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このブログを読んでいただく前に、まず先に謝罪をさせていただきたいことがあります。
ボケ症状があるので、思っていることが上手く言葉にならずニュアンスが崩れてしまいます。ですから、そのことも含めて色々と 【謝罪文】 のなかで謝罪させていただきました。申し訳ありませんが、 【謝罪文】 を読んでいただけると助かります。
そして、皆様に謝罪文を読ませるお手数をおかけして申し訳なく、ここで重ねて二重にお詫びお申し上げます。申し訳ありませんでした。

2017/07/10

マタニティマークについて
 私の友人である、ある男性の意見

この記事は、2017/07/12の夜に投稿させていただいたものなのですが、2017/07/10の日付で設定して投稿させていただきました。
理由を説明させていただきます。(理由に関して、興味のない方は読まずに放置してください。)
この記事は、リンク元である 【マタニティマークを批判する人がいるみたいだけれど、私はマタニティマークに賛成】 という記事が投稿された日よりも数日あとに投稿された記事なのですが、実際に投稿された日付通り数日後の日付で投稿してしまいますと、リンク元の記事より、この記事のほうがブログ上で先に並んでしまうことになり、リンク元の記事が隠れて意味不明な状態になってしまうのです。本来この記事は、リンク元の記事と対(セット)の記事であるため、リンク元の記事より先に並ぶと、先程言ったように意味不明な状態になってしまいますから、日付の設定を弄り実際の日付とは違う2017/07/10付で投稿させていただきました。申し訳ありませんが、ご理解ください。

リンク元の記事 【マタニティマークを批判する人がいるみたいだけれど、私はマタニティマークに賛成】 で説明させていただいた通り、【マタニティマークを「羨ましいから見たくない」と批判する人々 妊婦からすれば「自慢したいなんて的外れ」】 という記事の内容に関して、友人が感想として記事を書いてくれました。

友人がメールで送って下さった文章を下にコピーペーストさせていただきました。

ブログをご覧の皆様はじめまして。ブログの筆者ananの友人です。
男性の視点からみたマタニティーマークについて何か意見を書いてほしいとの依頼を受けて、現在この記事を書かせていただいております。

男性視点からの意見といっても、書いているのは自他ともに認める一風変わった思考の持ち主ですので、一般論とはかけはなれたものになってしまう可能性が十二分にございますが、お時間がございましたら戯言に最後までお付き合いいただけますと幸いです。

さて、いつまでも私の紹介に時間を割いていても得られるものはございませんので、さっそく本題であるマタニティーマークについて私見を述べていきたいと思います。

過日、ananから読んでみてほしい記事があると言われ、一通り目を通してみましたが、記事の中でマタニティーマークに対しての批判をおこなってる方々の意見については『論外』と申し上げるほかありません。
それでもこうして俎上に載せ寄稿しているのは、記事の中では批判的な意見ばかりが紹介され、マタニティーマークに肯定的な声の取り上げ方が小さいように感じられましたので、こんな意見もあるぞと少しばかり声をあげてみたくなったのです。
もちろんこんな声をあげたところで、批判的な意見をお持ちの方々が減るわけではありませんし、何ら問題の解決には結びつかないのは重々承知の上です。

まず、マタニティーマークを着用する、しないは、それぞれの妊婦さまに判断が委ねられたもので、無関係の人間が口をはさむような問題ではないと考えます。
マタニティーマークの存在が少しでも妊婦の皆様の助けになるのであれば、ぜひとも着用していただければと個人的には思うのですが、マタニティーマークを着用し外出した際に『お腹を殴られそうになった』であるとか『舌打ちをされた』といった悪意や害意を向けられたという経験をお持ちの方が少なからずおられるようですので、マタニティーマークを着用する事のメリットを感じていながらも、向けられてしまう可能性のある悪意から身を守る事を優先したいという方がおられるのはしごくもっともなことだと思います。
もちろん、着用する事で生じているデメリットが存在しない社会であることが理想ではありますが、残念ながら現実がそうでない以上は着用のメリット、デメリットを秤にかけてご判断いただくほかありません。
しかしながら、予め申し上げた通りこの判断は妊娠されているご本人やそのご家族等のごく近しい方々が自発的に行うものであって、いかなる理由が存在しようとも、それ以外の人間が口をはさんでよいものではないでしょう。

ネットでマタニティーマークについて検索してみますと、実に様々な立場から様々な批判が行われており、私は驚くばかりです。
ここからは、そのなかからいくつかの意見を取り上げ、併せて私なりの考えを述べてみたいと思います。

まずご紹介するのは私と同性である男性のご意見です。『本当に妊娠しているかわからない。マタニティーマークを悪用して席を譲らせようとしているのではないかと考えてしまう』とのことですが、まぁそんな方も少なからず存在するでしょうと前置きしたうえで、「で?」と申し上げるほかありません。仮に、この方が仰るようにマタニティーマークを悪用している人に席を譲ったところで、譲った側の認識では妊娠している方を座らせてあげる事ができたというものでしかなく、損がましい気持ちになるということはないと思うのですが。
初めから疑ってかかっていなければ生じえない感情だと思いますし、マタニティーマークを付けた方に席を譲るたび、こんな事を考えておられるのだとしたら、ご自分の精神性にこそ刃を向けるべきであって、自分の精神性の貧しさを棚に上げ、マタニティーマークの批判を行うというのはさすがにかっこ悪いとおもいますよ?
きっと、どれだけ運が悪くとも、マタニティーマークを着けた方に10回席を譲れば、少なくとも7回は悪意なくマタニティーマークを着けている方だと思いますよ(数字には何ら根拠はありません)。その7回の為に3回くらい騙されたところで私には大した害はありませんし、さっき席を譲った相手は自分を騙したんじゃないかなどといちいち考えたりもしません。と申しますか、正直そんな事を考えることの方が、席を譲るよりもよほど面倒です。
どのように言葉を取り繕っても棘のある言い方になってしまいますが、マタニティーマークに対しての批判などを行う暇があるのならば、どうぞご自分の思考や感情に目を向け、強すぎる猜疑心を抑える術や学ぶなり、強すぎるストレスや疲労にさらされ、人を慮る余裕をなくしてしまっているのならば何らかの方法でリフレッシュするなりご自分の事に目を向けた方がよろしいのではないかと思料いたします。
ここまで、席を譲る・譲らないを論点にダラダラとした私見におつきあいいただいて誠に恐縮なのですが、私個人は席を譲ろうが譲るまいがどちらでも構わないと考えています。
例えば、仕事で大変お疲れであるとか何らかのご事情で、マタニティーマークを着けた方に席を譲ることができない事もあるでしょう。それを心苦しく感じ、自分の罪悪感から目をそむけたくなる時があったとしても、それは自分の感情の問題であって、罪悪感と向き合わなくてはいけないのは自分自身です。マタニティーマークを着けた女性がそこにいたからこんなことに悩まなければいけないわけではありません。
また、前述の通り、マタニティーマークを悪用しているのではないかと考えてしまうのもまた自分自身の感情の問題にすぎないのではないかと私は考えています。
つまるところ、自分のうちに生じた感情の問題について、こんな問題を生じているのはマタニティーマークのせいだという論旨がナンセンスだと言いたいのです。席を譲るという行為を行う、行わないの選択は自分のものですし、どちらの選択を行ったとしても、そして、その後に訪れる罪悪感であれ猜疑心であれどんな感情であっても自分のものです。それが、仮に自分の感じたくない感情であっても、抱きたくなかった、向き合いたくなかった感情であっても、それは自分という人間がそこに存在したから生じたものです。自分自身で抱えきれなかった罪悪感だとかの責任を恥ずかし気もなくマタニティーマークに押し付けるのだけはお止めになったらいかがでしょう。

そもそも、マタニティーマークを着けている女性の過半数が、緊急時に自分が妊娠していることを周知するためにその着用を行っておられます。あくまで一例ですが、外出中に不慮の事故等で意識消失してしまった際など医療関係者が一目で妊娠中であると把握できるため、妊婦さんに対して禁忌の治療法を選択せずに済むというのは大変大きな利点でしょう。
そんなわけですので、自分は何かするように求められているのではないかなどと、あまり身勝手な強迫観念にかられず、もう少し肩の力を抜いてマタニティーマークと付き合っていく必要があるのかもしれませんね。
もちろん周囲の人からのサポートを必要としているけれどもなかなか自分からは言い出せないからという理由で着用される方もいらっしゃるでしょうが、サポートを求めて何が悪いのか私にはさっぱり分かりませんので言及すべきこともありません。
私は男性ですから、妊娠したことも今後妊娠することもありませんし、医療従事者でもありませんから、妊娠初期の注意事項であるとか妊婦さんに対して必要な心配りであるとかは常識の範疇でしか存じ上げません。聞けば、安定期(調べたところ妊娠5ヶ月~7ヶ月)に入るまでは本当に繊細な対応が必要で、病院で名前を呼ばれて少し小走りになっただけで医師が悲鳴をあげてゆっくり歩くよう注意されることが当たり前のようですし、知識不足も甚だしい我々が妊婦の皆様が求めているサポートをどうこう言う立場にあるのでしょうか。私個人としては、むしろ少し過剰にサポートを求めるくらいでちょうどいいのではないかと思っています。
マタニティーマークに反対している方の中には、気遣いを求められているようで着けている人を卑しいと感じてしまうと意見されている方もいましたが、着用されている方の本心がどうあれ、仮に気遣いを求められているのだとして、どんな対応が必要で何が不要なのか判断できるだけの知識や経験をお持ちなのでしょうか?熟練の医師や助産婦さんですら一目でそんな判断が可能なのかは存じませんが、もしそのような能力をお持ちでしたらぜひともそのお力を批判以外の形でお役立てください。

マタニティーマークに対する反対意見の中で群を抜いて理解出来なかったのが「自慢してるのかと思ってしまう。」というものです。
外見から妊娠しているのが分からない妊娠初期は本当に少しの事で流産してしまったりする繊細な対応を要する大切な時期なのは先述した通りなのですが、そんな時期に、不慮の衝撃を受けるかもしれない等の危険があふれかえっているというのに自慢の為に外出なんてされるとお思いなのでしょうか?
大切な生命のお話にこのような例えを持ち出すには些か抵抗がございますが、ほんとうに素晴らしい出来の、それこそみんなに自慢したくなるようなガラス細工を手に入れたとしても、私はそれを自慢する為に胸に抱えて満員の電車に乗ったりする気にはなりませんが。
ましてや、病院でいやというほど注意事項を教わっている妊婦さん達が、ガラス細工なんかよりも大切な赤ちゃんをそんな危険にさらしてまで自慢するものでしょうか。
妊娠されてる方からすれば、授かった命を危険にさらす事などしなくないでしょうし、できる事なら安全な所に置いておきたいと考えるのではないかと思うのです。
どれほど繊細な時期であっても、生活する為には時に外出する必要がある事など当たり前の事です。その中でささやかながらも万が一を考えて自分の授かった命を守ろうとする母親の行いに対して言うに事欠いて自慢とは一体なんでしょうか?書いているうちに段々と腹が立ってきました、はい。これに関しては理解ができないというより不愉快と申し上げる他ありません。

続けて、不妊治療を受けておられる方や、流産されてしまった経験をお持ちの方からの意見をご紹介するわけですが、あらかじめ申し上げておきますのは、批判をされているのはあくまでごく一部の方であって、流産を経験したけれども無事に授かった赤ちゃんを大事にしてあげてほしいと仰っている方が大勢いらっしゃるという点、改めて申し上げる事ではないかとも思いますがくれぐれも誤解なきようお願いいたします。
不妊治療を受けておられる方や流産されてしまった経験をお持ちの方々の悲しみや苦しみに対して、私はかけられる言葉を持ち合わせておりません。むしろどれだけの言葉を尽くしたとしてもその悲しみに見合うことなどないと思います。
そのような悲しみや苦しみの中、自分が授かりたくてしかたないものを授かった人を見ればそこにはきっと様々な感情が押し寄せてきて、中には自分ではそんな事思いたくないと感じるような感情すら湧き出てくるのかもしれません。
悲しみや苦しみ、妬みどんなものであれ同じ苦しみを味わった事もない人間が否定していいようなものだとも思いません。
ですが、その感情を慰める為に人に対して何かを要求してよいという根拠になるとも思いません。
マタニティーマークを見ると苦しくなってしまう、悲しくなってしまうから着けてほしくない。妊娠できていない自分たちの事を配慮して欲しいと言う意見をいくつか目にしましたが、そういった方々は、目の前にいる妊娠さんが自分と同じように長い間不妊治療を受け、ようやく授かった赤ちゃんを大切にしているのかもしれないであるとか最低限の配慮はされた上でのご意見なのでしょうか?
配慮を求めるのであれば、人に対しても同等の配慮は行われて当然であると思います。
その配慮の上でなお自分の苦しみの方が配慮をうけるに値するとお考えになるのでしょうか?
そんな配慮はしていられないというのであれば、きっと人に対する慮りを抱く余裕などないほどの深い悲しみや苦しみの中にいらっしゃるのでしょう。ですが、はっきりと申し上げて、それは妊婦さんであるとか不妊治療を受けているだとか以前に人として損なってはいけない類の配慮であるはずです。その配慮を人に向けるつもりがないというのであれば、自分自身もまた人からの配慮など期待しないでください。

これはあくまで興味本位な蛇足なのですが、現在も妊娠を希望されていてそれに対して治療を受けておられてる方がマタニティーマークに対して批判的な意見を述べておられる場合、それはいわば先輩妊婦さん達にとって有益な影響をもたしうる可能性のあるものの存在を否定しているわけですが、これは、最終的に、ご自分が妊娠できた際に自分の首を絞める行為だと思うのですが、どこまで考えられた上での発言なのでしょうか。

擁護の声をあげるつもりが、批判に対する批判という形になってしまいました。そもそもマタニティーマークに賛成する立場からは、使えるものは大いにお使いくださいとしか申し上げようがございません。

さて、このような長々とした駄文に最後までおつきあいくださった皆様に深い感謝を。
末筆となりましたが、現在も不妊治療などで戦い続けている方々に大切な出会いが訪れますよう、また、お腹の中で大切にお子様を育てていらっしゃるお母さまそしてお腹の中のお子様が健やかに過ごせますようお祈りして私は筆をおきたいと思います。

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