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このブログを読んでいただく前に、まず先に謝罪をさせていただきたいことがあります。
ボケ症状があるので、思っていることが上手く言葉にならずニュアンスが崩れてしまいます。ですから、そのことも含めて色々と 【謝罪文】 のなかで謝罪させていただきました。申し訳ありませんが、 【謝罪文】 を読んでいただけると助かります。
そして、皆様に謝罪文を読ませるお手数をおかけして申し訳なく、ここで重ねて二重にお詫びお申し上げます。申し訳ありませんでした。

2017/07/25

互いに抱き合った状態で発見された男女の遺骨
 彼らって本当にリア充なの? 
もっとちゃんと背景にあるものを考えよう!

この記事は、常体と敬体が入り混じっていますが、その辺は、お許しください。

リンク先の記事のなかで説明されているように、イタリアで、5000年から6000年前に埋葬されたとみられる抱き合った状態の男女の遺骨が、発掘調査の結果発見されたらしい……。

そして、そのことに関する感想として、『永遠の愛』 『ロマンチック』 『彼等はリア充だ~』 『素適ですね』 『感動した』 等様々なことが、新聞やブログ・Twitter等様々なところで書かれていた。
テレビや新聞を見ない私が、何故、このことを知ったのかというと、たまたま、つい最近、twitterのタイムライン上に、この抱き合っている男女の遺骨のことを羨ましがっている高校生の少女が書いたTweetが流れてきたから……。
そして、その感覚に疑問を覚えた私は、試しに、このことについて検索をしてみたのだけれど、結果、先程例に挙げたような私にとって謎極まりない数々の言葉を多数目にすることになってしまった (-。-;)

いや、ちょっと待って! これって、本当に、永遠の愛なの? ロマンチックなの?
仮に、そうだっとしても、羨ましがれる状況なの?
だって、本当のことは誰にも分からないはずでしょ? 真実なんて誰にも分からないはずなのに、『永遠の愛』 『ロマンチック』 『彼等はリア充だ~』 『素適ですね』 『感動した』 とか言いはじめちゃう時点で、どれだけメルヘンチックなファンタジー脳しているの? って思ってしまうの……。(こんな言い方して、ごめんなさいね m(__)m )

この感覚の違いって大した問題ではなさそうで、人間関係の亀裂の大半が、相手の状況や、相手に苦痛が生じているかもしれない可能性を感じ取る想像力の欠如から来ていることが多いことを考えると、この違いは大した問題にも成り得るんじゃないか? と思う。まあ、実際、『永遠の愛』 『ロマンチック』 『彼等はリア充だ~』 『素適ですね』 『感動した』 とか思っていた人達は、現実の世界で生身の人間と関わった時に、それはそれで、色々と問題が起きそうな気がするんだよね~。

ただし、発掘調査をした方々に関してだけ言うのであれば、彼等が感動した理由が、男女の愛をイメージしたものではなく、『発掘調査で今まで例になかった初めてのケースを発見した。』 というものに過ぎないのだとしたら、もしそうだとしたならば、彼等は、メルヘンチックなファンタジー脳ではないと思う。だって、今まで例になかったケースだというところは、正真正銘、ただの事実だろうから……。この記事上部に例として挙げたリンク先の記事の内容だけでは、発掘調査に携わった方々が、男女の愛をイメージして感動したのか?、今まで例にないケースを発見したから感動したのか?、それら両方共に理由の一つなのか?、どれが理由なのか、よく分からない。理由に関して、何なのか、はっきり分かる形で記事に書かれているわけではないから……。

リンク先の記事の内容引用してみますね……。

エレナ・メノッティ氏は、「これまで新石器時代に2人一緒に埋葬された例はもちろん、こんな風に抱き合った形で発見されたことはなく、驚くべきケースだ」と語った。


同氏はまた、ロイターに対し「遺骨を発見した時、われわれ全員がとても興奮しました。私はこの仕事を25年間続けており、ポンペイをはじめあらゆる有名な遺跡の発掘に携わりましたが、これほど感動したことはなかった」と述べ、今回の発見がこれまでの発掘をしのぐほどの特別なケースだと説明した。

ねっ!、男女の愛をイメージしたとは、はっきり書かれていないので、これだと、今まで例にないケースだから感動したのか? 男女の愛をイメージして感動したのか、その両方なのか? 分からないでしょ! これで、勝手に読者が何かを思い込んだら、それは、ただ主観と妄想が頭のなかに動いただけのことになってしまうし……。

まあ、仮に、理由が分かる形で何かが記事に書かれていたんだとしても、当事者の言葉を記者がどう解釈したのか、その解釈の仕方によっても、当事者の言葉の真意が歪められてしまうことがあるから、世に出回っている記事の内容なんて、大概、鵜呑みにしたら不味いのだけれどね……。

【誰かの言葉で抱いてしまった誰かへのイメージはたいがい幻】

とりあえず、ここで一度、遺骨の男女二人が愛し合っていた以外の別の可能性についても考慮してみましょう~。

そもそもにして、埋葬だと言うのですから、実際に亡くなった場所から遺体は移動しているわけであって、死亡直後の遺体の体勢からは確実に変化が起きているわけですよ……。それは、つまり、亡くなった御本人様二人以外の別の誰かが、あのような抱きしめ合う恰好を取らせて、彼ら二人を埋葬したことを意味しています。

亡くなった御本人様二人が共に、死亡前に 『自分達を抱きしめ合う恰好で埋葬してほしい……。』 と誰かに依頼していたわけではなかった場合、埋葬後、抱きしめ合っていたという結果は、他人の思想が介入したことによるものであって、御本人様二人の願いとは、全く無関係な結果であった可能性だってあるわけですよね……。
恋人同士であれ、夫婦であれ、男女の間に何があったのかなんて、他者には詳細が分からないのは普通ですから、二人共、もしくは、どちらか片方の思いが、歪められ無視されてしまった可能性だってあるわけですよ……(-。-;)

『本人達に頼まれてもいないのに勝手にそんなことをする人間がいるのか?』 って疑問符を浮かべた方に対しては、『世の中広いので、勝手にやる人間は、かなり沢山います。』 と、お答えしておきますね……。まあ、そりゃ~、色んな人間がいるでしょう……。
それに、そもそもにして、今とは時代が違うので、本人の思想を確かめずに、自分個人の主観や感情を押し付ける人間が、よけい多かった可能性は高いんですよね……。
日本の場合、恋愛結婚が普通になったのは、つい最近の話で、少し前(昔)までは、親が結婚相手を決めてしまうのが普通でした。それに、極一部の一例を挙げれば、殿様のような身分が高い人間の結婚を断ったら、お家の人間諸共殺されてしまうので、断ることができなかったという柵があった時代があったぐらいなので、昔の人間は、様々な面で一個人の感情なんて全く尊重されていませんでした。
そこは、外国なので、日本の状況とは、かなり形態や性質の違う歴史があったでしょうが、何処の国であれ、形態や性質が違うだけで、人間の昔の歴史は、個人の感情に凄く無頓着で極端に無視する傾向があったことは事実だと思うんです。
そもそもにして、今の時代に、生贄なんて発想をする人間は、いないでしょう……? 個人の感情が徹底的に無視されてしまうことがあるんですよね……。時代が違うんですよ……。そんな時代の場合、彼等の死因が仮に生贄ではなかったとしても、個人の感情が尊重されて起こった結果だとは必ずしも言い切れないですよね?……。
(-。-;)

どちらにせよ、先程も言ったように男女の間に何があったのかなんて真実は他人には分かりません。

例えばの話として、無数に存在する実例のうち一つだけ例に挙げるとするならば、
私達元夫婦は、離婚前、喧嘩が絶えなかったのですが、皆からは、『ananさんの旦那さん優しいね~。ananさん愛されているね~。仲が良い夫婦だね~。(⌒-⌒)』 と言われていましたし、元旦那さんは、優しさなんて、これっぽちもない男なのだけれど、彼が、妻に理解のある良い旦那アピールを他人に向けてガンガンに放つので、『旦那さん優しいね~。ananさん恵まれているよ~。うちも旦那も、ああだったら良いのに~。』 と言われて、同じ女性達から、かなり嫉妬されたこともありました。にも関わらず、私のもと旦那さんは、性犯罪前科2犯だし、夫婦間(家庭内)では耐え難いことが色々あったんですよね~。 (;へ:)
他者の感想なんて、たいがい無責任で物凄くいい加減なものなんです。 (⌒-⌒)
誰かが、本人の知らないところで勝手に愛し合っていると勘違いして、独りよがりの一方的な善意を押し付ける形で、抱きしめ合う格好を取らせて、二人の遺体を土の中に埋めてしまった可能性だってあります。

それか、生贄とか宗教的儀式だった可能性もあります。
あくまで、可能性の話だけで言うのならば、他にもキリがなく沢山ありますよね。可能性なんて際限なく無限ですからね……。

ちなみに、余談というか補足ですが、元旦那さんではなく、今一緒にいる人とは上手くいっているので、ご心配なく……(⌒-⌒)

とは言え、一部の人達が思っている通り、本当に、この遺骨の男女が遥か昔愛し合っていたんだと仮定しましょう……。それでも、以下の問題で、『ロマンチック』 『彼等はリア充だ~』 『素適ですね』 『感動した』 なんて感想を言えるような状態ではなかったと思うんです。(『リア充』 とは、『現実の生活が充実している人』の略です。)

まず、遺体は腐るので、同じ場所に埋葬されていたのならば、ある程度、同じ時期に亡くなったと考えたほうが自然だとは思う。まあ、全く違う時期に亡くなった可能性だってないわけではないのだけれど……。
遺骨は若い男女だと言うのだから、この二人は老死ではないし、病気を患って、同時とは言えないまでも、ほぼ同時期に亡くなるなんてこと、可能性で言うのならば、かなり低いはずだから、この男女だって病死だった可能性は低いはず……。まあ、もしかしたら、病死だったのかもしれないけれど……。何かに感染したとかならば、ほぼ同時期に亡くなる可能性はあるからね……。それに関しては、そんなに可能性は低くないと思う。ただ、病死ではなく自害か餓死か凍死か何かトンデモナイ事件に巻き込まれてしまい亡くなってしまった可能性のほうが高いと思う。じゃなきゃ、時を待たずして、ほぼ同時期に亡くなるなんてこと、あまり起こらないような気がするから……。病死だったら、亡くなる時期は、かなりズレるはずだよね。(まあ、病死であっても、同時期に亡くなることはあるだろうけれど……。)
同じ場所に埋葬されていたとなると、同時期に亡くなったと仮定するほうが自然なので、同時期に亡くなったと仮定するならば(あくまで仮定形の話)、病死のような自然な流れの死を前提とし辛い。病死であれば、相当身体的苦痛を伴うはずなので、病死のように自然な流れの死であれば問題がないと言っているのではなく、とにかく、自然な流れの死は前提とし辛いと言っているだけだ。殺人等その他何らかの酷いトラブルに巻き込まれてしまったか、何らかの酷いトラブルに巻き込まれてしまったからこそ自分自ら命を絶ったか……、そういった複雑な波乱が混じった経緯であった可能性は、それとなく浮上してきてしまう……。それと、生贄の可能性も高い。
もし、仮に、二人して自害したとしたならば、死ななくてはいけないほど状況的にも心理的にも酷く追い込まれてしまっていたことを意味しているから、楽しくて美しい話ではないし、飢餓や極寒や感染か何かで亡くなってしまったのだとしても、本人達は身体的にも心理的にも相当苦しかっただろうし、何かトンデモナイ事件に巻き込まれてしまったのだとしても、それはそれで、やはり、先程とは全く違った意味合いで、心理的にも身体的にも相当苦しかっただろうと思う。まあ、修羅場に巻き込まれてしまっていた可能性もあるわけだしね……。 (x_x;)
本当かどうか知らないが、宗教的な儀式における生贄の場合、自分自ら喜んで志願する人もいたみたいなので、そういった例の場合、必ずしも心理的苦痛を感じていたかどうかといったところに関しては、定かではなくなってしまうのだけれど……。(-。-;) まあ、様々なケースがあるだろうね……。
とは言え、どちらにしたところで……。
私は、若い頃、餓死しそうになったことがあるので(親が貧乏だったわけではない。むしろ、金持ちだった。)、飢餓状態は肉体の痺れや痛みを伴い、けっして安楽死ではないことを知っているのだけれど、それと同様に、餓死に限らず他の死因であれ、人が死ぬ時は、それ相当の何らかの身体的苦痛を伴うはずだから、彼等も、そんなに楽ではなかったと思うんだ。人が死ぬって、たぶん、そういうことなんだと思う。そして、死にそうになっただけで実際死んではいない私が経験した以上に、彼等はもっともっと身体的な苦痛を突きつけられていたはずだから、もがき苦しんで、お互いに抱き合う余裕なんてなかったんじゃないかな~? って思うんだよね。まあ、飢餓状態の場合は、そうなるかな~、皮膚に触れられる等の軽い刺激だけで負担になることがあるからね……。ただ、私の場合、飢餓以外にも持病の症状も混じっていたから、このへんは、飢餓だけのせいにはできないのだけれどね……。(-。-;)(喜んで生贄を志願したケースまで話に入れると、また違った方向性の話にはなってしまうのだけれど……。(-。-;))
もし、仮に、そんな状況に追い込まれてしまっていたのだとしたら、『リア充』 『ロマンチック』 『素適』 だなんて感想を言ってしまうのは、どうなのだろうか? 物凄く非現実的じゃね? なんか違うんじゃないの? って思ってしまう。
Twitterで、『俺は、彼女もいなくて、こんな寂しい生活を送っているのに、この遺骨の男女は、生きていた時代、リア充だったよな~。www』 といった悪気のなさそうなアホな冗談や 『ロマンチック』 『素適ですね』 といったお伽噺の世界感を漂うようなメルヘンチックなことを言っちゃうような人にかぎって、自分が同じような状況に追い込まれると物凄く悲観的になって被害者面をして騒ぎ出すパターンが多いのだけれど、そうなるぐらいだったら、他人の痛みに対する感受性も、もう少し身に付けたら? って毎回毎回思うんだよね……。 (*^-^)ε=(??。??)

まあ、ただ、これに関しては、私自身、真実がどうだったのかなんて、べつに、さほど興味を持ってはいないのだけれどね……。はっきり言って、私にとっては、どうでもいいこと……。私が、何を思ったところで過去なんて変わらないし……。
むしろ、逆に、『遺骨は、人目に触れないところに静かに置いておいてあげて……。皆で、いたずらに触りすぎたりしないほうが良いんじゃないの? 相手も生きていた人間なんだから、礼儀として、必要以上に一個人の解釈を貼り付けて無駄に騒ぐのは止めような……。』 って思ってしまう程度……。
実際の事実がどうだったのかについて、あまり興味がない。まあ、でも、さほど苦しまずに亡くなったという経緯であってほしいな~とは思うけれど、かと言って、私が何を思ったところで、こればかりは、過去の真実なんて変わりようがないからね、興味を持ったところで、為す術がないし……。

それから……
数多くあるうちの一つの例にしか過ぎないのだけれど、【向かい合って抱き合った男女の骨】 というトピに関して思うこと。
このトピを書いた御本様は、『このニュースに、なんだか感動してしまいました。素敵ですよね。』 といった感想を抱いておられたようです。それに対して、トピ主様とは多少違った感覚を持たれていた方々もおられたようで、生贄説等その他、皆様、思い思いの返答をされておられました。そして、その方達へのお返事として、トピ主様は、

私は、約6000年も前だから天災等で飢餓状態になって仕方なく抱き合って来世でも一緒に・・・というように抱き合って亡くなったのかと・・・夢を持ちすぎですかね。。長生きもできない時代ですし。でも、やはり素敵だ!って思っていたいです。

といった返答をしておられました。

私の意見を言わせていただきます。

埋葬されていたのですから、亡くなった御本人様達以外の別の誰かが、あの形に埋葬したのであって、本人達の意志で、『仕方なく抱き合って来世でも一緒に・・・というように抱き合って亡くなった・・・』 といった状況ではなかったと思うんです。まあ、遺体が発見された時に遺体同士が抱き合っていたから、同じように抱き合った状態で埋葬してやろう……と誰かが思ったみたいな、それに類似する流れでない限り、亡くなった時の状態と埋葬された後の状態は、全く無関係なはずなんですよね……。

それから、なんで、天災等で飢餓状態になって亡くなることが、そんなに素適な状態だと思えるんでしょうか?『夢を持ちすぎですかね。。』 と言っておられますが、仮に、本当に、この方が仰る通り、殺された等の残酷な理由ではなく、一見平和に見える天災等による飢餓状態で亡くなったんだとしても、全くもってして夢を持てるような状態ではないですよね……。何故、そういう不思議な発想になってしまったのでしょうか?

飢餓状態ってこうなってしまうんですよ……。【難民の皆様の画像】
『素適ですね』 と思っていた方々は、画像を送って下の方まで、ちゃんとご覧ください。仮に、愛し合っていたのだとしても、『素適ですね』 なんて思っていられるような、そんな状態ではないことが分かるでしょう。

私自身が、今後餓死したからといって、恨み辛みを抱いて誰かを呪ったりしませんし、悪態をつく気にもなれませんから、べつに物凄くネガティブな意識状態になって、ものを言っているわけではないんですよ~。 (*^-^)
物凄くネガティブな意識状態にはなっていませんが、ただ、餓死は、決して素適な状態ではないと思うんです。
まず、餓死しそうになる前に、人間は、食べ物を手に入れようとして物凄く足掻くんだと思うんです。つまり、生き残ろうとして相当過酷な生活状況を強いられていたと考えるほうが妥当でしょう……。まあ、そうではなかった可能性もあるわけですが、何もせずに、のうのうと死にそうな状況になることを待つ人間は、あまりいないでしょうから、けっして平常時のまま呑気にのほほ~んと過ごせる状況ではなかったと思うんです。かなり過酷な状況だったと思うんですよね……。
それから、人によって感情の質は違いますから、何とも表現しようがありませんが、死への恐怖や無念といったものを感じていたとしても、おかしくない状況ですよね……。様々な感情が湧き上がっていたはずなんです。まあ、意外にも淡白な人って一部いるようですが……。
餓死しそうになった経験がない人は、餓死が安楽死ではなく身体に痛みが生じることを知らないのでしょう。ですから、眠るような静かな死だと勘違いしておられるのでしょう……。ですから、その辺のところを、よく分かっていないのは、無理もないことだと思いますから、その辺を、とくに疑問視する感覚はないのですが、私が先程言った生活状況や感情に関する、その範囲内のことなら、 『物凄く大変な状況だ。』 って飢えた経験のない小さい子供であっても自動的に理解できることなので、大人の人なら普通に理解できていて当たり前のことだと思うのですけれどね……。現に、私自身が、小学生の頃に、すでに、その程度のことは、理解できていましたからね……。
あと、そこは、日本ではなく海外なので、海外で天災によって飢餓状態になると暴動や奪い合いが起こることが多いですから、そういった意味でも平和ではなかった可能性もありますよね……。日本国と海外では文化が違うので……。(ただ、大昔の話なので、今とは状況が異なるとは思いますが……。)
なんでしょう……。それなりにいますよね、こういうメルヘンチックな方って……。
まあ、べつに、どう思っていてくれても、構わないんですけれどね……。ε=(-。-;)

ただ、飢餓状態は物凄く最悪な状態になることを分かっていたうえで、それでも、『素適ですよね。だって、そんな大変ななかでも、愛し合っていたんですから……。』 って感想を抱いたのかもしれませんが、まあ、どういった理由だったんでしょうね……? 私としては、どちらでも、なんだっていいんですが……。(*^-^)

それから、もう一つ、やっぱり、数多くあるうちの一つの例にしか過ぎないんですが、【5000年も変わらぬ愛。 抱き合った男女の遺骨をイタリアで発掘。 】 という記事に対して思うことです。
記事の内容を引用させていただきます。

バレンタインデーを目前にして、なんともロマンチックなニュースがイタリアから届きました。遺骨の画像もリンクしましたので是非見てみて下さい。


………(中略)………


この男女がどういう経緯で一緒に埋葬されたのかについては、いろいろと悪い方に勘ぐる人たちもある。何らかの風習があって若死にした男性のために女性を殺して一緒に埋めたのではないかという憶測だ。これは最近中国で起きた、未婚男性の「魂の花嫁」にするため女性を殺害して一緒に埋葬したという事件からくる連想だと思われる。確かに世界にはまだまだ耳を疑うような奇習・奇祭が多数存在するし、ましてや5000年前だから迷信的な発想に基づく風習もあったに違いない。


でも、この遺骨の写真のなんと美しいことか。


何らかの理由で二人一緒に殺されたか又は二人で同時に自害したか、あるいは一方が死んだのを悲しみもう一方が自ら命を絶ったと、せめてそう思いたい。そして二人が深く愛し合っていたのを良く知っていた村人たちなりが一緒に埋葬してあげたと。


今付き合ってる彼女に対しては、一緒の墓、それも一緒の骨壷に入りたいと思うほど永遠の愛を心に誓っているつもりの私ですが( 照れるね(^_^;) )、遺灰を混ぜ混ぜにしてもらうよりは、骨のままこの記事の男女のように一緒にしてもらうほうが何かほんとにずっと一緒って感じでいいですね。方針変更です。


記事では「遺骨の死亡時の年齢や埋葬された時期」を調べるとありましたが、それが終わりましたら、埋め戻すことまではしなくてもいいからどうか引き離さずに展示なりしてあげて下さい…。

なんで、『二人一緒に殺されたか、二人一緒に自害したか、愛する人の後を追ったか、そのどれかであると、せめてそう思いたい。』 って発想になるのでしょうか?
殺されたなら、良いことじゃないし、自害したんだとしても良いことじゃないですよね? むしろ、物凄い最悪な状況じゃないですか~? まったくロマンチックではないですよね? どこがロマンチックなのでしょうか?
ロミオとジュリエットを連想してしまったのでしょうか? まあ、あれだって、フィクション映画として見ているぶんにはまだしも、ノンフィクションの映画だったり、当事者だったりしたら、物凄い悲しいお話でしかないですけれどね……。

この世の修羅場というか地獄を経験したことがない人間の発想って、皆こんな安易なものの捉え方をしているのでしょうか? もしくは、この世の片隅に引き起こる地獄絵図を端で垣間見たことがない人間の発想って、皆こんな安易なものの捉え方をしているのでしょうか? たぶん、違いますよね? 皆さん、ここまで能天気ではないと思うんです。
一応、念のため指摘させてもらうのならば……
『死にたい。』 という願望で終わっているのではなく、実際に 『死ななければならない。』 ほど、人が何かに酷く追い込まれてしまっている時や、誰かに殺されそうになっている時の状況なんて、この方が考えているほど綺麗で生易しい世界ではないんですよね……。
人がそれほどまでに酷い状況に追い込まれてしまったら、『二人だからまし。一人だから駄目。』 とか、そんな生易しいことは言っていられませんし、『好きでもない男の「魂の花嫁」になるために殺されてしまい同じ場所に埋葬されてしまったわけではなく、ちゃんと愛する人と二人一緒に同じ場所に埋葬されたから、いくらか状況はまし。』 とか、そんな次元の話では済まされないんですよね……。そんな単純に片付くような話でもないんですよ……。
殺人や暴力は、正当防衛や復讐を除けば、殺人や暴力ができてしまうぐらいに精神が異常な人間が、かなり身勝手な理由で、人を殺したり暴力を行っているということなんです。(復讐を肯定しているわけではありませんよ。)殺人や暴力に正当性なんて、ほとんどないんです。たしかに、『未婚男性の「魂の花嫁」にするため女性を殺害して一緒に埋葬した。』 なんて話を聞けば、物凄い事件だな~とは思いますが、他の殺人だって同じように物凄い事件なんですよ……。水面下に隠れた理由に関しては、耳を疑うような理由であることに、たいがい変わりはないんです。だったら、結局、好きでもない男の「魂の花嫁」にされたわけではなく、愛する人と共に一緒に埋葬してもらえたんだとしても、内容が多少違うだけで酷くトンデモナイことに巻き込まれてしまい殺されてしまったということに関しては、変わりがないということになってしまうんですよ……。
それに、もう一つ別の重要な問題点を言うならば、愛する人を殺されたら辛いから、二人より一人のほうが、まだましかもしれないという側面もありますしね……。(まあ、おいていかれた人間の側からしたら、それは逆に辛いって言うかもしれませんが……。)一人より二人一緒のほうが逆に悲しみは増すでしょう……。私だったら一人のほうがましだから、危険なところでは一緒に居てくれなくていい、一人のほうがいい……って思いますけれどね……。
『せめて……。』 と、あの記事を書いた彼が多少妥協しながらも望んだことは、彼の記事のなかに書かれていた中国の事件と大差がないんですよ。だって、どちらも殺人であることに変わりはないんですから……。ゴタゴタしたことに巻き込まれ波乱の結果、二人同時に亡くなってしまったのだとしたら、場合によっては、中国の事件より、もっと質が悪い場合だってありますよ……。(まあ、正当防衛や復讐によって、彼等男女二人して同時に殺されたというケースを除けば……の話ですけれどね……。)

それから、『埋め戻すことまではしなくてもいいからどうか引き離さずに展示なりしてあげて下さい…。』 と書いてあるんですが、なんで、それが、彼等遺骨の男女に利益がある親切な提案だと思っているのでしょうか? 親切な提案だと思っているわけではないのかもしれませんが、『……してあげて下さい。』 という言葉は、基本的に、その行為を受け取る側に利益がある時に使われる言葉ですよね? (・_・)......ン?
展示なんてされて嬉しいのは、意味不明に目立ちたい人間だけです。本人達が知りもしない多くの人間の目に触れて晒し者にされるわけですから、そんなことされたら、迷惑だと感じる人間もいるでしょう……。(x_x;)
何故、自分の趣味趣向と相手の願望が違うかもしれない可能性に思考が行き着かなかったのでしょうか?
まあ、それをされて嬉しい人間も一部いるでしょうが、そうとは限らないんですよ……。であるのならば、極力人目には晒さないほうが良いと思うんですよね……。

それぞれの人に当事者感覚が全く無いと言うか、お伽噺か映画かドラマのなかに出てくる登場人物達に対して感想を言っているかのような二次元的で非現実的な発想を抱いていますよね。でもね、相手は生身の人間だったんですよ……。お伽噺でもなければ映画でもなければドラマでもないんですよ……。そこをちゃんと分かっているのかな? って、ちょっとだけ不思議に思ったんですよね……。(;へ:)
全ての人がそういった発想をしているわけではないのですが、たまに出てくる、こういった非現実的な発想のどれもこれも、発想原理が不思議でならなかったんですよね……。

まあ、べつに良いんですけれどね……。皆さん、好きなように思いたいように思ってくだされば…………。(-。-;)

とは言え、仮に、愛し合っていたんだとしても、『ロマンチック』 『彼等はリア充だ~』 『素適ですね』 『感動した』 なんて感想を言えるような状態ではないと思うんですよね~~。(-。-;)

それから、仮に、本当に愛し合っていたのだとしたら、尚更、よけいに、逆に、苦しむ結果になる可能性が高いのでは……?

私自身、子供の頃、生というやつには執着心が無く、誰かが救われるのなら、べつに自分は死んでも構わない……とそう考えてしまうタイプの人間だった。自分を大切にすることは大事なことなので、べつに自分の命を捨てることができる人間が凄いだなんて思っていないし、何が正しいのか答えを見出すのが大変な世の中のなかで、英雄気取りな奴は自分が正しいと勘違いしていて気持ちが悪いし、ただの自己満足にしかすぎない下らないゴミのような犠牲的精神を誇りにして自分に酔うような気持ちの悪いことをする気にはなれないのだけれど、ただ単純に生に対する執着心はなかったと思う。
そんな風変わりな私が、死にたくないと死を恐れるようになったきっかけは、愛する人の存在だったし、我が子の存在だったと思う。(ここ近年は、死にたくなっていたけれど……。こういった心理的側面は、歴史のなかで様々な理由から変化が起こっていたので、正確に描写するのは難しい……。正確に描写しようとすると、やたら文章が長くなってしまうので、ここに書いたこと以外のことについては、この記事のテーマとは無関係だから全て割愛することにする。m(__)m)
Mr.ChildrenのHEROという曲のなかにある歌詞で最初の2つのまとまり(最初の5行)に関して、私の心情として、さほど違和感を感じない。( 『さほど違和感を感じない。』 と表現しているのは、私は、この歌詞を作った御本人様ではないので、歌詞のなかに込められいる本当の思いを理解できているはずがなく、自分勝手に理解したつもりになれば傲慢でしかないという心理があるからこそ、あえて『共感』 という言葉を避けたからだ。ただし、最初の5行に関しては、『共感できる』 と表現したほうが読者の皆様にとっては意味が解りやすかったのかもしれない。この世には、人の目には触れない目立たないところで頑張っている方々が居て、むしろ、そういった目立ちもしない雑務の累積無くして社会は成り立たないのに、ヒーローという単語は、ごく限られた一部の人間だけにしかスポットライトが当たらないので、非常に大嫌いな私だが、そんな私のわりには珍しく、この曲で使われているヒーローという単語に関しては、嫌な気分を引き起こさずに、なんとか聞いていることができた。歌詞のなかで、『でもヒーローになりたい ただ一人 君にとっての……』 と言っているので、そんなところから、世間一般的に他で使われているヒーローという単語とは意味合いが違って聞こえたのだ。ただし、『なんで彼女にとってのヒーローになりたいの?』 と思ってしまうから、やはり、なんかこう共感できなくてピンとこない。ただ、世界中(社会)のヒーローになりたいと言われてしまったら、ドン引きしたし、嫌だったと思うから、『ただ一人 君にとっての……』 と言っているのは、かなり可愛げがあるんじゃないかな~と思った。一応嫌いではないと思う。)桜井さん自身が語っているように、事実、愛する人達は自分自身を臆病者に変えてしまうと思う。
先ほど説明した私の子供時代の感覚、こういった私の感情感覚は大いに変わっているので、変わり者である私のことは脇に避けて放っておくとしても、愛する人がいたほうが生に執着心が強くなるのは一般的にごく普通のことだと思う。
イタリアで発見された、この二人が、一部のネットユーザーが想像している通り本当に相思相愛のラブラブ状態だったとしたら、かえって逆に悲劇だったのかもしれないな~とそう思う。『リア充だ~。』 なんて呑気な感想を言っている場合ではないのかもしれない。だって、好きであればあるほど、己の死を前にして『死にたくない。』 という感情や何かにしがみつくような感情が生まれてしまい、よけいに苦しくなってしまい地獄だろうから……。
こういう時、愛情という感情はないほうが逆に楽なはずなんだよね……。
何故、一部の人達は、様々な状況を無視して勝手に『幸せ』 をイメージしているのだろうか? とオカルト現象を見ているような気分になる。皆、現実との繋がりを見出だせない2次元的空想のなかに住む人間達ばかりなのか? (*^-^)

事実、本当に相思相愛でラブラブだったのかもしれないし、そうではなかったのかもしれないし、幸せだったのかもしれないし、不幸だったのかもしれないし、様々な面を総合的に見た場合、事実は何も分からないから、良いとか悪いとか、どちらの印象も抱かないのが客観的な対応なんじゃないの? って思ってしまうんですけれどね……。
これぐらいは、大して考えなくても一秒で分かることだよね……。 (*^-^)

『永遠の愛』 『ロマンチック』 『彼等はリア充だ~』 『素適ですね』 『感動した』 って言って騒いでいる人達の客観性のなさは、どこからくるんだろうね~? って思ってしまうのです。 (*^-^)

この男女の遺骨に関して、真実が何なのかは、実のところ何だっていいのですが、問題は、彼等男女の遺骨の真実が何だったのか? について話をしたかったのではなく、他のことが言いたかったんですよね……。
イタリアで発見された、この遺骨の場合、嫉妬がどうこう言う話題ではないのですが、嫉妬とは無関係な話題なのですが、それでも、人が誰かに対して嫉妬を抱いている時だって、この遺骨の話題の時と同じように、『君がイメージしたことって本当に真実ですか?』 ってぐらい意味不明な状態になっていることが多いんですよね……。たしかに、その人間が意識している対象に対して、悪意を抱いている抱いていないといった違いは、かなり大きいのですが、それでも、真実とは違うかもしれないところにイメージが行き着いてしまっているところに関しては、どちらも結局のところ同じなんですよね~……。 (⌒-⌒)
批判にしたところで、個人個人の心のなかで勝手に形作られてしまった幻影であることが多いでしょう……。
背後にあるものや別の角度から見えるものを考慮せず、自分の視界のなかに写し出されたことだけしか把握できない人間に多い現象ですよね……。それ以外のことを言えば、自分個人のなかに持っている独自の感情感覚を、自分以外の人間に投影してしまっているからこそ、真実とは違うことをイメージしてしまっていることが多いんです。その証拠に、同じものを見ても、同じ文章を読んでも、頭のなかで展開される解釈やイメージは、人それぞれ極端に異なりますよね……。
たいがいの人が何かを見て思い描いたイメージは、大半が妄想とか幻想に近くて、思い込みや勘違い、そんなものばかりが頭の中を常に蠢いているだけだってことに気づかないと、下らない嫉妬や何か勘違いしてしまったことによって引き起こる批判が、日々絶えないことになりますよね~ってお話なのです。 (⌒-⌒)
私も含めて皆で気をつけていかないといけませんね……。(まあ、そのまえに、私って嫉妬という感情を感じたことがないんですけれどね……。)

私自身、毎日毎日、『しまった。』 と落ち込んだり反省ばかりで、自分で自分のことを気遣いができる優しい人間だとは思ったことはありませんが、周囲の人達から、私の持病に関して、『いつも気遣いをくれるananさんのことは捨てることができない。この人のためなら協力しようって気になれる……。』 と言ってもらえているので、『永遠の愛』 『ロマンチック』 『彼等はリア充だ~』 『素適ですね』 『感動した』 とか言えちゃうほどメルヘンチックではなく現実主義者な性格が、私自身の救いになっているのかもしれませんね……。
まあ、分かりませんけれど……。

ただ、その以前の問題として、一部の人間には、そんなことを指摘しても無駄だって気付いていますけれどね……。だって、彼等のように勝ち負けにしか興味のない人間に重要なのは、本当の真実ではなく、真実を歪めてでも自分の味方をしてくれる人間・自分を正当化してくれる人間ってだけですからね……。ですから、『それは真実ではないですよね?』 って指摘したところで意味はありません。何十年間か観察し続けた結果、彼等は、どうも他人から無駄に承認されないと死にそうになるらしい! ってことに気付きました。ただ、実際は、どの程度どうなのか知りませんよ……。私の感情感覚ではありませんからね……。第三者が想像したところで、彼等本人にしか絶対分からないことです。ですから、まあ、これに関しては、これ以上言う気はありませんが……。

とにかく……
何かに対して良いとか悪いとかの具体的なイメージを持たないほうが良いんだと思うんです。まあ、必要以上に判断をしないというか、ジャッチをしないというか……そういうことが大事なんだと思うんです。頭のなかを完全に真っ白にするのって難しいですけれどね……。
努力しても、うっかり失敗してしまうことがあるので、できる、できないは別として、それでも、やはり気をつけていかないと駄目なんだな~って、そう思っているんですよね……。ですから、出来る限り皆で気をつけていきましょうね~ってことで、提案しているんです。ごめんなさい。(-。-;)

それでは、失礼させていただきます。(⌒ー⌒)ノ~~~~

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