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このブログを読んでいただく前に、まず先に謝罪をさせていただきたいことがあります。
ボケ症状があるので、思っていることが上手く言葉にならずニュアンスが崩れてしまいます。ですから、そのことも含めて色々と 【謝罪文】 のなかで謝罪させていただきました。申し訳ありませんが、 【謝罪文】 を読んでいただけると助かります。
そして、皆様に謝罪文を読ませるお手数をおかけして申し訳なく、ここで重ねて二重にお詫びお申し上げます。申し訳ありませんでした。

2017/07/10

マタニティマークを批判する人がいるみたいだけれど
私はマタニティマークに賛成

この記事は後で文章を再度追記する予定ですので、今しばらく読むのをお待ちください。大変申し訳ありませんが、ご理解のほどをよろしくお願いいたします。

リンク先の記事の内容に関して、私個人の意見を書かせていただきました。
キャリコネニュース系のものは、時期が来ると記事ごと消えてなくなってしまうことがあるので、無くなっても良いように、ある程度、リンク先の記事の内容は、私の言葉に変えて、この記事内部に移してありますが、この記事のあちこちに散らばっているため、先にさらっと全体像を知っていただくためには、キャリコネニュースに書かれたマタニティマークに関する記事のほうを先に読んでいただいたほうが良いのではないか?? と思われます。分かりませんが……(-。-;)

マタニティマークを批判している方々の動きやそれに対する妊婦さんの反応

マタニティマークは、見た目では妊婦だと分からない妊娠初期の女性が、周囲の人々に妊婦であることを示しやすくするために発表されたものらしいのですが、このマタニティマークが登場したのは、今から11年前の2006年だそうです。
そして、なんと、それと同じ年である2006年に、すでに「マタニティマークが嫌いだ!」とのコミュニティがmixiで立ち上げられていたらしいのです。
彼等批判者にとって、わざわざ、そんなコミュニティをmixiに立ち上げなければならないほど重大事件だったのでしょうか? あまりにも大袈裟なリアクションであるため、とても不思議な気分にさせられますね……。

そして、なんと驚くことに、マタニティマークをつけて外出した際に、マタニティマークを快く思わない方々から、『お腹を殴られそうになった』 『舌打ちされた』 であるとか、その他様々な攻撃的行動を仕掛けられたという経験をお持ちの妊婦さんもいるようですから、妊婦さん達からしたら、非常に不安な状況ですよね。

マタニティーマークを批判している方々の批判文を妊婦さん達がネットなどで目にし、マタニティマークを付けるのをためらってしまっていることで、マタニティマークのサイズが年々小さくなってきてしまっているらしいのです。雑誌「初めてのたまごクラブ」(ベネッセコーポレーション)では、マタニティマークが付録として付いているらしいのですが、そのマタニティマークが、2011年には直径10cmだったのが、2015年に発売されたものは5.5cmに縮小してしまっているとのこと。SankeiBizには、「『目立たないものがいい』という読者の要望を反映させた」との理由が説明されているらしいのです。

ただ、サイズを小さくしたところで充分見えますから、マタニティマークを批判している方々にも見えてしまいますし、彼等に目撃されてしまった時点で先ほど話題に出したような『お腹を殴られてしまいそうになった』 等の問題は発生してしまう可能性がありますので、サイズを小さくしたことが果たして意味を成すのかどうなのか? といったところに疑問を覚えました。私としては、サイズを小さくしたなどの対処は、さして意味がないように感じてしまうのです。
そもそもにして、周囲にしっかり見えなければマタニティマークとしての意味を成さないわけですから、そのへんのバランスをどう両立したものか? と思ってしまいますし……。 (*^-^)
というわけで、批判者への対策に関して、この記事の最後のほうで別の方法について提案しておりますので、もしよかったら、この記事を読み終わった最後のほうで読んでみてください。実際、本当に効果があるのかどうなのかは、よく分かりませんけれどね……。

とは言え、皆が皆、批判しているわけではありません

私や私の友人のなかには、マタニティマークを着用している妊婦さんを批判する人間は一人もいません。(まあ、『類は友を呼ぶ』 と言いますが、そういう下らない批判を嫌う私の周りには、そういう批判を言いたがる人間そのものが最初から近づいて来ないので……。(笑))私等のほうが少数派なんですかね? 他の分野はともかくとして、これに関しては、そんなことないと思うんですけれどね……。私等だけではなく、社会一般的に普通に肯定派は多いでしょう……。
友人や知り合いの何人かに、 【マタニティマークを「羨ましいから見たくない」と批判する人々 妊婦からすれば「自慢したいなんて的外れ」】 という記事を読んでもらったら、『批判している人達の頭の中は、何がどうなっちゃっているのか理解ができない。』 とマタニティマークを批判している人達のほうが逆に批判されて終わっています。って言うか、一般的に普通はそうなんじゃないですか? マタニティマークを批判している人達の発想が極端に歪過ぎているんですよね。 (*^-^)

7/12追記:

先ほど例に挙げた記事を読んでくれた友人が、私がこの記事を投稿した数日後、この記事とは別に彼自身の感想を書いた記事を作成してくれました。
この記事は、女性である私が書いたものですが、男性である友人の意見も読者の皆様にとっては必要なものかもしれません。何故なら、妊娠の苦痛を知るはずがない男性であっても、マタニティマークを肯定している人間はいるのだということを知っていることは、けっして悪いことではないと思うからです。

ネット上の極一部の世界では批判ばかりが目立ってしまっていますが、マタニティマークを肯定している人間が大多数いることも、また、この世の明らかな事実です。
そして、その一方で、馬鹿な批判をする人間が、ある一定数いることも、また、この世の明らかな事実ですよね。ですから、この世の中、これと原理を同じくして様々な方面で様々な問題が良くなっていかないんだと思います。人の世は、ある意味、物凄く醜すぎる……。お互いに足を引っ張り合って、それでも、自分が加害者だと自覚できず、自分が被害者だと思い込んでしまう……。人の世とは、切ないことに、様々な方面で、たいがいそんなところです。

妊娠初期には、こんな問題が起こってしまうのです

まあ、思い遣りがないうえに頭がおかしい人間に何かを言い聞かせたところで、彼等には何も効果がありませんから、とりあえず面倒ですから冷静に放置するとして、言葉を投げかけるとしたら、思い遣りがある方々に投げかけたいと思います。そのほうが、よほど効率的です。
思い遣りがある方なのに、マタニティマークを否定している方の場合、たいがい、妊婦さんはお腹が大きくなってからが大変なんだと勘違いされていることが多いですね……。でも、実は、逆に妊娠初期のほうが大変なケースだって、それなりに多いんですよ……。

人それぞれ状態は違いますが、私の場合、妊娠初期の頃、つわりや様々な体感の変化があって苦しかったんです。お腹が大きくなってからのほうが苦痛感はまだましでした。お腹が大きくなってきてからは、胎児に内臓を蹴られた時や子宮に内臓を圧迫された時などに食べた食べ物が逆流してきて吐いたり、そういったことがあって、それはそれでキツかったですが、それよりも断然初期の頃のほうがキツかったですね……。
持病の影響もあったとは思いますが、つわり以外にも様々な意味で体感や五感の感覚が変化してしまい苦し過ぎて納得ができず色々調べた結果、その過程で、ホルモンのバランスとか色々なものが変化してしまうことが分かりました。ホルモンの分泌量が通常時の100倍ぐらい変化するって書いてあったかな? かなり昔のことなので、記憶がうろ覚えで認識と数字は正確ではないと思いますが……。とにかく様々な体感が変化してしまうんです。

お腹に重い重りをつけて妊娠中の大変さを男性に疑似体験してもらいましょう~みたいな企画を何かのイベント中見かけたことがあるのですが、そんなことをしたぐらいで、妊娠中の大変さは疑似体験なんてできやしないのです。(*^-^) たしかに重い思いを経験することは大切でしょうが、そもそもにして、男性と女性とでは筋力差があるので、お腹が重いことで味わう苦痛感が男女の間で同等のものになるのかどうかも疑問ですし、お腹に重りをつけた程度では、子宮に内臓を圧迫されて食べたものが逆流してくるなんて経験はできやしないでしょうし、仰向けで寝れないなんて経験もできやしないでしょうし、ホルモンやら何やらの変化で身体に苦痛感を感じてしまうなんて経験もできやしないでしょう。そして、期間には個人差があるものの多くは妊娠初期に引き起きる、あの つわりだって経験できやしないのです。どちらが辛いのかと言えば、お腹の重さより、つわりのほうが苦しい場合が多いのです。

しかし、妊娠初期は、どう見ても健康体の丈夫な人間にしか見えません。大きいお腹と言ったように、はっきり目に見える状態ではなく、問題が目に見えないところに収まってしまっているために、相手に悪気がなかったとしても軽視されてしまうのです。

私自身、妊娠初期、体調が悪く速く動けなかったことで、『速くどけ!』 と怒鳴られてしまったことがあるのですが、『申し訳ありません。身体がキツかったものですから……。申し訳ありませんでした。』 と大雑把に説明したところ、『ごめん。ごめん。ごめん。』 と何度も何度も何度も連呼しながら謝られました。って言うか、その方、凄く焦っておられました。相手の方が理由に気付くと凄くリアクションが変わることがあるんですよね。
要するに、『知っていたら配慮したかったのに、知らなかったから配慮できなかった。残念だ。悔しい……。』 という何とも言えない清々しない残留感を、妊婦さん以外の誰かに持たせてしまわないためにも、マタニティマークは必要なものなんだと思うんです。誰かへの配慮って、どちらか一方に向けられるべきものではなく、両方向へ向かうべきものなんだと思うんですよね。
また、タバコを吸っている方が、近くにいるのが妊婦さんだと気づけば、そこから遠ざかることだってできます。ですが、気付かない場合、気にしない人は気にしないので、そのまま近くで吸い続けてしまいますよね。(妊娠中、当時、臭覚の感じ方が変化したように思ったので、胎児に良くないという意味だけではなく、臭覚が感じる異常なほどの不快感といったものを防ぐ意味でも、妊婦さんの前では吸わないようにしてあげてくださいね。)
誤解から生じるすれ違いを防ぐという意味でも、その他様々な問題を回避させる意味でも、マタニティマークは必要なものなんだと思うんです。
席を譲る譲らないといった話だけはないことを意識していただけたら嬉しく思います。

私の個人的な結論

本来なら必要なマタニティーマークであっても、一部の人に理解がないのであれば、先ほど説明したようにお腹を殴られてしまいそうになるだなんてトンデモナイことだって起こってしまいますから、結局使用困難な状況ですよね。(;へ:)

まあ、性格が悪い批判者に何を言っても無駄でしょうから、批判者の方々の中でも、話しの分かる理解力のある方々に意見を言わせていただくのであれば、できれば、マタニティマークは大らかな目で受け入れてあげてほしいとそう思ってしまうのです。皆が必要だと認識している、それが、どこにでもある当たり前の社会通念になってくれればと願うばかりです。

結論は以上ですが、此処から先は、補足(おまけ)として、批判者達が実際に吐いた言葉に対して色々指摘を書かせていただきたいと思っております。 m(__)m まあ、大した指摘ではないと言うか、拙いところもあると思いますが、もしよかったら、読んでみてくださいね。

面倒くさいから取り合ってあげる必要性は微塵にもないのですが…

マタニティーマークを批判している方々の批判文に関して、私個人の感想を書かせていただくならば……
妄想・幻想・思い込みの類で、あまりにも馬鹿馬鹿しい意見ばかりだったので、相手にするのが馬鹿馬鹿しくて、私個人の意見を言う気にもなれなくなり、『総じて下らない。以上……。』って感じで話を終わらせたくなってしまったのですが、私の気分で話を終わらせると記事にならないので、仕方がなく一応何か書いてみることにしました。 (-。-;)
とは言え、書くとなると、あれこれ思いつくので、正直なんか面倒くさいですけれどねw

批判者達が、どれだけ下らないことを言っているのか認識して
怯えずに堂々としていましょう

マタニティマークを批判している方々の言葉を読んでしまったことで不安になり気持ちが小さくなってしまった方は、下の文章を読んでいただくことによって、批判者達は、どうせ下らないことしか言っていないのだと認識し、そのうえで、こんな下らないことに取り合ってあげる必要性はないのだ! と理解してくださったら嬉しく思います。気持ちを小さくさせてしまう必要性はありません。
彼等批判者達の主張は、妄想や幻想や幻覚や幻や思い込みの類でしかありませんから……。

かと言って、批判者達と喧嘩しろと言っているわけではありませんので、直接攻撃的に文句を言いに行くようなことはしないでくださいね。お馬鹿さんには何を言っても無駄ですから、喧嘩にしかなりません。 (*^-^)
また、『妊婦は大変なのよ~。』 と弱者を気取って態度をデカくしろと言っているわけではありませんから、その辺も勘違いしないように、お願いいたします。 (*^-^)
もちろん、そんなことは当然のこととして分かっているとは思いますが……。下らないこと注意して、ごめんなさいね。 m(__)m

枠で囲われている文章が批判者の批判文です。その下に私の意見が書いてあります。

「『あたしは妊娠してるのよ~』て自慢したいのか??て思ってしまいます」
「自分勝手な都合の理由に端から見たら思われるかもしれませんが、正直言って本音は、、羨ましいから見たくないです。悔しいです」

一言で申し上げれば、総じて下らない……。

自慢って何? 妊娠すると自慢できるのですか? 妊娠が自慢できることだと思ったことがないので、よく分からないのです。
自分の営業成績や学歴を自慢する人に関して、その姿勢を肯定できるはずがないのですが、それでも、百歩譲れば、まだ、それらは理屈上理解ができます。ですが、妊娠したことが、どうすると自慢できることに繋がるのか、その理屈が全く理解ができません。誰も自慢したいなんて思っていないと思うんですよね~。
そんな変な妄想に取り憑かれるのは、あなたが妊娠したいと望んでいるからでしょう。そして、その価値基準で考えれば、たしかに自分には無いものを持っている妊婦さんが羨ましいのかもしれませんが、たいがいの妊婦さんは、べつに、あなたが持っていないものを手に入れようとして妊娠したわけではありませんから、はっきり言って、心理的に無関係で自慢もなにもないと思うんですよね。見ず知らずの無関係な人から自慢されているように感じるなんて、なんて自意識過剰な人間なのでしょう? って思ってしまいます。
まあ、もしかしたら、どこかで知人や友人に実際に自慢されたことがあってトラウマになっているのかもしれませんが……。もしそうであるのならば、それは、その個人の性格が悪いというだけの話であって、町を歩いている妊婦さんには結びつけて考えないほうが良いですよね……。もし、そういうことがあってトラウマになり不満に思っているのならば、そこは、しっかり公私混同せずに分けて考えるべきことです。
それから、もし、他者から妊娠を自慢されたことがあるのだとしたら、あなたの言動で気分を害した人間が思わず仕返しで嫌味を言ってしまったのかもしれません。そういった行為を肯定しているわけではありませんが、もしそうであるのならば、あなた自身も多少原因を作っていますので、一方的に相手を悪者にするわけにもいきませんよね……。と言うより、この場合は、あなたが悪いことになってしまいます。(あくまで、仮定形の話ですから、決めつけてはいませんよ。)

しかも、妊娠している方の全てが、望んで妊娠したとは限らないのに、何故その可能性を考慮できないのでしょうか? その女性が幸せを感じているとは限らないのに……。望まない妊娠をした場合でも、あなたに『自慢している。』 と思われてしまうわけですから、なんか酷く意味不明で理不尽な話ですよね。

もし、仮に、本当に、その女性が妊娠を喜んでいるのだとしても……。
羨ましい??? 人の幸せを喜べないんですね。心が汚れすぎています。お話になりません。

「私は子持ちですが、マタニティマーク嫌いです。2人目を流産してから、さらにものすごくキライになりました。不妊の人、流産・死産を経験した人には、マークを見るだけでつらい、と初めてわかりました」

あくまで仮定の話ですが、『自分自身の恵まれた状況や環境を理解できず(何の問題も抱えていない状況や環境なんて無いと思いますが……。)、そこに胡座をかいている人間がいる。甘ったれた行動を取っているし、全く努力をしていないから、その人間の人間性に腹が立つ。』……とかいう案件なら、まだ若干気持ちも分からなくないかな? って思うんですが、マタニティマークを嫌いだと思うのは、それとは、かなり問題性が違いますよね? マタニティマークをつけている妊婦さん達は、べつに悪いことをしているわけではありませんからね……。

私は、親族から虐待を受けて育ちました。持病があって体調が悪くあちこち問題を抱えていますが、それとは全く別の問題として、今、生きていることのほうが奇跡だと思っています。
そんな環境で育った私ですが、『自分の親は好きだ。人としても立派だと思う。自分は幸福だと思う。』 とあれこれ語ってくれた方の言葉に苦痛をとくに感じませんでした。それどころか、『この方は、私と同じような思いをしなくてすんだんだ~。それならよかった~。(⌒-⌒)』 と逆に癒やされてホッとしました。
『自分が苦しい思いをしたからこそ、他の人には同じ思いをしてほしくない。人の幸せを見ると逆にホッとして癒やされて気持ちが楽になる。』 って思わないんですかね? それを思わないって、逆になんか凄く不思議な感じがするんですけれど、どういうことなんでしょうか~? ( ̄ー ̄?)

それから、一つ補足として話を付け加えさせていただきますが……
いくら、相手の方が、『自分の親は好きだ。人としても立派だと思う。自分は幸福だと思う。』 と仰っていたからと言って、その方が環境的に恵まれているとは限りませんけれどね……。何故なら、苦しみや酷い状況を抱えながらも、幸福感や人に感謝する心を持てる人はいますからね……。
まあ、悩まないことが良いことだと勘違いしていて直視するべきことを直視せず何も考えずに流してしまう方がいるので、そういった無駄にポジティブ過ぎる方の場合、逆に問題だと思いますが、物事の捉え方の違いによって、悪い状況が含まれていたとしても、別の側面から眺めることで、良いように捉えることができる方はいますから、『自分の親は好きだ。人としても立派だと思う。自分は幸福だと思う。』 と仰っていた方であっても、その方が環境的に恵まれているとは限らないんですよね。
補足終了です。話をもとに戻します。

『流産したからマタニティマークがキライ。だから、付けないで!』 という主張が正論になってしまうのならば、
『虐待された子の前で親子で仲良くするのは可哀想だから、参観会や運動会などの学校行事には親は参加しないほうがいい。参加したとしてもお通夜みたいに暗い表情をしているべき……。』 というアホな理屈まで成立してしまうことになるのですが、その辺はどう思っているのでしょうかね?
私の兄は、父親の虐待と医療ミスが原因で知的障害者になってしまった人間ですし、私も虐待を受けた側の人間ですが、私は、他人にそんな意味不明な気遣いをしてほしいと思ったことはありません。どうするとそういう意味不明な理屈になってしまうのでしょうか?
『苦しみへの理解や気遣いを求める。』 ことと、『自分の不幸を盾にして弱者と言う名の王座に座る。』 この2つは似ていて根本的に異なる行為です。自分の不幸や抱えている事情を、他人への圧力に使っている場合、当然のことながら、その行為を肯定することはできないのです。

私は、親族からの虐待から逃れるため逃亡を繰り返し、十代の終わり頃、ほぼホームレス状態だったので、逃亡中、悲しみと寒さと空腹には耐え難いものがありました。そうやって逃亡を繰り返した その先の別のある出来事によって、家から遠く離れた狭い空間に閉じ込められてしまい、本格的に餓死しそうなほど追い詰められてしまったことがあるのですが……。(まあ、これに関する詳しい説明は避けますが……。)
凍死と餓死の可能性に追い込まれた貧乏人は、金持ちさえ目撃しなければ、寒さにも飢えにも自分の感情にも苦しまされずに健康的でいられるのかって言えば、そんなことはないんです。結局、苦しいことに変わりはないんですよね。
それと同じことだとは言い難いのですが、流産等が原因で心に苦しみを抱えてしまっている方々が、マタニティーマークを批判することを選択したところで、その方々の辛い苦しい感情だって快復には繋がらないんですよね……。マタニティーマークを見ずに済んだところで、たぶん、辛くて苦しいままなのでしょう……。そんなことをしても意味は無いんですよね。無駄なんですよ。解決しないんです。
自分自身の心の痛みに対する対処の仕方を大きく間違えてしまっているような気がします。自分の苦しみを人や物のせいにするのではなく、自分自身の中にもともと存在していた感情と向き合う等、もっと根本的な解決に繋がるようなことをしたほうがいいんだと思います。まあ、ただ、何をしたところで癒やされないほどの強烈な痛みを抱えてしまっているでしょうから、根本的な解決と言ったところで、その辺は難しいでしょうけれどね……。
それでも、自分の苦しみの原点に立ち返るしかないんですよね……。
色々な気持ちを抱えていて物凄く大変だとは思いますが……。

べつに苦しい辛いという感情自体を否定しているわけではないのです。私だって苦しみながら生きてきた人間です。ですから、苦しみという感情自体を否定しているのではなく、他人の行動を束縛するようなことはしないほうが良いのでは? と言っているだけです。

それから、妊婦さんのなかには、ずっと何年も不妊症で苦しんでいて、やっと妊娠できたという状況の方もおられるでしょうし、何年か前、流産の経験があって苦しんだことがある方でだっておられるでしょう。
何故、自分の不幸感に心奪われ、相手にも苦しみがあるのかもしれない可能性を考慮できないのか?……と、その発想の乏しさに強く疑問を覚えます。
(まあ、それを考慮したうえで、『今は妊娠できたから良いじゃない。』 って思っているのかもしれませんが……。)

まあ、ただ、嫉妬しているのかどうかは知りませんよ。
先程の方は、『羨ましい。』 と発言しておりましたが、この方に関しては、『ものすごくキライ』 『つらい』 と発言しているだけで、『羨ましい』 とは発言しておりません。ですから、羨ましくて嫉妬して辛くなるのか? それとも、嫉妬してはいないのだけれど、マタニティマークを見ると過去自分が流産した時のことを思い出すから辛くなってしまうのか? 両者両方の感情が浮かんでいるのか? そのどれなのかは知りません。私が、それを勝手に決めつけると、それこそ、ただの個人的妄想にしかならなくなってしまいますからね……。
嫉妬しているわけではないのだとしたら、『何故、自分の不幸感に心奪われ、相手にも苦しみがあるのかもしれない可能性を考慮できないのか?』 という指摘の仕方はピント外れである場合もありますが……。
ただ、まあ、どちらにせよ、個人的都合に第三者を巻き込むべきではありませんからね……。
とは言え、マタニティーマークにそこまで攻撃的な姿勢を見せるからには、嫉妬という感情だってあると想定してしまったほうが残念ながら話はすっきりしてしまうのですけれどね…。

「やっぱヤなのは、電車に乗ってる時。あれって他の人に見えるように付けて、座らせてアピール満々にって感じで、卑しいなぁ。。。と思ってしまう」
「妊婦や子連れって、『譲って貰って当然』って言動が多い」

『 > 座らせてアピール満々にって感じで、卑しいなぁ。。。と思ってしまう』 ??????? 人の抱えている感情なんて人それぞれ様々です。共通しているようで意外と共通なんてしていません。それは語るまでもなく至極当然なことなのですが、それなのに、皆が座らせてアピールをしている!なんて決めつけてしまうなんて、そう発想すること自体が逆に性格が卑しいと感じてしまいます。むしろ、卑しいのは、あなたのほうです。

『 > 妊婦や子連れって、『譲って貰って当然』って言動が多い』 ??????? そんな人達ばかりですか? たしかに中にはそういう人もいるでしょうが、妊婦さんに席譲ったら、『申し訳ありません。』 とオドオドされたことが何回かあります。私は、逆に『譲って貰って当然』 って言動をする方に遭遇した機会が少ないのですが、あなたは、たまたま質の悪い人間ばかりに遭遇してきたのですね……。お可哀そうに……。
それとも、数回嫌な経験した程度で、妊婦や子連れって全員そんな感じの人間ばかりだって先入観でも持ってしまったのでしょうか?

って言うか、『譲って貰って当然』って思っている人のほうが目立つのは当たり前なんですよね。何故なら、『譲って貰って当然』って思っていない人は静かに黙っていますが、『譲って貰って当然』って思っている方は何らかの自己主張をします。結果的に、どうしても、『譲って貰って当然』って思っている人間のほうが目立ってしまうんですよね。
妊婦さんが自己主張しなかったせいで誰も妊婦さんだと気づかなかった、気付いていても強く印象に残らなかったせいで通りすがりの人にしか過ぎなかった、等の例まで含めれば、『譲って貰って当然』って思っている人の割合は、この方が思っているほど、それほど多くはないはずなんですよね。

まあ、ただ、事実、妊娠中は身体が辛いから普通に席ぐらい譲ってあげたら? って思いますけれどね。むしろ、妊婦さんに立っていられたほうが、清々しない落ち着かない気分になります。

私が妊娠していた時は、何年も前で時代が違うからマタニティマークなんてもの自体がなかったのだけれど、自分が大変な思いをしたから、同じ思いはさせたくないので、『マタニティマークは必要だ!』 って思ってしまいますけれどね……。

マタニティマークを批判している方々の一部は、『私、辛いの!私って、不幸で可哀相でしょう~! そんな私をこれ以上マタニティマークをつけて傷つけないで~!』 と自分の感情への気遣いを他人に求めています。(自分の感情への気遣いを他人に求めていると言うよりは、弱者と言う名の王座に座って他人の自由を奪っているだけですが、ここでは話の便宜上『他人に気遣いを求めている』 という方向性の話し方で話を進めさせていただきますね。)
また、『座らせてアピール満々にって感じで、卑しいなぁ。。。と思ってしまう』 と主張する方々も、ようは、そういうアピールをして自分に嫌な思いをさせるな! と言っているわけですから、他人に自分への気遣いを求めていることに変わりはありません。我が子が電車やバスの座席を汚しているのにもかかわらず何も注意しない親であったり、相手が何か悪いことをしているのであれば、それなりに嫌な感情が浮かぶのは当然だと思いますが、マタニティマークをつけていたぐらいで、わざわざ批判文をネット上に書き込むぐらい大袈裟なリアクションするのは、『私を気遣え!』 と言っていなくても、そう言っているのと何ら変わりがないのです。
むしろ、他人に気遣いを求めているのは、マタニティマークを嫌っている方々のほうです。マタニティマークの使用拒絶を訴えるのは、自分自身の 『辛い』 『嫌だ』 という感情への気遣いを他人に求めているからでしょう。
自分の感情への気遣いを他人に求めておきながら、他人(妊婦さん)から気遣いを求められれば何故かキレるのです。 (まあ、とは言え、妊婦さんが本当に気遣いを求めているとは限りませんけれどね……。)都合のよすぎる頭してますね……。
マタニティマークを使用せず止めてほしいと文句を言うのであれば、まず、自分のほうが先に、自分の感情への気遣いを他人に求めることを止めてから言うべきです。でないと完全にブーメランですよ。(まあ、自分の感情への気遣いを他人に求めることを止めることは、同時に、マタニティマーク使用反対の主張を止めることを意味していますから、『マタニティマークを使用せず止めてほしいと文句を言うのであれば、……。』 という最初の仮定自体が成立せず論理崩壊する結果にはなるのですが、丁寧な説明を書くのが面倒くさかったので、こんな言い方になってしまいました。ですから、最後の2文は、わざと言った下らない冗談だと思って聞き流してください。本当は、意味不明な文章だから書き直そうと思っていたのですが、友人の記事を読んだ後、真面目で意味が解る文章に書き直すのは止めました。どうしてなのかと言うと、真面目で意味が解る文章に書き直すと、友人の記事の論点と全く同じ内容の文章になってしまうので、それでは、なんか …………(汗)と微妙な気分になったのです。ですから、書き直すのは止めることにしました。まあ、友人の記事がなかったら、今頃全く違う文章に書き変えていたと思うのですが……。まあ、それでも、この記事はこれで良いんじゃないかな? と思っています。(笑)同じことが書いてある記事が2つあってもつまらないでしょうし……。(笑)実行不可能なことを言っている文章の無意味さが、逆に批判者達への嫌味さを増させているような気もしますし……。 (*^-^) )

記者が行ったマタニティーマーク批判者への反論

厚生労働省のマタニティマークの説明は、「妊産婦が交通機関等を利用する際に身につけ、周囲が妊産婦への配慮を示しやすくするもの」となっている。これを見ると、批判する人のように「妊娠しているアピール」だと受け取ってしまう人がいるのかもしれない。
ただ、妊婦の多くは、「席を譲ってほしい」「気遣ってほしい」という理由でマークを付けている訳ではない。ガールズちゃんねるの「マタニティマーク付けていますか?」というトピックでは、「倒れたりして何かあった時すぐに妊婦とわかるように」という声が多数出ていた。マークはいざというときに母体と胎児を守ることにも繋がるという。
実際、中には妊娠初期に持病のてんかんの発作で意識消失してしまって病院に運ばれたときにマークを付けていたため、「MRIを取らずに済みました」と経験を語る人も。医療従事者だという人も、初期対応が変わるため、外出時には付けるようにすすめている。

キャリコネニュース記者の反論の仕方は、とくに解決にはならないような気がします。

マタニティマークをつけている正当な理由を提示したところで、『羨ましい』 とか 『辛い』 とか言っている方々には、たぶん、通用しないでしょう。
たしかに、マタニティマークは自慢のためではないと示すことはできますが、それを示したところで、『羨ましい』 という感情そのものは解消されないでしょうし、『辛い』 といった感情に関しても、マタニティマークをつけている理由の正当性の有無とは、一切関係がない感情なのでしょう。たぶんですが……。
頭が正常で性格の良い人であれば、相手の行動の正当性の有無は、非常に気にするんですよね。ですから、記者がそこを主張したくなった気持ちも分からなくはないのですが、性格の悪い人間ってやつは、たいがい、相手の行動の正当性の有無とは、なんら関係がないところで感情を引き起こす生き物なんですよね……。ですから、そこを理解しないと、話が行き違うだけなんだと思います。(まあ、たぶん、記者さんは、自己中心的ではないタイプの方で、それによって、性格が悪い人間の行動パターンを把握できなかったのでしょう。あくまで、たぶんですが……。まあ、無理もありません。性格が悪くない方は、性格が悪い人間の行動習性なんて、ある程度経験積まない限り把握なんてできませんからね……。おおよそ、正常なリアクションだと思います。)
これは、基本的に、『座らせてアピール満々にって感じで、卑しいなぁ。。。と思ってしまう……』 といった批判をしている方々への反論であって、『羨ましい』 とか 『辛い』 と主張されている方々への反論ではない可能性もありますが、記事のタイトルが、【マタニティマークを「羨ましいから見たくない」と批判する人々 妊婦からすれば「自慢したいなんて的外れ」】 でしたからね、無関係ではないと判断させていただきました。まあ、違っていたら、申し訳ありません。 m(__)m

それから、妊婦さん自身、『譲って貰って当然』 と思っているわけではなく、自分から『譲って下さい。』 と自己主張はできないのだけれど、ただただ身体が苦しくて、できれば席を譲ってほしいと思っている場合、こういったケースは否定されてしまうのでしょうか? 『倒れて病院に運ばれた時のため』 という、もっともらしい口実でなければ、マタニティマークを使用する動機として肯定してもらえないのでしょうか?
この反論の仕方は、マタニティマークを批判している方々の主張を肯定していないようでいて、『座らせてアピール満々にって感じで、卑しいなぁ。。。と思ってしまう……』 といった、この批判者の善悪の基準に関しては、少しばかり暗に肯定する形になってしまっているのです。仮に、『席を譲って欲しい。』 といった理由でマタニティマークをつけている場合でも、それほど、強く非難される言われはないと思うんです。
席を譲る譲らないは個人の自由ですが、席を譲る譲られる、それらの行為だって本来であれば肯定されていいものなはずなんですよね。
違いますか?

いくら、『怯えず堂々としていましょう』 といったところで
殴られてしまえばお話にならない

私は、この記事の途中にある少タイトルのなかで、『批判者達が、どれだけ下らないことを言っているのか認識して、怯えずに堂々としていましょう』 と言いました。

ですが、そもそもにして、『批判者から殴られたり危険なことはされたくない。』 等の理由で、マタニティマークの着用を避けているのであれば、それは致し方がないことであり、当然の危惧だと思います。とは言え、マタニティマークを批判している方々の言葉によって、妊婦さんご自身が自分は悪いことをしているのだと洗脳されてしまっていたり(実際いました。)、洗脳されていなくとも気が小さくなってしまっていたり、そういった問題が起きていると厄介だと思ったのです。ですから、小タイトルや文章のなかで、あのような説明を書かせていただきました。
ですが、洗脳されているわけではなく、気が小さくなっているわけでもなく、ただ、危険への対処としてマタニティマークを着用しないというのであれば、問題は最小限に食い止められていると思いますし、その状態は、妊婦さんご自身のなかで、とくに気持ちを切りかえてもらう必要性はありません。
実際、批判者達から殴れたり攻撃されてしまえばお話しになんてなりませんよね。これは、精神的問題ではなく物理的圧力の問題ですから、『堂々としていればいい』 なんて言う精神の問題では片付かないんですよね。危険以外のなにものでもありません。ですから、今まで対処として着用しないと判断されてきた方々の考えは、致し方がないものだったと思うんです。

と言うわけで、危険な状況ですから、別の対処を個人的に考えてみました。

様々な問題の回避方法として、ヘルプマークというものを使用してみるのはいかかがでしょうか? と思ったりしています。
自作でヘルプマークを作ることも可能みたいなので、そのことについて色々書いてみました。もしよかったら、読んでみてくださいね。

義足や人工関節を使用している方、内部障害や難病の方、または妊娠初期の方など、外見から分からなくても援助や配慮を必要としている方々が、周囲の方に配慮を必要としていることを知らせることで、援助を得やすくなるよう、作成したマークです。

東京都福祉保健局のホームページから引用。
説明の通り、妊娠初期の方も使用可だそうですよ。席を譲ってもらいたいと思っている妊婦さんであっても使用可能だと思いますし、ヘルプマークの裏面には記入欄があるので、妊娠中だと記入できますから、倒れて病院に運ばれてしまった時にMRI等胎児にとって危険なものから守りたいと思っている妊婦さんであっても使用可能だと思います。たぶん……。まあ、実際どうなるのか、よく分かりませんけれどね……。
下手にマタニティマークをつけて妊婦だと周囲に認識させるよりは、何の理由で装着しているのか分からないヘルプマークのほうが、変な嫉妬の餌食にならなくて済みそうです。まあ、ヘルプマークはヘルプマークで認知度が低かったりその他別の問題を抱えていそうなので、完全に問題が解決するわけではなさそうですが、それでも、変な批判が多いマタニティマークより多少ましな結果になるのかもしれません。(認知度の問題に関しては、下に多少補足してあります。)

とは言え、全ての都道府県で手に入るマークではありません。そこが紹介する側としては残念でなりません。
ただ、自分で自作でヘルプマークを作ることも可能らしいので、導入されていない地域(都道府県)であったり、その他様々な理由で入手困難な方は、【ヘルプマーク作成・活用ガイドライン】を読んで自分で作ってみてくださいね。(色々と細かい指示があるので、自分で勝手に判断せず、【ヘルプマーク作成・活用ガイドライン】を詳しく読んでから作ってみてください。『ヘルプマーク単体で障害者等が身に着けるカード等を作成したい場合は、御相談ください。』 とあるので、たぶん、相談したほうが良いんでしょうね……。よく分かりませんが……。)
【ヘルプマーク作成・活用ガイドライン】には、ステッカーに関して、『ヘルプマークの下部に、掲示する場所等に応じた適切なメッセージを記載の上、使用してください。』 と書いてあり、記入例として、『援助が必要な方のマークです。』 『車いすを使用する方の他、義足や人工関節を使用している方、内部障害や難病の方、または、妊娠初期の方など、車の乗り降りや移動に際して、配慮が必要な方のためのマークです。』 と書かれていました。こういった表記が可能であるのならば、社会的に認知度が低いヘルプマークであったとしても、自作のミニサイズステッカーを所持していれば、誰かしら一部の人は、ヘルプマークを所持している理由に気付いてくれるのかもしれません。(まあ、なんか恥ずかしいですけれどね……。ヘルプマークと小さいサイズのステッカーを、一つずつ名札入れやIDカードホルダー等に入れてキーホルダー感覚で然りげ無く2つ下げているぶんには、悪目立ちしないので、どうなんでしょうね? まあ、それでも、なんか恥ずかしいですけれどね……。やっぱり無理ですよね? (-。-;))

では、このへんで失礼させていただきます…… (⌒ー⌒)ノ~~~

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