パーフェクトな状況や環境など、この世のどこにも存在しないからです。(なかには環境を変えた方がいい内容だってありますが……。)
苦しみ(孤独)が引き起こる原因を解明するほうが良いような気がします。自分の思考の癖のようなものを解明していく……。自分自身を観察をしたほうが良いような気がしますね。

自分の目の前で誰か起きている人がいないと皆どこかで起きているって把握(実感)できないといったように、自分の目の前で起こっていることだけしか把握(実感)ができない人間は、他人が抱えているであろう苦しみや状況への感受性や判断能力が鈍いので、この記事上部で挙げ連ねた例と似たような問題点を頻繁に引き起こす可能性が高いので嫌なんですよね。(可能性の話なので、そうなると断言しているわけではありませんが……。)一人でいたら孤独だからってことで皆で集まったら集まったで、今度は、一人でいた時とは別の違う種類の孤独感や悩みや嫉妬を作り出してしまい、どこまでいってもきりがないんですよね。ぐるぐる回り続けるだけなんです。だいたい、そうなることが多いんですよ。残念なことに……。

どちらにせよ、お母さんが全く寝れていないのは、孤独か孤独じゃないか……といった精神的問題以前に凄く身体に悪くて問題だと思うので、こんな方法はいかがでしょうか?
うちの子が赤ちゃんだった時、揺り籠を使うとビックリするぐらい、よく寝たのですが、うちの子だけなのかしら? もしかしたら、うちの子だけなのかもしれないですが、試してみたい方は是非試してみてくださいね……。もしかしたら、赤ちゃんが途中で起きてしまっても、揺り籠を揺らせば、すぐ眠るのかもしれませんし……。
とにかく、睡眠不足は身体に良くないと思うので、全く寝れていない方は、なんらかの対処をしてみてください。私自身、「夜泣き小屋」は否定していても、夜泣きに対応しているお母様方の大変さを否定しているわけではないのです。皆、大変ですよね……。皆、無理をしないように頑張ってください。そして、とにかく寝れるように何らかの対処をしてみてくださいね。

あと、可能な方は、ご家族と一緒に頑張る等の対処をしてみるのもいいかもしれません。
まあ、旦那さんが寝不足になることで仕事に支障をきたす場合は、旦那さんに夜中の協力を依頼するのは止めほうが良いとは思いますが、早い時間に協力してもらって仮眠を取ってみるとか……。(馬鹿男は協力してくれませんがね……。あと、仕事からの帰りが遅い旦那さんの場合も無理ですね……。(;へ:) )

「夜泣き小屋」は、ママさん達の寝不足の解消には繋がりませんからね……。現実性を感じないんです。 m(__)m




何故、人が近くにいれば気持ちが救われるって思うのか、よく分かりませんが、必要以上に他人を期待しないほうが良いんじゃないでしょうか? って思うんですよね。
誰にも助けてもらうなって意味ではありませんよ。『期待しない。』 と 『助けてもらわない。』 これらは同義ではありませんからね……。お互いに助け合いが必要な時だってあります。人間は一人では生きていけません。お互いに助け合ったうえで、そのうえで人に期待をしないほうが良いんじゃないかと、そう思っているんです。
私は、自分が信用している人間に対しても期待なんてしていません。生き方や考え方は人それぞれですし、相手には相手の事情がありますし、今は今の感情がありますから、人が自分の感情を救ってくれるなんて期待したら相手の方に失礼だと思っています。それに、自分自身も人から期待なんてされたくないんです。自由でいたいんです。期待という名の重みを背負いたくないのです。それでも、友達同士、お互いに助け合っているし、本音も言えます。それぐらい仲は良いんです。そんな感じでいいんじゃないかな? って、そう思っているんですよね。
まあ、分かりませんが……。

それに性格の良い人間ばかりではありませんから、さっき言ったこととは別の意味でも期待を捨てる必要性があります。性格の悪い人間に期待をすれば、意味不明なことにしかなりませんから……。性格の悪い人間に注意なんてしたところで反省なんてしてくれませんし、彼等は自分を正当化して他人のせいにして逃げることばかり考えますから、『注意したでしょ!』 って期待するだけ無駄ですしね。

どちらにしても、以下の問題で不可能ですよね?

●そもそもにして、赤ちゃんのお兄ちゃんやお姉ちゃんは、赤ちゃんが、「夜泣き小屋」にいる間どうしていれば良いのでしょうか? たいがい、お子さんは一人ではなく何人かいることが多いのですが、赤ちゃんではない子供はどうしていれば良いのでしょうか?
なんか、上の子が可哀想な結果になりませんか?

●泣いている赤ちゃんを、夜中、家から「夜泣き小屋」に連れ出す際、玄関から車までの間、赤ちゃんの泣き声で騒音被害が発生しご近所に迷惑をかけてしまうのかもしれませんね。この間、赤ちゃんのお兄ちゃんお姉ちゃんも大騒ぎしそうです。そうなれば、余計ご近所に迷惑ですよね……。
それでは、「夜泣き小屋」に救いを求めたはずが、「夜泣き小屋」に行けば行くほど、近所の方々との人間関係に罅が入ったり、申し訳なさが募ったりして、かえって精神的に大変になってしまうのかもしれません。そんなことになれば、子供にとっても良い環境ではありませんし、あまり良い結果とは言えないような気がします。
仮に、赤ちゃんが泣いていない時に連れ出すとしても、それはそれで、『なんか面倒くさそうだけれど、それって、どうなの?』 って思ってしまいますし……。

▼設備等の物理的問題点▼

ここからは、精神面の問題ではなく物理面の問題を指摘させていただきたいと思います。
とは言え、物理面のことは、あまり強い気持ちで指摘する気がないんですよね。
どうしてなのかと言うと、あの「夜泣き小屋」のことを書いた女性だって、個人的な空想を言っているだけにすぎず、本当に「夜泣き小屋」を作ろうとしたら、金銭的にも現実的にも不可能に近いってことぐらい、ちゃんと分かっているんだと思うんです。どの程度分かっているのか、その辺の度合は別にして(大して分かっていない可能性のほうが高いですが……。)、簡単ではないことぐらい多少は分かっているでしょう……。まあ、彼女自身、「夜泣き小屋」のことを書いた記事のなかで、自分で 『妄想なので考えなくて大丈夫……』 と書いているぐらいですしね……。
ですから、ここでアカの他人である私が、間取りや設備や金銭面等の物理的問題を強く批判的に指摘しても意味はありません。ですから、この辺の物理面のところは、熱くなって指摘するつもりがないんです。(まあ、とは言え、精神面の分野も熱くなってはいませんけれどね……。ネット上の反響が多すぎて、『マジかよ~w』 とビビっただけです~。(⌒-⌒))
ただ、一応思いついたことは言ってみる程度の感覚で指摘させていただきます。とくに熱くなっているわけではありませんが、指摘する量は多いかもしれません。その辺のところは、申し訳ありませんが、お許しください………。(-。-;) m(__)m

また、この下で紹介させていただくツイートの内容に関して、私も同様のことがチラッと頭をかすめましたので、ぼくし様のツイートを紹介させていただきます。まあ、ただ、ご本人様が、『妄想なので考えなくて大丈夫……』 だって言っていますから、ぼくし様のツイートに関しても、あまり真剣に捉えてくれなくても良いですけれどね……。

●赤ちゃんの玩具や教材を売りつけるために勝手に入って来る営業マンやその他の部外者はどうするのか?
私が、昔、自営で運営していたエステのお店は、女性のお客様が何人か最奥の個室で全裸になることがあるので、男性立入禁止のお店でした。ところが、時々、自社の化粧品を仕入れて欲しいと願っている営業マンさんが、断りもなくお店に勝手に入って来て、玄関近くの部屋でうろうろしていたことがあったんです。(怒)お客様がいるお部屋は最奥部の部屋だったので、直接的には問題がなかったのですが、お客様が精神的に清々しない気持ちになることに変わりはありませんから、迷惑なのでやめていただきたかったのです。そんなこと、ここで言っても仕方がありませんが、女性だけの空間では、こういったことも気をつけなくてはいけないということです。
授乳中うろうろされたら嫌ですよね? ですから、玄関から入って、すぐの部屋ではなく、分かり辛いところにあったほうが良いとは思うんですけれどね……。
でっ! そうなると何重にも部屋を仕切らないといけないので建築費がかさむってことになりますよね……。(汗)

●「夜泣き小屋」内部の間取りやシステムをどうするのかと言う問題があります。
泣いている赤ちゃんが沢山いたら、他の子の泣き声で自分の子供も寝れなくなってしまい、親子共々かえって寝不足になるのではないか? といった問題点を感じました。
あと、せっかく眠ってくれた睡眠中の赤ちゃん達が眠る場所に関して、皆が同じ部屋で眠っていると、赤ちゃんの誰か一人が起きただけで泣き声が部屋中に響き渡り、他の子も一斉に起きてしまうので、収拾がつかなくなりますよね?
また、周囲で大きな音を立てられても、その人自身が熟睡できてしまうタイプの人間であれば、小さい音で簡単に目が開いてしまう人の体感や感覚が理解できないがために、本人に悪気はないのですが、大きな足音でドタドタ歩いたり、大きな音を立ててバックをガサガサやってしまう人がいたりします。ですから、赤ちゃんではなく相手が大人であったとしても、人が大勢集まると騒音被害に悩まされる人が一部出てきそうですね。お友達と旅行に行って皆で騒いで寝不足になるのならまだしも、こんな場所で人の動く音に悩まされたら、空間として、ただただ無意味なだけです。
また、さらに言えば、沢山の赤ちゃんの泣き声が響くような環境のなかに、赤ちゃんを連れて行って、赤ちゃんの気持ちが安らぐのだろうか? といったところにも問題を感じました。『私はひとりではない。』 という母親側の安心感のためだけに、赤ちゃんの側が犠牲になるのはどうでしょうか? 赤ちゃんの側にも感情はあるわけで、そこは、しっかり考えなくてはいけないような気がします。
あと、赤ちゃんのお兄ちゃんお姉ちゃんは、どうするべきなのでしょうか? たいがい、お子さんは一人ではないですよね。赤ちゃんが大多数大勢集まることによって発生する騒音被害から彼等を守るために、お兄ちゃんお姉ちゃん専用の部屋を造るのか? また、お兄ちゃんお姉ちゃんだって子供ですから我儘言ってぐずったり大きな声で喋ってしまったり色々してしまうと思うのですが、彼等が発生させる騒音被害から、他の家族の赤ちゃん達やお母さん達を守るために、彼等専用の部屋を造るのか? それとも、赤ちゃんと一緒の部屋で眠るのか? それによっても施設内の部屋数・間取りが変わってきてしまいますよね。まあ、ただ、お母さんの傍でないと寝ない子が多そうですから、これへの対策は、かなり難しそうですね……。(;へ:)
結局、総合的に考えると、皆で一つの部屋に集まるなんてことはせずに、来院した直後の段階から家族ごと個別に仕切られた防音個室で過ごすみたいな形にしないと問題が有りそうですね。そうしないと、かえって、皆の気苦労が増えそうです。そして、トリプルガラスなどの防音性の高いガラスで、お互いの状況が見えるように壁をところどころ少しだけ開けて、誰か起きている人が見えるようにして、『私は、一人ではない。』 と実感してもらえるようにすれば良いのでしょうか? (笑)(人とペチャクチャ喋っている場合ではありませんから、個室で区切られていて人と話ができなくても、それは問題ではないでしょう。問題に感じる人がいるならば、何か目的を極端に履き違えているように感じます。)もちろん、ガラス箇所はカーテンつきで、寝る時など、その他、状況的に人目を避けたい時には閉めることができるといった状態にしておけば精神衛生上問題がないのでしょうか? また、夜泣きのことに関して何か相談したいことがあるという時だけ、その時限定で、院内の電話のようなものを使用して会話する、もしくは、チャットを可能にする、といった状態にすれば良いのでしょうか? (まあ、お母さん同士で相談に応じてもらうのか、専門家に話を聞いてもらうのか、この辺によっても、状況は違ってきてしまいますけれどね……。)
まあ、他にも解決策はあるでしょうが……。
仮に、何かの形で色々対処することによって、ある程度問題を回避することができたとしても、部屋数が半端ない数、必要になりますし、設備もかなり必要になってしまいますから、建築費や設備費といったものが物凄いことになりそうですね……。結果、不可能ってことになる可能性のほうが高いですよね。(;へ:)

●赤ちゃんのお兄ちゃんお姉ちゃん用の子供用の玩具や教材・本等は置いておくのか、置かないのか? それ以外にも色々考えなくてはいけない物が沢山ありますよね。
各自自分でおもちゃを持参するとなると、他家族との間で何らかの格差が出て、子供同士の間で妙な心理的が発生する可能性がありますよね。まあ、無い物ねだりというか、人の物が欲しくなる可能性があります……。そういった何らかの格差を目の前にしても上手に仲良く遊ぶ技を身に着けることは大事なことなので、昼間であれば、子供同士の人間関係の学びとして、大人がそれを見守ることは大事だと思うのですが、赤ちゃんの夜泣きに疲れているからこそ皆で集まっている「夜泣き小屋」という空間において、そんな余裕のあることをしている場合ではありませんから、子供同士が喧嘩になる材料になりそうな玩具等の持参は、もしかしたら、禁止したほうが良いかもしれませんね……。結果的に、子供用の玩具や教材・本等は、設備として先に置いておいたほうが良いのかもしれません……。
私は、モーメントの漫画のなかにあった『お母さん達用の色んな飲み物や美味しい食べ物』 のことより、こちらのほうが気になりますね。母親の食べ物に関しては、『遊びに来ているんじゃないんだ。自分の家で食べて来なさい。もしくは、自分で持って来なさい。』 としか思えないんですよね。べつに余裕があれば、こういったお母さん用の飲食のスペースを儲けても良いのでしょうが、他に色々設置しなくてはいけないものがありますから、たぶん金銭的に難しいでしょうね。
お母さん用の食べ物を売って運営費に回す、一石二鳥! みたいなノリで行っても良いのかもしれませんが、毎日夜中にオヤツを食べていたら身体に悪そうだし、太るし、お母さん個人個人の出費も堪らないことになります。それに、毎日お金をパラパラ使っていたら、それこそ、そのうち旦那さんに怒られて、「夜泣き小屋」へ行くのは禁止されそうです。結果、みんな、どうせ常識範囲内の買い物しかしないんだと思うんです。それでは、施設の運営費には到底届かない……。
まあ、紙おむつや粉ミルク等その他、子育てに必要な様々な物品を売れば、皆がついでに買えて助かるし、どうせ買わなくてはいけない必要な物だから、お夜食やオヤツと違って無駄遣いにもならないし、意外と運営費の足しにもなって良いのかもしれませんね。それに、お母さん達が、赤ちゃんにとって必要なものを、お家に忘れ物をしてしまった時にも、たいがいのものは買うことができるので、とても便利な空間になるでしょう……。まあ、ただこれ、利益率が悪すぎですけれどもね……。ですから、結局、ボランティアかお遊び程度のものにしかならないでしょう。「夜泣き小屋」利用者のお母さん達だけではなく、普通に一般客への物品販売も兼ねれば良いとは思いますけれどね……。子供服から玩具から絵本・子育て用品まで子供に関する物品は、だいたい全て扱っているぐらいにすれば良いのかもしれません。
こういった商売をしていた場合、「夜泣き小屋」 へ置く子供用品や玩具などの設備は、定価ではなく仕入れ値で購入できるので、「夜泣き小屋」の準備資金が少しだけ楽になりますね。あくまで、少しだけですけれども……。
それと、有料の夜間の託児所を造って、その託児所の一部のスペースを防音室で仕切って無料の「夜泣き小屋」にしてみるとか……。有料の託児所にはプロの保母さんがいるわけですが、その保母さんに「夜泣き小屋」の管理もついでにしてもらうとか……。無料の「夜泣き小屋」 のためだけに管理人を置くのは、人件費が辛すぎますし、それに、素人に「夜泣き小屋」 を管理してもらうよりは断然良いでしょう。こういった状態のほうが、無駄話をするためだけに集まる人の人数が少しだけ減りそうです。あくまで、少しだけですが……。(ただし、有料の託児所と「夜泣き小屋」を同時に同じ場所で運営することを、現状の法律で許されるのかどうかも知りませんし、そもそもにして、一秒で考えついた案なんて当にもならないので、本当にやるなら、もっと何年かかけて案を練る必要性があるとは思いますけれどね……。まあ、その前に、あまり必要性と現実味を感じていないので、法律を調べる気にも案を練る気にもなれませんが……。)
あと、ベビーシッターや家政婦等その他、子供に関連する仕事の内容を複数取り入れてみるとか……。基本的に、こういった業種は完全歩合制なので、お客様から仕事の依頼がなかった時に、人件費の問題に苦しまされなくて良いですよね~。まあ、多少他の問題は、ある程度発生するでしょうが……。
他にも子育てに関連性のある商売を複数どう組み合わせていくのか? といったアイディア勝負になってしまいますね。でないと、月々赤字運営で金銭を回すことができくなってしまいます。
とは言え、先ほど説明した案は、私が数秒程度で考えたいい加減なもので、大して考えずに言ったので、絶対に真に受けないでくださいね。この程度では、構想が雑過ぎて絶対不味過ぎますから……。
まあ、なんだろう、それ以前に、『夜泣き小屋」の必要性を感じていないのに、なんで中途半端に案を出したんだ?って話にもなってしまうんですけれど……。

数秒で案が思いつくほど、私自身、頭は良くありません。
実は、こういうことだったんです。
▼▼▼

先程のような話を、何故、数秒で思いついたのかと言うと……
私が子供だった頃、私の母は、知的障害者である我が子(私の兄)の子育てに疲れ果てていました。私の兄は、子供の頃、多動症で動き回って夜全く寝ませんでしたから、それで、当然、母も私も寝不足になってしまっていました。この記事で兄の状態に関して沢山実例を挙げてもキリがありませんから、兄の状態に関して詳しい説明は他の記事でするとして、ここでは一部のことだけ例に挙げることにしますが、例えば、兄は、車のなかでうんちを漏らしてしまったことがあって、パンツに手を突っ込んでうんちを粘土代わりにして遊び始めてしまい、母の頭の上に乗せてこすりつけたり車の椅子にこすりつけたりして、他にもやることに際限がありませんでした。ほんとキリがなかったのです。(涙)
障害者の子育てに疲れ果てていた母を見ていた私自身も精神的に苦しかったので、『同じ場所に様々な種類のお店が各種建ち並んでいれば、母が車であちこち移動をしなくても一か所で必要なものを全て買うことができる。それなら、今より少しは母が楽になれるのかもしれない! 』 って思ってしまったことがあり、子供時代、『いずれ、一箇所に全ての種類のお店を集めたものを運営してみたい!』 なんて考えてしまったことがあったんです。つまり、先ほど上で私が説明したことと一部部分的に似ているビジネスを考えてしまったことがあったんですね。そういったバックボーンがあったので数秒で頭の中に雑な案が浮かんでしまっただけなんです。(『一部部分的に似ているビジネス』 ……っていうのは、「夜泣き小屋」のことではありませんけれどね……。)
すでに頭のなかに何パターンかビジョンがあったので、思いついただけなんです……。先に何もビジョンがない状態で、数秒で思いつくほど、私自身、頭は良くありません。(笑)って言うか、これが一番言いたかったのです。この四角い枠の中で語られる話の本題は、『数秒で思いつくほど頭は良くありません。』 ってところなのです。これ以外本題はありません。
ここから先の話は、一応ついでに、子供の時代、頭のなかにどんなビジョンがあったのか説明していこうと思っているだけです。何故なら、『同じ場所に様々な種類のお店が各種建ち並んでいれば…………。』 と私に説明されたところで、『それって、どういう状態のことを言っているの?』 って意味が解らないんだと思うんです。意味が解らないと思うので、一応この先で、子供時代、頭の中に、どんなビジョンがあったのか、大雑把に説明していこうと思っているだけです。
ただ、私が子供の頃はネットが当たり前の時代ではありませんでしたから、調べ物なんて簡単にはできませんでした。ですから、本当に必要な知識なんて何一つなかったんです。(今でもよく分かっていませんが……。)ですから、単なる子供の空想でしありませんでした。今から話すことは、所詮子供の空想レベルのものでしかありませんから、真に受けずお遊び程度の感覚で聞き流してくださいね。

当時、案としては、こんな感じでした。
食材売り場(スーパー)・薬局・ホームセンター・子育て用品店・100円ショップ・文房店・託児所・ベビーシッターや家政婦・介護系の各種施設や介護用品のお店・電気屋・家具屋・美容院・その他様々なもの・そういった様々な種類のお店が、広大な土地一箇所に全て集まっていて、なおかつ、駐車場は広大な土地一箇所を全てのお店で合同で使用する。そうすることで、お客さんが一回車から降りた後は他の店の駐車場へと移動するなんてことはしなくても、先ほど車を止めた場所から動かなくて良いみたいな、そんな場所があれば、母の負担が少しでも少なくなるのではないか? と思っていたんです。何をするか分からない障害者の子供を抱えながら他のお店へ移動するために車を乗り降りするのは、他の方が想像する以上に大変です。(当時、100円ショップなんて類のお店はなかったので、100円ショップに関しては、今現在の私の希望として、私がついでに書き足しただけなのですが……。当時、100円ショップではなく、100円で物を売りに来るテント型の移動店舗みたいなものはありましたけれどね……。売っている商品の内容は大したことありませんでしたが……。それで、しばらくすると、お店ごといなくなるんです。笑)
あと、欲を言えば、そういった店舗が立ち並ぶ真横に公園付きの巨大な住居用賃貸マンションを建てて、お年寄りや障害者等困っている方々を優先的に入居許可していく……。当然、間取りはお年寄りや障害者が使いやすいように動線を吟味した形にするし、多少の設備は先に設置しておく(人それぞれ症状や障害の内容が違うので、間取りをいじり過ぎたり設備も設置しすぎたら駄目ですけれどね……。)。障害者は思うように動けなくて、どこかにぶつかってしまったり大きな音を立ててしまうことがあるので、精神衛生上、住居者同士皆が住みやすいように壁を厚くして防音対策はしておく……。先ほど説明した各種店舗群の中には当然介護用品を販売しているお店も連ねておく……。……みたいな……そんなマンションを造りたい……って考えてしまったことがあったんです。そうすれば、車のないお年寄りや障害者の方でもなんとかなるし、頭がボケていて買い忘れがあったとしてもなんとかなるし、どこか用事で出かけた帰り自分の家に戻る途中で買い物ができるから、労働や時間の負担が多少減少するんじゃないか? って思ったんですね。
最初、マンションの一階部にも店舗スペースを作ったらどうかと考えたんですが、これは、色々考えた結果、案として無しにしました。何故なら、住空間の近くを部外者がうろうろするのは住んでいる方々が落ち着かないだろうと思ったからです。住居二階部のベランダから店舗のお客様と目が合ってしまうのも落ち着きませんし、そもそもにして、障害者や病人やお年寄りや介護者といった方々は、身体が思うように動かないだけではなく、やることが多すぎて生活していくのが精一杯な方が多いので、ちゃんと身なりを整える余裕がないことが多いのです。そういった方々からしたら、外部の人間とあまり接触したくないでしょうから、住居スペースと店舗は、完全に空間を切り離し真横に隣接させる形にしたいと考えたんです。

まあ、実際、障害者の方々からアンケート取ったり色々調査したり、防音とか設備とか建物のお勉強をしたり、法律調べたり、そんなことをして具体的に構想を練り始めたら、最初の計画図なんて変化してしまうのは当然なんですけれどね……。それでも、多少、建物に関しては色々調べて回ったことがあるんです。ww

そういったマンションがあれば、健常者にとっても便利そうだけれど、身体の弱い人間や色々と事情を抱えている方にとっては、便利がどうこうとか言う話じゃなくて、せめて、それぐらいの環境や設備は先に整えておかないと生活なんて一切回らないってぐらい追い詰められてしまっているんだと思うんです。そして、仮に、それぐらい整えておいたところで完璧にはならないってぐらい追い詰められしまっているのも事実だと思いますし……。
こんな風にお店が集合している場所が有れば、母以外の人も助かると思ったんですね。きっかけは、母のことだったんですが、同じように困っている人って母以外にいると思ったんです。それで、やっぱり、皆に救われてほしかったんですね……。
あれから10年以上経って私が20代になった時(今現在、アラフォー40歳前後ですが……。)、同じ場所に様々なお店が集まっている場所が実際に数カ所できたんです。心の中で、『発想として考えることは皆同じなんだな~。そりゃ~、そうだよな~。単なる子供だった私が発想できたことぐらい、大人でビジネスをやってきた経験のある人間なら簡単に思い付くよな~。実際にやるのは資金やその他の問題で簡単ではないだろうけれど、金を持っている人間ならやるよな~。便利そうだから需要があって人が沢山集まって来そうだし、それほど運営として空回りはしないだろうな~。』 って思っていました。(事実、めちゃめちゃ繁盛していましたよ……。って言うか、当然繁盛しますよ~。障害者を抱えていなくても、健常者だって、皆が『便利だ~!』ってなるのは、当然のことですからね。)
まあ、私が発想したようなマンションが現実にないにしても、それ以外の希望するものが、すでに有るのならば、私が造る必要性はないですからね……。ですから、それに関しては、見たと同時に『やりたい。』 という願望が消えました。他の人がやってくれるなら、それこそ、私にリスクが無くて良いですからね……。余計なことはしないほうがいいんです……。マンションまでやったら、大変そうだな~、もと取れるのかな? って思っていましたからね……。だって、私が考えたようなマンションって建築費が半端ないことになりますから、どうやってもとを取るか? って話になってしまいますし……。まあ、これに関しては、大したビジョンがないので、ただの空想の領域で、実際やろうとしたら、かなり難関ですからね……。まあ、金があったら、もとが取れない(利益がない)こと承知のうえでやるかもしれませんが……。(ちなみに、関係ない話ですが、私の祖父は、工場とマンション経営者でしたけれどね……。祖父から案をもらったわけではありませんよ。祖父は、私が幼児の頃から病気で寝込んでいたので、小学校の頃、毎日のように病院に見舞いに行っていたことはありますが、一緒にお話ってしたことがないんです。祖父だったら、私よりもっとレベルの高いことを考えたんだと思うんです。あなた人間ですか? って言いたくなってしまうぐらい物凄い頭のキレる方でしたからね……。)
ただ、これって東京や京都等その他の都市でやるのは、不可能に近いでしょうね。何故なら、広大な土地が必要なのに、広大な土地がもうすでに埋まってしまっていて空いていないからです。どこかの都市でやるなら、デパートのなかで似たようなことをやるしかないですが、デパートのなかに存在するホームセンターや電気屋や家具屋なんて規模が小さすぎて、あまり役に立たなそうです。私が生まれ育ったところは、田舎だから土地が大量に余っているくせに人口密度が高い! みたいな美味しいところだったので、ああいった規模のでかいことを展開できたんだと思います。たぶん……。(まあ、ただ、私の生まれ育った地域は、全く別の角度から見た時には、物凄く商売がやり辛いところみたいですけれどね……。『この◯◯県で、商売成功できたら、他県に行った時は、もっと発展する。◯◯県で商売成功させることができた人間は、ものすごい根性がある人間だ。』……なんて他県の方々から文句言われてしまうような、そんな難しさを抱えた地域だったんです。まあ、私、他県の人間ではないから、その辺よく分かりませんけれどね……。)
ちなみに、京都のお店も一個一個の規模が小さくて、引っ越してきた当初はビックリしましたね。京都の中の一番大きな100円ショップですら、私が生まれ育った地域でなら小さい店舗の分類にカテゴリー付けされてしまいます。これは、大きな店舗を建築できるほどの土地が空いていないので、仕方がない現象だと思います。大きい店舗のほうが、品数というか商品の種類が多くて助かるんですけれどね~。まあ、そうは言っても、こればかりは仕方がありません。誰が悪いわけでもありませんからね……。(⌒-⌒)

労働量を比較することに意味はなくて
自分自身が納得できているかどうかが重要

私の兄は、実父の虐待と医療ミスが原因で、かなり小さい頃に知的障害者になってしまいました。

兄は、いつも私の頭を撫でてくれて笑って抱きしめてくれました。彼は、正真正銘折り紙付きのシスコンだと思います。(変な言い方ですが……。)私も、兄のことが大好きでした。
私自身、理屈抜きに、兄の存在には、ただただ、いつも精神的に救われてきたので、そういう意味では兄の存在って私にとってプラスのほうが大きかったのですが、介護をしなければならなかったというところに関してだけ言うなら、物理的にも身体的にも本当に本当に大変でしたね。これに関しては、本当に家族皆で生きるか死ぬかの状態になってしまったのは事実です。

兄は、20代終わり頃になってから落ち着いて寝てくれるようになったので今は大丈夫なのですが、若い頃夜全く寝てくれませんでした。一睡もしてくれなかったのです。数日後にうつらうつら昼間寝始めたりしますが、なんで数日間通しで寝ずに起きていられるのか、その理由が、まったく分かりませんでした。
つまり、介護者である我々は、仮眠すら取ることができなかったのです。(いや、母と私交代で、どっかで仮眠を取ってはいましたけれどね……。ただ、赤ちゃんの夜泣きに対応している時のほうが、まだ寝ることができました。だからと言って、夜泣き対応の大変さを軽視しているわけではないので、その辺は勘違いしないでくださいね。)
兄は、子供の頃、施設でも夜中寝なかったので檻の中に閉じ込められていて睡眠薬をうたれていました。鍵をかわれていたのが可哀想でしたね。

兄の知能指数は、だいたい一歳児程度です。夜泣きをする皆さんの赤ちゃんと、ほぼ変わりがありません。

ですが、赤ちゃんが寝ないのとはわけが違います。
赤ちゃんの身体は小さいので、カミソリや薬品・洗剤のように赤ちゃんにとって危険な物は、赤ちゃんにとって高くて手の届かないところに置けば、赤ちゃんを危険から守ることができます。また、生肉や冷凍食品のように食べたら身体の害になる物は、冷蔵庫や冷凍庫といった適切な場所に保管すれば、赤ちゃんが口に入れてしまうような危険な事件は起こりません。
ですが、兄は、赤ちゃんではなく大人なので身体が大きいですから自由に動き回ることができます。ですから、そういった方法は、兄の場合、全く通用しないのです。勝手に扉を開けて出して触れてしまいますし、勝手に冷蔵庫を開けて食べてしまいます。ですから、扉や冷蔵庫には必ず鍵をかけておく必要性があるのです。兄を危険から守るのは、小さな赤ちゃん以上に何百倍も困難なのです。(-。-;)
ただし、鍵をかければ、今度は他の家族が不便でなりません。冷蔵庫にかけられた鍵は、調理中、冷蔵庫を開けたり閉めたりする度に、私をどれだけ苦痛にさせたか分かりません。
それから、物を投げて壊すし、食べ物だって投げるし、冷蔵庫の後ろには兄が投げた物や食べ物が溜まりに溜まって、カビが生えていたりしました。料理中にも兄は手を出してくるので、生肉等、その他食べたら害になる物には目を光らせていなくてはいけません。来客が来たことで玄関のチャイムが鳴っても無視しなければいけませんし、料理中にトイレに行くことすらできません。そんなことをすれば、調理台の上に乗っている調理途中の食材を全て兄に食べられてしまいます。『全て』 と言っているのは、大袈裟な話ではなく、兄は過食症なので5合程度のご飯なら簡単に短時間で夷らげてしまうぐらいですから、調理中の食材だって、そうはもう短期間で夷らげてしまいます。
ましてや、兄は、陸上の選手ですら『彼に追いつけない。』 と溜息をつかせたほど足が速いですし、警察官ですら『我々は、仕事上、普段身体を鍛えているんです。その我々が6人で捕まえようとしても見事に躱されてしまって捕まらなかった。普段、女性だけで、どうやって介護されているんですか?』 と語っていたぐらい身体能力が異常なんです。そんな、身体能力異常な兄に対して対応するとなると、もう、調理中は必死で、ある意味戦争でしたね。
※:(まあ、とは言っても、警察官は兄を必死で追いかけ回すので、兄が怯えて逃げ回るから捕まらないだけなんですけれどね……。兄は、追いかけ回したりしなければ逃げません。その何ヶ月後かに、また兄が行方不明になってしまって警察の世話になってしまったことがあるのですが、その時には警察官の皆様にこんな注意事項を伝えさせていただきました。『兄は追いかけたら逃げます。そうなったら、どんなに身体を鍛えている運動選手でも兄には勝てません。ですが、笑って「大ちゃん~?」と兄の名前を呼びながら微笑めば、兄の方から笑って近づいてきます。とにかく大事なのは、柔らかい笑顔なんです。それさえ気をつけていれば、兄は簡単に保護できます。申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。』 と、そんな風に警察官の皆さんに注意事項を伝えてありましたので、その時には、全く時間がかからず無事簡単に兄は保護されました。結局は、鍛え上げた屈強な体力があるかどうかではなく、兄の性質を知っているかどうかのほうが重要なんですよね。)
まあ、知的障害者であるが故に、自分の取っている行動が危険であるという自覚ができず、恐怖という感情を感じ辛くて、3階の細いベランダの手すりの上を走ってしまったり、危険で過激な行動を沢山取ってしまうのかもしれません。そうやって危険で過激な行動を沢山取ってしまっているうちに、サーカス団員みたいな華麗な動きができるようになってしまったのかもしれません。あれは、健常者ではなく知的障害者だからこそ身についてしまった能力なんだとそう思います。そう考えないと不思議過ぎて精神衛生上良くないので、そう考えることにしています。(まあ、危険な行動を取らないように注意して見てはいたんですが、兄の速度についていけないので、たまに、『あっ!不味い! 』 ってなることがありましたね。(汗))
サーカス団員並みの身体能力を持った一歳児なんて、冗談じゃないぐらい手がかかります。赤ちゃんは、動けないから手がかかるのではなく、動けないから、まだ安全なんです。社会的常識や知能がないのに、華麗に動けてしまったら、逆にとんでもないことになります。

ちなみに、私が16歳ぐらいの時からですかね? 家事炊事全般は私の担当でした。
それまで、母が、病気の祖父の看病と兄の介護と仕事と家事炊事を、全てとは言わないまでも、ある程度全てやっていましたから、私自身、『これでは、母がそのうち倒れる。』 と心配になり、『もういい止めて。私がやる。』 と、家事炊事全般、私がやるようになったんです。もう一つの理由は、母が、常に『私は仕事が忙しくて、かず君(7歳歳下の私の弟)の面倒を見てあげることができていない。』 と愚痴を頻繁にこぼしていたので、『ならば、私が代わりに家事炊事をやれば、母が弟と関わる時間ができるのでは?』 と思ったのです。

ただ、家事炊事全般やっていたと言っても、私は子供の頃から病弱だったので、速く動けなくて、兄に適切な対応ができませんでしたけれどね……。(-。-;)
そうですね、どれぐらい動けなかったのかと言うと、学校の体育の授業で跳び箱を飛ぶことができなかったり、バトミントンの羽を打ち返すことができなかったり、その他何もできませんでした。たいがいの運動は、ほとんど何もできませんでしたね。学校では動けないことをクラスメイトに笑いの種にされるぐらい全く動けなかったのです。体育の成績は、10段階評価で1でした。(笑)(まあ、ただ、笑い者にされたことは、今となっては自虐ネタというか笑いのネタでしかなく、べつに何とも思っていないんですけれどね……。(笑))
大人になってから、就職するのに自動車免許が必要だったので、自動車免許を取りに行ったら、平衡感覚を失っていたので、原付きが操縦できませんでした。まあ、ただ、平衡感覚を失っていたのは、子供の頃からで、大人になってからではありませんでしたけれどね……。ただ、こういった例を出したほうが、どの程度失っていたのか度合いが分かりやすいと思いましたので、免許の例を出してみたんです。ただの例です。
まあ、そんなこんなで酷く体調が悪かったんですが……。
それでも、動けないからと言って、まさか、兄のことや家事炊事のことを放置するわけにはいきませんからね……。

母は母で本当に手がかかる人でしたね。大変困らされました。っていうか、母の行動のほうが兄の行動より、私にとっては心理的消耗が激しかったんです。
祖母は、母を虐待した人ですが、虐待をしただけではなく、母が他人から嫌われるよう望み、それを実現化させるために、母が問題行動を取るように、母が子供の頃に、母を教育(洗脳)してしまいましたからね……。そのせいで、母は問題行動が多いのですが、そういった行動を取っている母自身に悪気なんて全くないんです。自分の行動がどれだけおかしいのか、その行動を取ると、どれだけ人に迷惑がかかるのか、全く分かっていなかったところが非常に可哀相な人でしたね。私の祖母は本当に本当に罪深い人です。(;へ:)
そういった行動を取ると、結果的にどうなってしまうのか、何年かかけて母に説明したんですが、母自身、自分が人に迷惑をかけていることに気付いて以来失望してしまって、かなり可哀相な精神状態になってしまいました。母は誰かに迷惑をかけたいなんて望んでいませんでしたからね……。人生の大半を棒に振る結果になってしまいました。本人が望んでいない結果が、洗脳によって起こってしまって、母は本当に哀れな人だと思います。(x_x;)

私にとって、結婚後と出産後は子育てが大変だったという印象より、むしろ、実家を離れて今まで背負わされてきた負担や地獄から解放されたという感覚のほうが大きかったんです。とにかく、独身時代より結婚後のほうが楽だったんです。

でもね、独身時代と出産後を比較して、出産後のほうが労働的に楽だったから問題ないって思っていたわけではないんです。たしかに、精神的にも労働量的にも、独身時代より出産後のほうが何百倍も何千倍も楽だったのは事実なのですが、労働量なんてものを当時比較対象としていたわけではないんです。

私の母って、関係ない他人の問題まで、我が家にわさわさ持ち運んできてしまうので、自分達家庭内の問題だけでは終わらず、『なんで私は他人の家庭の問題に振り回されているんだ? 』 『何故、私とは無関係な人間が引き起こした無関係な問題の処理を、当然のように私に背負わせるんだ? しかも、自己中心的であるが故に引き起こってしまった問題だから、自業自得としか言いようがないのに……。そんな人間のために助けてやる余力は残っていないのに……。何故、こんなことに……。 』 って不思議な感覚になってしまっていたんですね。私の母が必要ない余計な問題を我が家に持ち運んで来てしまうので、我が家の状況は地獄化していってしまっていたんです。
私の母は、育った環境が悪く、自分自身が命令ばかりされて生きてきたので、そこに対して、妙な感情の麻痺があり、親しき仲にも礼儀有りということを分かっていないので、私の自由意志も同じく尊重してもらえず、母は他人の問題や様々な問題を当然のように私に背負わせてしまうんですよね。(さっきの洗脳の話とは関係がありません。)でも、私は便利屋ではないんです。どちらにしても、こういう扱い方をされるのは困るんですよね。
母のことは愛していましたから、母だけのことなら、まだ、面倒事を背負い込まされても納得できるんですけれどね……。だた、余計な関係ないことまで、やりたくないんですよ。相手が誠実な人ならまだしも……。
あの時、母には『自分の頭の上の蠅を追え……』ということを教えなくてはいけませんでしたね。それ以外にも、様々な問題行動を取るので、毎日毎日、色々なことを言いかけなくてはなりませんでした。人生の大半をその労力に使ってしまったようなものです。

親育てって報われないんですよ。相手は大人ですからね……。私が注意したところで、私が子供のうちは、母親は自分のほうが正しいと思っていますから、私を悪い子扱いしてキレるだけですし、上下関係で言えば勝てませんから、母親の世界観で完全に世界が回ってしまいますからね……。
まあ、ただ、ひたすら説明を続けて、長年の積み重ねで、最近では、母自身、自分が悪いということを自覚しはじめてくれて、何年か前に、『うちは、親子の立場が逆転している。娘のほうが親である私のことを世話して説教してくれて……。親が馬鹿なせいで、娘のあんたに苦労かけて申し訳なかった。』 と母は私に対して頭を下げてくれるようにはなったんですけれどね……。
でも、相手が大人だと色んな感情が邪魔して長い年月がかかってしまうので、難しいんですよね。
相手が子供なら、まだ可愛げがあるんですが……。子育てって、もちろん大変なんですが、そのなかでも、やはり癒やしや励みもあるんですよね。労働の量の問題ではないんです。労働量の問題を比較しても意味はありません。自分自身が自分のやっていることを納得できているかどうかの問題なんですよね。子育てって、母親である私自身のやるべきことであって、余計な荷物を背負わされているのとは違いますし、自分は母親だから、当然、やるべきことがあるってだけですからね……。(まあ、もちろん、誰かに協力してもらうべきで全部一人でやる必要性はないんですが……。(*^-^) )

それから、兄の介護は、それはそれで、確かに大変でしたが、私は兄のことが大好きでしたし、兄の介護は自分がやるべきこととして精神的に受け入れることができていましたから、どこかで苦しみも受け入れることができていたんです。全く苦しくなかったという意味ではありませんよ。物凄く苦しかったけれども、その苦しみを当然のこととして受け入れることができていたという意味です。
結局は、人間、自分の行動の理由を、ある程度納得できているか、いないか、の問題でしかないんですよね。納得できていたら、苦しいことだって頑張れるはずなんです。まあ、そんな単純な問題ではないんですけれどね……。それでも、平たく大雑把に言ってしまえば、そういうことになります。

※: ただ、旦那さんは旦那さんで母とは違う意味で問題を抱えている人だったので、結局結婚後も、しばらくしたら大変になってしまったんですがね……。性犯罪前科2犯の前科者だったので、まあ、色々あったんです。(笑)(離婚しましたが……。(笑))

ところが、私自身、そのうち持病が重度化して寝たきりになってしまい、子育てですら、まともにできなくなってしまったんです……。
これが人生のなかで一番悲しいことでしたね……。我が子(赤ちゃん)を自分の胸に抱き入れている時は幸せだったのに、我が子に充分なことをしてあげられなくなってしまったことが、物凄く苦しかったのです。病気で身体が苦しいからこそ苦しいのではなく、我が子にしてあげたいと思っていたことが何もできなくなってしまったことが、苦しかったのです。

私は、病気で体調が悪くても、子供の頃はなんとか頑張って家事炊事をしていましたし、大人になってからだって結婚前は頑張って誤魔化し誤魔化し仕事はしていましたし、出産後は赤ちゃんの夜泣きが大変だって感じたこともありませんから、そんなに精神は弱いほうではないと思うんです。それほど強くはないけれど、ものすごく馬鹿だけれども、かと言って、弱くはないと思うんです。
それでも、病気が悪化して重度化してしまえば完全に動けなくなってしまうんですよね。

人生、様々な苦悩を覚悟したところで、何かを乗り越えようと努力したところで、何も報われず、当たり前のことが当たり前に起こっているわけではなく、ただ異常なことが起き続けてしまうことだってあります。それを孤独と言うのならば、まだ理解ができますが、夜泣きに対応して一人になることの何が孤独なのでしょうか? 同じ女性として、同じく母として、全く理解ができません。

だからと言って……
私より皆さんの状況のほうが問題が軽いから、その程度大したことないって軽視しているわけではありませんよ。問題と問題の度合いを比較しても意味はないんです。
例えばですが……
あちこち骨折している方と一箇所骨折している方とを比較して、一箇所だけ骨折をしている方に、『あなたは、あの人より怪我が軽いから病院に行かずに元気に仕事しなさい。我慢しなさい。』 なんて言っても意味はありません。それを言えてしまうのであれば、ただの精神異常者でしかありません。怪我が誰かより軽かろうと怪我をしたならば手当をするべきで無理をせず休むべきなんです。また、難病患者と風邪をひいている方とを比較して、風邪をひいている方に、『あなたは、あの人より病気が軽いから頑張って仕事をしなさい。我慢しなさい。』 なんて言っても意味はありません。やはり、これも、実際に言えてしまうのであれば、ただの精神異常者でしかありません。軽かろうが何であろうが、病気になった以上は、こじらせないために休むべきなんです。
『皆さんのほうが私より状況や問題の深刻度が軽いのに、なんで、その程度のことが我慢できないの?!』 なんて下らないこと言っているわけではないんです。

ここで一つ注意事項を入れさせていただきます。
私は、この記事の最初のほうで、枠線の中に書かれた引用文と同じものを書かせていただきました。

私は、けっこう困難な状況を抱えているタイプの人間なので、『ananさんの苦しみに比べたら私の苦しみなんて大したことがないから、自分の程度の悩みで落ち込んでいるなんて申し訳ない。』 と言われることが多いのですが、私は、それを言われることが、あまり好きではありません。何故なら、比較の原理からは本質的な解決なんて導き出されないからです。

この記事の最初のほうで言っている『比較の原理からは本質的な解決なんて導き出されない……。』 という話と、ここで言っている『問題と問題の度合いを比較しても意味はないんです。』 という話は、かなり意味合いが違う話なんです。まあ、記事の最初の方でも既に述べた通り、『比較の原理からは本質的な解決なんて導き出されない……。』 といった話の説明に関しては、他の記事で書かせていただきますね。たぶん、メインブログのほうに書くんじゃないかと思うんですけれど……。
念のため一応注意事項を書かせていただきました。注意事項終わりです。話を元に戻させていただきますね。

赤ちゃんの夜泣きって、ただの本能で当たり前に起こることでしかありませんよね。何か問題が起こってるわけではないですよね。皆さんが自分で選択して赤ちゃんを産んだんですよね。仮に、望まない妊娠だったとしても、最終的に自分で選択して産んだことに変わりはないんですよね。自分で決めて産んだんですよね。ただ、当たり前のことが当たり前に起こっているだけですよね。そんなことも覚悟せずに産んだんですか? って話なんですよね。(x_x;)
『眠い~。辛い~。身体が大変~。』 って言っているだけなら、まだ可愛いんですよ。なんの問題もないんです。『あなた達のほうが、私より何百倍も楽じゃない! 兄の介護の時のほうが、もっと大変だったんだから……。』 なんて言い方はしませんよ。『そうですよね~。眠いですよね~。大変ですよね~。』 って同意の返答を返します。大変なことに変わりはないと思いますので、完全なる同意の言葉で全肯定します。
でもね、言っている言葉は、単純に『眠い~。辛い~。身体が大変~。どうにかしたい~。』 ではなくて、『夜一人だと孤独。ママさん同士皆で集まりたい。』 って言ってくれちゃうんですから、なんか違いますよね? 孤独ってなんなんですか? 赤ちゃんに失礼じゃないですか? 皆さんは、赤ちゃんの犠牲者なんですか? って話なんですよね……。(;へ:)

その前に、皆で集まると、なんか解決するんですか? 寝不足の問題や様々な問題を家族でお互いに見つめ合う等その他、現実的に一番重要な問題が野放しになったままなんですが……。(x_x;)

自分の状況に納得できていないんですね。
一人で頑張れって言っているんじゃないですよ。私は、一人で頑張りましたが、べつに誰かに頼って良いと思うんです。ただ、受け入れるべきものは、受け入れるべきで、何かこう見るべき方向性が違うんじゃないかな~って思うんですよね。

▼最後に▼

まあ、こんなこと書いていますが、私自身、自分の考えに物凄く自信があるってわけではないんですよ。
この記事の内容に自信がないという意味ではなく、全ての事柄に関して、全ての分野に対して、私は、自分の考えに自信なんて持っていないんです。
人間としてどうあるべきなのか?、その答えは無限すぎて、『これが正しい……。』 と言ったような絶対的な答えを見つけ出してはいけないし、人それぞれ個性があるので、その人の個性を殺してはいけないと思うし、自分には見えていない領域が必ず存在するので、自分の目の前に見えていることだけで物事を勝手に決めつけてはいけないし、立場が違えば意見が違うのは当たり前だし、様々なことを考えてしまうと、自分の考えに自信なんて持ちようがないんです。
自分の考えに自信を持ってしまえば自分自身を自滅させるような気がするので自信なんて持ちたいとは思っていませんしね……。

小さな親切大きなお世話って言葉があるように自分の善意を相手に押し付けても意味はありませんから、相手にとって何が良いことなのか、自分一人で考えたって、分かるはずがありませんし、この世の中『正義とは何なのか?』 を問う時、立場が違えば、それだって変化してしまいますから、あちらを立てればこちらが立たずで、どれが正しいのかなんて、全く分かりませんし、世界全体のバランスを考えると善と悪なんて基準自体が無くなって崩壊してしまいますし、そんなんですから、結局のところ、善意なんて、ただの自己満足でしかありません。
私は、自分のただ自己満足なんかに自信を持ちたくないですから、絶対自信なんて持たずに、たぶん、これが最善だろうと思うことを、自分ができることを、馬鹿なりにやるしかないと思っているだけなんですよね。

私の場合、自分の意見は言うけれど、自分の意見に人を従わせる気がありません。
自発性が大事で、本人にその気がなければ意味がありませんから、基本的に何かを強制的に言うことはしないんですね。
アドバイスを求められても、『私は、あなたの状況や事情を詳しく知らないから私に言えることはない。あなたの状況や事情を一番良く知っているのは、あなた自身だから、あなた自身の胸に問いかけて自分で答えを探し出してみて……。私が何か言えば、それは無責任な答えにしかならないから……。』 って言うことが多いですね。基本的に、アドバイスはせずに相手の方の状況や事情の聞き取り調査のほうを先にやります。そして、聞き取り調査をしたとしても具体的なアドバイスはしないことが多いですね。抽象的なことしか言いません。『あなた自身の心と向き合って、あなた自身が自分で答えを見つけ出してね……。』 って……。仮に、具体的な意見を言ったとしても、『あくまで、私の個人的な意見だから、私の考えに従う必要性はない。』 というスタンスで話を進めいくことが多いです。
雑な説明で正確ではありませんが、そんな感じです。

その前に、どちらにしても、私は、臆病者で傷つきやすくて馬鹿人間ですし、『私は、なんでこんな馬鹿なんだろう?』 って、さんざん落ち込みながら生きてきたので、かなりどうしようもない人間ですけれどね……。(;へ:)

それ以前に、ここ10年ぐらいは、症状で頭がボケているので、テンションがおかしいし話ししていて全然駄目ですし……。上手く言葉をまとめられないんですよね……。

というわけで……

散々問題があるのではないかと言いましたが、意外と上手くいく場合もあるのかもしれませんし、こればかりは、よく分かりませんから、私自身に断定的な結論なんてありません。断定的にこうだ! と決めつけるのは問題があると思いますので、絶対にダメだと決めつけているわけではありませんから、さほど気にしないでくださいね。

それから、同意は求めておりませんので、同意できない方は、無視して下さって結構です。そこまで熱くなっていませんし、説得する気もありませんし、とくに議論する気もありません。
まあ、どうしても何か言いたい方は言って下さって構いませんが……。

なんにせよ、こんな長文をここまで読んでくださって有難うございました。
それでは、このへんで失礼させていただきます。 (⌒ー⌒)ノ~~~

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