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このブログを読んでいただく前に、まず先に謝罪をさせていただきたいことがあります。
ボケ症状があるので、思っていることが上手く言葉にならずニュアンスが崩れてしまいます。ですから、そのことも含めて色々と 【謝罪文】 のなかで謝罪させていただきました。申し訳ありませんが、 【謝罪文】 を読んでいただけると助かります。
そして、皆様に謝罪文を読ませるお手数をおかけして申し訳なく、ここで重ねて二重にお詫びお申し上げます。申し訳ありませんでした。

2017/10/07

加害者を憎まずに許し愛そう!という御意見に対して私が思うこと

この記事は2017/11/27に追記と修正が完了

リンク先に存在する画像の中から……
沢山の猫ちゃんを虐殺した加害者を庇護している方の御意見を
とりあえず先に一部だけ引用させていただきますね……。
枠線内部の文章が引用文です。

この記事の途中で、
[どんな残虐な行為のもと沢山の猫ちゃん達が殺されたのか? そして、それに対して、どんな内容の庇護があったのか?]
さらに詳しく説明するために、ある方々のツイートと画像を、多数この記事内部に埋め込んでみますが、ここでは先に、加害者を庇護している方の台詞を一部部分的に引用してみることにします……。
それでは……

伊藤の意見

行為自体は赦さるものではありません。しかし、犯罪を犯す人も、それなりの生い立ちや苦しみや精神的な問題を抱えて、本来赦されないことをしてしまっている事実があると思います。

日本には昔仇討ちがありましたが、現代では被害者が加害者を討つことでさらなる感情の連鎖をとめるために、弁護士、司法、裁判所があるわけで、プロが今の法に基づき偏りのない判断を出すことで、秩序がかろうじて守られているのだと私は理解しています。

僕はこの会計士さんの心の闇をみんなで探り、分析し、どのような心理や背景がこの悲劇を生んだのかを分析することが、再犯防止に寄与すると思うし、その作業を冷静に行うには、恨み、は邪魔な感情だと思います。

僕は犯罪者側も愛して理解して
苦しくても赦してあげられるような
そんな人間になれたら良いなと思います。

どんなに苦しくても。

もちろん、
仕返しは何も生まない。
憎しみは何も生まない。
復讐は何も生まない。
仇討ちは何も生まない。
愛だって、時と場合と人によっては
必要な感情でしょう。
それは事実だと、
それに関してだけは、
極一部微量の同意を先に示しておきましょう (⌒-⌒)

ですが、そうかと言って、加害者を庇護して良いわけではないですよね?
『憎まない・復讐しない・愛する(a)』 と 『庇護する(b)』
(a)と(b)これらは、けっして同義ではありません。
そして、『愛する』 とは、いったい何なのでしょうか?
何を思えば愛したことになるのでしょうか?
愛なんて、はっきり 『これが愛だ。』 という限定した枠や形が存在しないはずのもので、『愛』 の定義は難しいので、私は、愛について気安く語る気にはなれません。定義が難しいはずの 『愛』 について、ただの文字面だけで語ることができてしまう人間の愛情なんて、たいがい偽善で薄っぺらいものでしょう……。
まあ、私は、猫ちゃん達虐殺の加害者である大矢誠さんを愛する気なんて全くありませんが、
仮に、彼を愛するのだとしても、厳しさだって多種多様な愛の形のなかの一つの形なんじゃないでしょうか? 庇護的な愛だけを愛と捉えるような狭い限定した枠のなかで、一個人が、愛を、小さく小さく観念的領域内で語らないほうが良いんじゃないでしょうかね?

生い立ち? 苦しみ? 精神的な問題? 心の闇? (-。-;)
それがどうかしたんでしょうか? (-。-;)

私は、虐待を受けて育ち、心の闇や苦しみを強く抱えながら、あまり理想的とは言えない物凄い格好悪い無様な生き方をしてきた人間の一人なんですが、それでも、虐殺なんて、あんな酷いことはせんのですよ……。ですから、大矢誠さんの場合、生い立ちとか心の闇や苦しみ以外のもっと別の問題を抱えているんじゃないですかね?
しかも、大矢誠さんの生い立ちが悪かった証拠なんてどこにもないですし……(・_・)...ン? ただ単に性格が悪いだけなのかもしれないですよね……(-。-;)

加害者って何歳ですか? 今まで何をして生きてきたんでしょうね? (・_・)...ン?
あそこまで性格をねじ曲げたまま自分の性格を直そうとも思わずに長いこと生きてこれた人間の人格なんて、そうそう簡単には直りませんよ……。今さら無駄です。本人が自分の性格を直したいと葛藤して苦しんでいるのであれば、可能性が低いなりにも、まだ可能性はあるのですが、加害者の様々な発言から察するに、加害者自身に、その意志が全く無さそうなので、到底無理だと感じてしまいます。
本人に、その意志がない場合は、周りが手助けをしても、無駄な結果にしかなりませんからね……(-。-;)

下のTweetは、動物の虐待や虐殺とは何ら関係がない内容ではありますが、どんな分野であれ、本人の意志や感情が、その先の結果を変化させるというところは同じだと思うんですよね……。それに関しては、どんな分野であれ結局同じことでしょう? (⌒-⌒)

私の祖母は、私の母が子供だった頃に、私の母を虐待してしまった残酷で酷い人ですが、べつに生い立ちが悪かったわけでもなく、大切に育てられた良家のお嬢様でした。
私の祖母の兄弟・姉妹には、性格が悪い人と、話が分かる性格の良い人が、両方、両極端な形でいました。同じ親に育てられて、個人個人で、これだけ性格に差が出てしまうのですから、生い立ち以上に、本人の自己責任だって当然あるはずなんですよね……。
まあ、とは言っても、生い立ちなんて親の影響だけで云々言えないところは、もちろんありますけれどね……。

しかも、法に基づくこの社会の秩序を無駄に信頼しておられますが、言うほど、この社会の秩序は保たれてなんていませんよ……。どれだけ世間知らずなんでしょうか? 何、寝言言ってくれちゃっているんですか? って話なんですよね……(-。-;)

では、この辺で、ある方々のTweetと画像の例を挙げることで、もう少しだけ状況を詳しく説明していくことにします……。(何個かTweetの存在が無くなっているものがあったので、最近投稿されたばかりのTweetを新たに補充する形で入れ替えさせていただきました)

私のブログ内の箇所箇所に埋め込まれているTweetを書いた方々の人生観や人となりは知りません。私自身、持病持ちで体調が悪いので、1つの記事を完成させるのに相当の時間がかかってしまいます。ですから、下に並んだTweetを書いた方々の思想を確かめるために、彼等が過去どんなTweetを書いてこられたのかといったところを調査してはおりません。ただたんに、情報として必要なことが書かれていると思ったTweetを下に並べさせていただいただけです。ですから、説明するまでもありませんが、その後の判断は、読者の皆様の自己責任で、よろしくお願いいたします。

Tweetは、クリックすることで、もともとのTweetを表示することができますが、もともとのTweet内に表示されている画像をクリックすることによって、画像が拡大化され、今まで表示されていなかった画像箇所も見ることができます。また、この記事のなかに埋め込まれている画像も、文字が小さくて読み辛いと思った場合には、画像をクリックしてくだされば、拡大した状態で読むことができます。

桜🌸 りりーさんのTweetのリンク先に書かれている内容、アメリカの研究のところを読んでいただきたいのです。それに関して一部を引用させていただきますね……。

犯罪プロファイリングが進んでいるアメリカの研究によれば、重犯罪者のほうが動物虐待歴が高く、FBIは動物虐待の取締りを強化し、軽犯罪から重犯罪にレベルを引き上げるとともに顔写真や個人情報をウェブサイトで公開し、犯罪データベースで扱うようになりました。
FBIの連続殺人犯プロファイリングの著名な開発者、ロバート・K・レスラー氏によると「殺人者の始まりは、ほぼ動物の殺害や拷問に端を発している」そうです。
攻撃性のない犯罪者よりも攻撃的な犯罪者の方が、動物虐待の過去歴が高い確率が高く、性的殺人犯罪者の動物虐待の過去歴は100%である事もわかっています。

だそうですよ……。
これは、たぶん、正しいと思います……。
何故なら、私の実父は、自分の子供を虐待した人間なんですが、動物の虐待も行っていたそうです。私の母が、よくブチキレながら、『あの人、飼っていた犬に凄い酷いことをしてた。棒でバチバチブッ叩いていた。(猪刈りをして、猪を殺すのが趣味だったらしいのですが、その猪刈り用の猟犬を飼っていたそうです。オスの猟犬は猟に使えるので、虐めなかったらしいのですが、メス犬は、棒で叩いて虐めていたそうです。(涙))』 と言っていました。ですから、たぶん、研究結果は間違えていないのでしょう……。たぶん……。
まあ、どちらにしても、生命にトンデモナイ危害を加えているという点では同じなので、相手の対象が、人間か動物かと言った、その違いは、さして重要ではないでしょうね……。

それから、伊藤さんは、法に基づくこの社会の秩序を無駄に信頼しておられますが、
ある方のTweetのなかに、それとは真逆の状況を思わせる内容が書いてありましたよね?
『もう何年も前から何度も通報されたみたいだけど、警察が来たこと一度もないんだよね……。』 『どうせ捕まらないさ』
黒ムツなどの動物虐待愛好家達が、こんな風に調子に乗れてしまうぐらい、この社会の秩序は全く保たれてなんていません……。システムにしたところで法にしたところで、あちこちがガタガタです……(-。-;)
虐待や犯罪の分野に限らず、障害者を抱えている家庭の方であれば、この社会の制度やシステムや法そのものが、イカれていて、上手く機能していないことで、あらゆるところに派手に矛盾が発生していることは、皆さん実感されていることでしょう……(-。-;)
まあ、こんなこと、今さら語るまでもなく最初から分かりきったことではありますけれど、社会は、それぐらい、様々な分野で大昔から派手に崩壊しているのです……(-。-;)
残念ですね……(-。-;)

話を再度もとに戻しますが……m(__)m

生い立ち? 苦しみ? 精神的な問題? 心の闇?
それがどうかしたんでしょうか?
そんなものが動物の虐殺や虐待を行う正当な理由になってしまうのなら、親から虐待を受けた人間は、皆全員凶暴になってしまっていないとおかしいんですよ……。でも、なっていないんですよね……。

私の母は、彼女の母親や歳上の兄弟から虐待を受けて育ったんですが、動物は大好きで大層可愛がりますよ……。まあ、可愛がり方が病的に過保護なので、やり方は間違えてしまっていますが、それでも、彼女なりに一生懸命なんですよね……。(彼女本人が、虐待を受けて辛い思いをしてしまいましたから、『同じ思いはさせたくない。』 という反動で過剰な愛情表現になり、病的に過保護になってしまうのでしょうね……。)
たしかに、私の母は、母の母(私の祖母)から洗脳と虐待を両方受けて育ったので、様々な場面で変な行動を取ってしまう人なんですが、それでも、愛情がない人間ってわけではありません。
それから、私の友人も、彼の両親から虐待を受けて育ったのですが、彼は、動物のほうから群がってくるぐらい動物に凄い好かれますし、彼自身も動物が大好きですよ……。いつも仏頂面していますが、動物と関わっている時は、ほんと 『なんでだろう?』 ってぐらいデレデレしています。
ちなみに、彼のお父さんは、薬物でラリって、水道の水を滝のように近所に垂れ流して、天災ではない人工的な洪水を発生させて、警察に捕まったことがある人です。(苦笑)彼のお父さんはヤクザさんなので、自分の息子に指詰めをしようとして、彼のお母さんに、『包丁持って来い。』 って命令してしまった人なのですが、彼のお母さんは、躊躇なく包丁を自分の夫に渡してしまったんですよね……。普通、自分の息子を守るために拒否して渡しませんよね? 頭相当イカれているって思いました。まあ、他にも色々ありましたし、常に頭おかしいので、彼は、ほんと家庭生活のなかで色々苦労してしまいましたね……(x_x;)
補足:
彼は、【マタニティマークを批判する人がいるみたいだけれど 私はマタニティマークに賛成 】 という私が書いた記事のなかで、私が書いた記事とは別に、男性の視点で私の友人が書いてくれた記事として紹介させていただいた記事を書いてくれた方なんですが、まあ、彼が書いた記事も、もしよかったら、いずれ読んでみてください。生い立ちに問題を抱えた人間が、必ずしも凶暴になってしまうわけではないことを、あの記事から、分かっていただけると嬉しく思います (⌒-⌒))
それから、彼以外にも、虐待された子(当時17歳の女の子。今は、たぶん34歳ぐらいなのかな?)を知っていますが、彼女は、『自分が辛い思いをしたから、同じ思いをさせたくない。』 と言って不良さん達に囲まれて暴力を振るわれている子達を見て泣いていました……。(まあ、ただ、これに関しては、話を短くするために、多少内容を変形させて書かせていただいているので、そのへんに関しては、ご了承ください。事実を正確に描写しようとすると、話がやたら長くなってしまうので……。申し訳ありませんでした m(__)m )
他にも虐待された子のことは知っていますが、それほど詳しく知らないので、例として出すのは、控えさせていただきますね m(__)m
私の兄も父親から虐待を受けてしまったわけですが……。
まあ、虐待を受けて育った人間は、たいがい、何故か自分の親と同じぐらい悪い人を伴侶に選んでしまい、伴侶にも恵まれないってケースが多いのですが、私の母も、その例に漏れず、伴侶には恵まれず、母の夫だった私の父は、自分の子供である私の兄を虐待してしまった人なんですよね……。私の兄は、父親の虐待と医療ミスが原因で知的障害になってしまった人なんですが、そんな酷い暴力を受けてしまった兄であっても、私の頭を頻繁に優しく撫でてくれたり、様々な面で、とても愛情深い人なんですよ~~ (⌒-⌒)

生い立ちが悪いからと言って、皆全員、凶暴になっていないんですよ……。
結果なんて物凄い個人差があるわけですよね……。
ただ、個人差があるって言っても、どれぐらいの割合で、凶暴にならない人間と凶暴になってしまう人間とに別れるのかは、正確には分からないと思います……。例えば、友人や私のように、自分が虐待を受けている事実を他者に話さなかったタイプの人間も、かなり多いでしょう……。私の母も、他人には話さなかったそうです……。こうやって話さないで何事もなかったかのように普通に生きている人間も多いですから、虐待の事実が社会で公になりませんので、どの程度の割合で、二つに別れているのか判明はしないでしょう……。凶暴にならなかったタイプは、事実を話すこと自体、面倒くさいので、公言しないで終わらせてしまうタイプが多いでしょうから、データーで出ている以上に、凶暴にならなかったタイプは多いと思いますね……。
猫ちゃん達を虐殺した原因が、生い立ち……だって言ってしまったら、ただの正当化ですよね? 私だけではなく虐待を受けた経験者達は、皆、『はい? なにそれ? 関係ない。』 って言って、伊藤さんの言葉に納得なんてしていませんよ……。

虐殺を許して彼等加害者達の過去(生い立ち等その他)と向き合って分析してあげれば、彼等加害者達が抱えた、生い立ちから生ずる心の闇や苦しみは、消えて無くなり癒せるんですか? 彼等は、まっとうな行動ができる人間として生まれ変わることができるんですか?
私は犯罪行為をしたわけではありませんが、それでも、生い立ちが酷かった人間達を代表して、私が、生い立ちが酷かった人間達の心情的側面を語るのならば、生い立ちが酷かった人間達が抱えている心の闇や苦しみは、そんな馬鹿げた分析で消えてくれるほど、簡単なものではないはずなんですよね……。そんな簡単に心の闇や苦しみが消えてくれるはずがないんですよ……。とても安い夢物語みたいな綺麗事言ってくれちゃってるんじゃないよ……って話なんです……。
一口に心の闇って言っても何十年もかけて深く層のように積み上がっているものなんだと思うんですよね……。心に深い闇や苦しみを抱えている人間達の心の状態は、伊藤さんって方が思っているほど簡単に対処可能なものではありませんし、そう簡単に癒せるほど層や根が浅いものではないはずなんですよ……。他人が下手に関わると逆に傷を悪化させる可能性だってあります。善意の押しつけは、時に、とても怖いものなんですよね……。下手をしたら悪意より重症な痛手を負わせる場合もあります。本人は、『私は良いことをしている。』 という自信があるので、下手をしたら悪意より歯止めが利かなくなる場合があるんですよね……。かえって厄介なんです……。
人間は総じて無力であるということを理解していない人間の行動は、とても怖いんですよ……(-。-;)

伊藤さん、あなたは、生い立ちに問題を抱えている人間の理解者にでもなったつもりですか? 笑わせてくれるんじゃないよ……。あなたは、生い立ちに問題を抱えている人間の心の痛みの深刻さの度合いなんて、これっぽっちも分かっちゃ~いない。深刻さの度合いが分かっていないから、あんな風に対処可能な問題のように安い言葉を並べ立てしまうことができるのでしょう……。
って思うんですよね……(⌒-⌒)

まあ、とか散々言っておきながら、伊藤さん自身が、生い立ちに問題を抱えている人間である可能性もありますけれどね……(⌒-⌒) 別の可能性も言えば、伊藤さん自身が、生い立ちに問題を抱えていて、動物か誰かを虐待してしまったことがあって、そんな自分を正当化したくて、誰かを庇っている可能性もありますよね……(⌒-⌒)
きっと、そうなんだろう……って思っているわけではなくて、無数に存在する可能性のうちの一つに過ぎないと思っているだけなんですけれどね……。正直、この可能性に関して、強く感じているわけではありません。まあ、ただ、全く可能性がないわけではないでしょう……。

最終的には、心の闇や苦しみは、本人が、自分の自発的な意思で徐々に徐々に時間をかけて解決していくしかないんですよね……。(まあ、解決しようとして失敗する回数のほうが断然多いわけですが……。)
だって、自分が抱えている心の闇や苦しみの性質は、他者が詳細を把握できるわけではありませんからね……。詳細を把握できるのは、自分自身だけですからね……。皆、性質の違う感情を抱えていて必ず個人差があるのに、大概は、一般論かピント外れなことを言われるだけで、分析なんて全く意味を成しませんから、自分で自分の感情を念入りに観察して、自分で自分を理解するしかないんですよ……。ですから、誰かの助けを借りたとしても、最終的には、自分で自分と向き合って自分で解決するしかないんですよね……。
(時と場合によっては、人の力を借りることだって大事なことだとは思いますけれどね……。人は、一人では生きていけません。良い意味で、自分の弱さを自覚することは大事なことだと思いますし、強がらず、格好つけず、意地を張らないことは大事なことだと思うんですよね……。見ていて、弱い人ほど、自分の弱さを認めることができないように感じます。等身大の自分を認めることは大事だと思うんですけれどね……(⌒-⌒))
私は、ある病気を抱えているのですが、その病気が何なのか分かる前は、様々な科に検査に行きました。そして、23歳~25歳ぐらいのどこかで一度だけ、心療内科にも行ったことがあるんですね……。その時、心療内科の医師にこんなことを言われたことがあります……。
『我々医師が治療として行っていることを、ananさんは、すでに自己流で行っています。ananさんには自分を治そうとする強い意志があります。私は、患者さん達には、「私は、あなたの病気は治せません。」っていつも言っているんですが、それを言うと、患者さん達から、「医者のくせに治せないなんて…」 って怒られるんですよ……。ですが、ananさんは、私から、そんなこと言われなくても、最初から、それは理解できているでしょう……。ananさんには説明の必要性を感じないんです……。精神が物凄い強い方です。賞賛に値する (⌒-⌒) 今まで鬱病の方とか色々な方を見てきたから分かるんですよね……。』 って言われたことがあります。
私自身、自分が物凄く弱い人間だとは思いませんが、かと言って、自分の心の弱さを嫌というほど痛感してきた側面もあるので、『物凄く精神が強い方です。』 といった、その心療内科のお医者様のお言葉には当時それほど同意ができませんでしたが、[自分で自分を治そうとする意志(自発性)が、本人にない場合、もしくは、自分で自分を直視し向き合うことをせずに、自分のなかの孤独感などの感情を誤魔化すために他者や物に依存しているだけの場合だったり、何かの刺激で誤魔化して自分の感情に蓋をしているだけの場合だったり、そんな状態の時に、他者が、その人間に何かを働きかけたところで無駄だ。] ってことは、よく分かっていますし、私自身、よく 『精神の苦しみに関して、人は人を救うことはできない。最後に自分を救うことができるのは、自分自身だけだ。』 って言っていたぐらいですから、そのお医者様のお言葉の大半は同意ができました。(笑)まあ、ただ、心理学を勉強したわけではないので、先ほど[ ]内の話は、私の持論でしかありませんが、医師が、先ほどのように仰ったのですから、私の持論も、あながち間違えてはいないのでしょう……。たぶん……(⌒-⌒)
仮に、精神安定剤か、それ以外の何かで、表面的に精神の問題を誤魔化すことはできたとしても、それは、あくまで誤魔化しであって、医師だって、心の病気の本質的なところまでは、治せないんですよ……。最終的には、自分で自分と向き合っていくしかないんです……。たぶん……。

仮に、事実、本当に、加害者は、生い立ちに問題があって虐待や虐殺に走ったのだとしても、己の苦しみに負けて虐待や虐殺に走った人間達を庇い守ると、そういった極悪非道なことをする人間達は、自分に慮りを向けてくれた人間達の厚意を心の糧にして立ち直り更生しようとするのではなくて、自分に慮りを向けてくれている人間達の厚意を利用して、彼等を食い物にして吸い付くしてボロボロにしてしまうんですよ……。虐待をするような残酷な人間達は、どうやら、『自分に厚意を向けてくれている人間達は、便利に利用できるから美味しい。奴らは、使える。』 って発想になってしまうみたいなんですよね……。ですから、下手に 『心が苦しかったからなのかもしれないね?』 なんて言って、彼等を守ろうとしたらアカンのですよ……( ̄ヘ ̄)
金銭から労働力から、その他色々なものを利用され奪われてしまうことがあるんです。
また、変に庇うと、庇ってもらえた理由となっている観念を引用して、その観念を自分の行動の正当化の材料に使い始め、『虐待を受けた人間は、コミュニケーションが上手くできないのは当然なので、自分がこうなってしまったのは仕方がない。』 と開き直って、よけい堂々と今まで以上に沢山暴力を振るうようになってしまう人がいるので、状況が更に悪化してしまうことがあるんですよね……。なんでも、ものは取りようで、自分勝手な奴は、自分勝手な方向に自分の都合の良いように歪めて解釈して悪用してしまうので、奴らかにかかると、何故か、そういう展開になってしまうんですよ……。
さらに言えば、ここで例に挙げた例とは、話の傾向性が若干違いますが、上で例に挙げたTweetの中に、警察に捕まらないと思って調子に乗っている馬鹿がいましたよね……(-。-;) そういった安易な感覚を生み出すことだって有り得るんです……。
彼等、虐殺や虐待を行うような人間達を同じ人間だと思っていると痛い目に合うんですよ……。頭のなかで形成されている理屈が、普通の人とは違うので、彼等を舐めたらアカンのです……。逆効果なんですよね……。
伊藤さんは、安全地帯からの高みの見物だからこそ言えてしまう、ただの想像論や理想像で、ものを語ってしまっていますが、伊藤さんの言っていることは、ただの綺麗事であり、ただの机上の空論なんですよね……(-。-;)

私の場合、ここまで残虐な方法で生き物を殺してしまう人物のことを庇護することは、最初から絶対有り得ないことなので、私の過去の経験は、例として挙げるには少し性質が違うものなのですが、一応、実例を挙げてみますね……。
私は、ある加害者に対して、『酷いことをしたように見えるけれど、それは何かの間違いで、色々な事情があったのかもしれない。』 なんて少し保護的な感情を浮かべてしまったことがあるんです……。そんな感情を浮かべていたので、本当の事実が分かるまでは非難せずに見守ろうとしたら、その加害者から、私個人の感情を徹底的に利用されて都合よく扱われて食い尽くされてしまったことがあります。
まあ、男女問わず、そうですよ……。甘い顔を見せると、調子に乗る馬鹿は、調子に乗ります。ただ、調子に乗る乗り方というか、方向性が、性別が違うと真逆の方向に行くので、状況は同じ結果にはなりませんけれどね……。
とは言え、冤罪の可能性は、未だに考慮するべきだと思っているので、その視点は今でも変わっていないんですけれどね……。実際、私が生まれる前、私の母方の親族で冤罪で捕まってしまった人間がいますしね……。って言うか、世の中、冤罪は凄く多いんですよ……。ですから、冤罪の可能性は大々的に考慮するべきなんだと、今でも強く思っています……。ただ、『冤罪の可能性は考慮するべきだという視点は変えないまでも、やはり、ほんとうに相手が悪人である可能性もあるので、自分で自分を守るためにも、彼等とのコミュニケーションの手段は、距離を置くなどの方法を使用して、絶対に質を変えるべきだ。(視点と行動の目的を変えるのではなく、コミュニケーションの手段を変えるべきだ……。)』 って、自分自身への警告として思っていますけれどね……。昔、私は、ほんとうに馬鹿で対処が甘くて、ボロボロにされてしまいましたからね……(-。-;)


私は、子供の頃、虐待から逃げるために家を飛び出して、ホームレス状態になってしまったことがありますが、飢えに苦しんでも、泥棒なんてしたことはありません。それでも、食べるものに苦しんで飢え死にしそうになって、盗みを働いたとかなら、まだ、100っ歩譲って理解ができるんですよね……。それ以外にも色々なケースがあるでしょう……。人間、理想通りに生きることなんてできませんから、本人が追い詰められしまって、どうしようもなくなってしまって起こったことなら、まだ分かるんですよね……。
ですが、大矢誠さんの場合、そういうことではなくて、虐殺を楽しんでしまっているでしょう? 明らかに問題の性質が違いますよね? 心の闇や苦しみが、虐殺を楽しむ理由になるんですか?

それとか、イライラしているとか怒り狂っているとか泣き崩れているとかなら、理解できるんですよね……。私も、若い頃(20代初期ぐらいまで)、そんな感じでしたからね……(⌒-⌒) 常にイライラしていたと思います。まあ、ちゃんと食べていませんでしたし……。当時、ストレスの発散方法も分かっていませんでしたからね……。

私自身、10代の終わり頃から二十代初期の頃、常にイライラしていましたし、状況がグチャグチャだったので、私自身が望んでおらずともオカシイ行動を取らざるを得なかったんですよね……。虐待は、基本的に、暴力だけでは済まなくて、金銭面を剥奪されたり奴隷化されたりすることもありますし、そこから色々連鎖していって二次被害三次被害が起こってしまうことだってあるわけですし、人生のほぼ全て、生活そのものを崩壊させられてしまうんですよね……。親族達がやらかした問題の後処理に追われ、後処理に追われるという決定的なハンデを背負わされたまま、その状態で、未来の進路方向に関して選択肢を選ぶ自由など与えられずに、ただ自動的にどこかの環境を押し当てられ、何一つ計画的に動くことを許されなかった、その結果、状況がグチャグチャになり、最終的にボロボロになって、それを端で他人が見ていたって、私等本人に結果の責任があるわけではないことを理解してもらえるわけでもなくて、ただ罵られるだけで、ただただ格好悪い無様な姿を晒し続けるだけで……、そんな状態だったので(汗)、
ある方から、『心が弱い。』 と言われてしまったことがあるのですが、その方が、私が抱えている事情の極極一部を知ったら、『えっ! そんな状況だったの? それで、あの状態を保っていたの? だったら、物凄い精神が強い。』 って真逆に評価が変化してしまったことがあるんですよね……。(笑)
虐待のことに関しては、何かの話題に関連性があることを、何の気なしに、ついでに偶然話しただけなので、あまり大したことは話しておらず、たかがこの程度、何万分の一程度、状況を知っただけで、そこまで評価が変化するのか!? って、逆に私のほうが驚きましたけれどね……。(汗)
じゃあ、今まで、私が抱えていた事情や虐待のことを少しでも話していたら、他者から罵られずに済んだのか? って話にもなりますが、虐待された人で、自分が抱えている事情や問題を話すのが得意な人って、かなり少ないと思うんですよね……。(だって、自分の親から自分の話しを聞いてもらえた経験がないのですから、自分のことを話す習慣が身に付いていないですし、経験だって足りないでしょう……。反射的に何も出てこないんですよね……。すごい時間がかかってしまうんですよ……。(笑))
話し方一つで相手の方の受け取り方が変わってしまうので、下手に話すと、ただ偏見だけが加速する場合もあって、単純に話せば良いってものではないんですが、じゃあ、どうやったら事実が誤解なく正確に相手に伝わるのか?ってところは、年月をかけて経験を積んで克服していくしかないんですよね……。でも、それって、一昼夜では身につかないですし、ティーンエイジぐらいの時に成し遂げられるのかって言ったら、かなり難しいと思うんですよ……。ですから、虐待を受けている子のなかには、自分の気持ちや自分の事情を上手く説明できなくて、周囲の人々に事実が歪んで伝わって誤解されている子って沢山いると思うんですよね……(x_x;)
(私は、まだ下手ですけれどね……。話す必要性がある人ならともかく、他人に自分のことを話そうという気概を持てないので、経験値を詰めなくて、克服できないですね……。)
まあ、相手に感性がなかったら、どれだけ上手く説明しても駄目ですしね……。
グレているように見える子の中には、『本当は良い子』って子は沢山いるんですよ……。
本当は良い子なのに、悲しみを抱えていることで行動がおかしくなってしまい、悪い子だって勘違いされている子は、沢山います。生い立ちの悪い子は、本人が頑張って生きていても、様々な状況を抱えているので、通常通りに事が進まず、何故、そうなってしまったのか? 周りの人間達が背景を理解できないがために、物凄く誤解されていることが多いでしょう……。
そんな彼等は、守られて当然であり、庇護されて当然なんですよね……。(なんか似たような意味の言葉を二つ並べてしまいましたが、ごめんなさい。)
ですが、良い子なのに悪い子だって誤解されている子の場合、いくらなんでも、ここまで酷い虐殺を動物にするようなことはしないんですよ……。ものには限度があるんです……。こんな酷い動物虐殺は、『生い立ちが悪いから……。』 で済ませられるような話ではないんですよね……。
だから、勘違いかもしれないなんて心配してあげる必要性はないんです……。
冤罪の可能性なら心配してあげたほうが良いのかもしれませんが、確実に犯人で間違いがないのなら、『心に闇を抱えているだけで、本当は良い人なのかもしれない?』 なんて心配してあげる必要性はないんですよね……。

『悪い人に間違いはないのかもしれないけれど、良い人に生まれ変われるかもしれないじゃないですか?』 …と言った御意見を仰る方がいるとするならば、そういった御意見に対しては、こう答えてさせていただきます。
この記事の最初のほうでも、お話しした通り、本人に自分の性格を変えたいという【葛藤・意志】 が存在しませんから、生まれ変わるのは、ほぼ不可能に近いと思われます。

それから、動物の世話をさせれば、加害者達だって動物への愛情が湧くんじゃないかって思っている方もいるようですが、たぶん無理です。このように思う方は、悪人という生き物が、どんな生き物なのかを、よく分かっていないのでしょう……。
世話させると、『私に、こんな手間のかかる面倒くさい思いをさせやがって……。』 と、よけいに動物を憎み嫌うようになります。自分自身を、[したくない労働をさせられた被害者] のように扱って、動物を憎んでしまうんですね……。世話をさせる前より感情の状態は悪化してしまうんです……。
まあ、私の親族ですが何人か実例を見たことがあります。私自身、動物の世話をさせれば彼等だって愛情が湧くんじゃないかって、そんなこと最初から全く期待していませんでしたから、私が、彼等に 『世話をしろ。』 と言ったわけではないんですが、偶然そういう流れになってしまったんですね……。
何人かの実例を見たことがありますが、そこまで、簡単ではありませんよ。無理ですね……(-。-;)

それに、仮に、動物を可愛がる良い人に生まれ変わることができたところで、『だからなに?』 って話でしかないんですよね……。もうすでに、やってしまったことは、取り返しがつかないんですよ……。生命が亡くなってしまっているわけですから……。

まあ、とは言え、伊藤さんは、『分析することが再犯防止に寄与すると思うし、恨みは邪魔な感情。愛して理解して……。』 という観念が好きなようなので(本当の事実は知りませんが……。)、もしかしたら、宗教か何かを行っている方なのかもしれませんね?……。まあ、実際、どうなのか知りませんが、そういった可能性のある方の話題では、宗教的な教えを例に挙げて、お話をしてみましょうか~? (笑)
宗教は、様々な種類のものがありますが、例としてネタに挙げる宗派は、正直なんでも良いです。とくに拘りはありません。(『正直なんでも良いです。とくに拘りはありません。』 と言っている時点で、宗教家の方々に怒られそうな発言していますね、私……。笑)
それでは、例えを出してみますね……。あくまで、例えでしかありませんよ……。
私は、仏教徒ではありませんが、便宜上、ものの例えで、因果応報という単語を使用させていただきますね……。憎しみでも復讐でも仕返しでもない意味で、単純に、因果応報という意味合いで、猫ちゃん殺害の加害者には実刑判決という制裁を受けてもらいましょう……ってことで良いんじゃないですかね?……。
それから、私は、キリスト教徒でもありませんが、あくまで、便宜上、ものの例えで話を出させていただきますね……。キリスト教に 『罪を憎んで人を憎まず』 という教えがありますよね? その人間そのものに憎しみの感情を抱くことはなかったとしても、その人間の罪そのものは、消えて無くなるわけではないのでしょう? そうですよね?
加害者である大矢誠さんも、物凄く痛い目に合うことで、経験として学びになるかもしれないじゃないですか? 悪いことは悪いと、教えてあげる必要性がありますし、調子に乗っていると痛い目にあうことを教えてあげる必要性がありますよね……(⌒-⌒) (まあ、性格が改善されるのは、もう無理でしょうけれどね……。)
べつに、大矢誠さんを死刑にしろ! って言っているわけではありませんから、それほど問題ないんじゃないですかね? それとも、まさか、伊藤さんは、実刑判決の意味を死刑と勘違いしていたのでしょうか? まさか、そんなことはありませんよね? でも、なら、なんで、伊藤さんは、『会計士が死刑になればスッキリですか? 怖いです。そんな国。』 と言っていたんでしょうね? という疑問はあることはあるのですが、ただたんに、あれは、ものの例えで出た話で、実際に実刑判決を死刑だと勘違いしていたわけではないと思ってはいるのですが、どうなんでしょうね? 動物愛護の方々の主張の意味を勘違いしていただけだったという、意外なオチがあるのかもしれませんが、まあ、本当のところは、どちらなのか分かりませんね……。実際、実刑判決の意味を死刑と勘違いしていたのならば、なんで、あんな庇護するような言い方になったのかは、極一部なら分からなくもないのですけれどね……。まあ、あくまで、極一部! ですよ……。全部ではありませんからね……。
動物愛護の方々の中には、加害者は死刑にするべきだって意見も一部ありますが、これに関しては、人それぞれですし、本来とくに気にする必要性がないことでしょう?……。

と言うわけで、伊藤さんと似たような発想を持っている方は、下らない同情は止めたらどうでしょうね? って思います。他の諸々のことを含めて全てにおいて何一つ合理性を見出すことができませんから……(-。-;)

それから……
動物愛護の一部の方々も、伊藤さんに対して物凄い怒り狂って必要以上に彼を追い回して直接攻撃するようなことはしないほうが良いとは思うんですけれどね……。
あんなことして、何の解決になるのでしょうか? 伊藤さんのようにズレた観念を言う方は、人の意見を聞いて考えを変えたりすることは極稀なので、彼に直接指摘したところで時間の無駄ですし、意味ないんですけれどね……。何の解決にもならないことなら、私の場合、基本的に放置確定なので、何故、動物愛護の方々が、あそこまでムキになって、伊藤さんを直接追い回しているのか、よく分かりません……。(笑)べつに解決のために追い回しているわけではないですよね? だったら、何故そこまで熱り立つんだろう? って思いますけれどね……。
まあ、あれだけ怒るのは、自分が正しいって自信があるんだろうな!? って思うんですが、そういう自信って、時に破滅を引き起こすので、怖いんですよね……。何処まで行っても、どこまで成長を続けても、結局、人間の思想や行動なんて正しくないので、動物愛護なんて趣味ぐらいに思っていたほうが良いんですよ……。自分のやっていることが正しいと思い込んで、自分の価値観を人に強要し始めるのも問題がありますしね……。(まあ、私自身、動物愛護の方々を怒らせるであろう発言をしている自覚はありますが、いずれ何ヶ月か先に、何故そう思うのか、どこかの記事で説明させていただきますので、怒るのは、その記事を読んでからにしてくださいね……。けっして、『怒るな!』 とは言っていないのがミソです。『怒るのは、その記事を読んでからにしてくださいね……。』 とタイミングの指定をしているだけなので、怒るな! とは言っていないんです……。だって、怒るな! って言ったところで、無理でしょうから、最初から無理なことは、時間の無駄なので言いませんよ……。(⌒-⌒) ほら、同じ怒るにしても、相手の人間の考え思想をより知ってからのほうが、怒る材料が増えて良いでしょう……。(笑) )
動物愛護の方々も、ほんと、相当酷い癇癪持ちの方が一部混じっていますよね?……(-。-;)
もちろん、動物愛護の方々全員がそうだとは言っていませんので、その辺は、ご理解の程をよろしくお願いいたします (⌒-⌒)

私の母は、私の祖母に憎しみや復讐心を持っていたので(まあ、母が、祖母に憎しみを持っていたとは言いましたが、もともと、母自身、若い頃は憎しみがなかったらしいんです。自分だけではなく、自分の大事な人まで苦しめられたから、憎しみが湧いたってことらしいんですけれどね……。)、私自身、母に対しては、『憎むな!復讐心は持つな!復讐心を持てば、相手とレベルが同じになる。同じレベルに堕ちるな……。復讐すれば、逆恨みされ、また我々の被害が増大化する。連鎖して増大化していく。だから、何も良いことがない。頼む、落ち着け!(実際のお話は、かなりニュアンスが違いましたし、こんな変な単純な話ではなく、もっと複雑な話だったんですが、正確に説明すると話がウダウダ長くなってしまうので、記事の都合上、正確なニュアンスは省かせていただきました。ですから、話は少し変形しています。)』 と言って、母を言い聞かせてはきましたが、かと言って、私は、祖母を庇い守ろうとは思いません。事実、祖母は、人間が屑で糞ですからね……。

母は、若い頃、【首を締められ蹴られたり虐待されている盲導犬について 貸与条件を厳しくすることが、はたして、どれほど効果を生み出すのか?】 という記事に書いてあるような虐待経験者特有の「感情の麻痺」ってやつを強く引き起こしていたので……
私が、祖母のことで愚痴をこぼすと、母は、私に、『怒り過ぎ……。私は、お祖母ちゃん(母の母)から、あの程度のことを言われたぐらいで怒ったことがない。あの人は、いつも、もっと酷いことを言う。私は、今まで普通に、それに耐えてきたし、色々なことを乗り越えてきたのに、何故、あなたは、それが、できないの……。忍耐力が足りなすぎる。』 って、よく説教をしていたんですよね……。(笑)(べつに、私、怒鳴り声上げていませんし、破壊的な行動も取っていませんし、半笑いながら怒っていたんですけれどね…… (⌒-⌒) (笑))
母は、勘違いしていましたが、耐えることが、けっして偉いことなわけではないんですよね……。それ以前に、耐えるべきではないんですよ……。相手の行いは悪いことなので、悪いことは悪いと、そう、すんなり認識するべきで、耐えてはいけないんですよね……。自分自身のために……。それは、逆にやっちゃいけないことなんですよ……。表面上形式的には必要性で耐えても、自分の心の動きだけは自由にしてあげなきゃいけないんですよね……。
まあ、母は、祖母に 『怒ることは良くない。』 って洗脳されてしまいましたから、あんな変なことを言ったのでしょう……。母は、祖母が主張していることを正しいとは思っておらず、当初から否定的な見方をしていたんですが、それでも、多少、無意識に意識の内部に洗脳という形で何かを擦り込まれ組み込まれてしまったようなところはありましたね……。って言うか、無意識に、「感情の麻痺」を起こしていたんです。祖母って変なんですが、虐待するほど冷酷なくせに宗教だけは信仰していて、『怒るな!』 って偽善的なことは沢山言うんですよね……。それから、たぶん、祖母って、お経唱えて信者増やせば、自分の過去の悪い行いは許してもらえると勘違いしていますね……。大馬鹿なんで……。お経は、悪行帳消し剤ではないんですけれどね……(-。-;) (笑)
実際、私は、母に、『怒り過ぎ……。』 と説教されたといったところで、私は、祖母に面と向かって直接キレたことはありませんけれどね……。何故なら、そんなことすると逆恨みされて、他者に嘘をバラ撒かれて、他者を使って、もっと迫害されるので、良い結果にならないからです。まあ、他にも理由なんて、いくらでもありますが、話すと長くなるので、説明はしません (⌒-⌒) それに、祖母が反省するなんて全く期待できませんから、言うだけ労力の無駄使いで意味を成しませんから……。ですから、いつも、小言は、祖母がいないところで言っていました。普段、怒りを表立って公言していない分、表面上形式的には充分耐えているんですよ……。ただ、自分のなかに内在する心の動きに関しては、本来、自分勝手なことをする人間に対して、不満や怒りを持とうが自由なはずなんですよね……(⌒-⌒)
それから、母は、私に 『怒り過ぎ……。』 って説教していながら、母自身も、かなり怒りは溜まっていたと思いますけれどね……。私が小学生の頃から、私をつかまえて、母は、毎日毎日、[祖母から自分がどれだけ酷い目にあったのか。] を私に語り聞かせていましたし、私は、毎日毎日何時間も、母の愚痴を聞きながら愚痴聞き係みたいな感じになってしまっていましたし、そんな感じだったのですから、母にだって相当爆発しそうなほどの怒りの感情はあったはずなんですよね……。私のことを、「母のなかに溜まっている伯父(母の兄)や祖母(母の母)への怒りの吸収剤(精神安定剤)」 みたいな扱いをしておいて、私のことを、『怒り過ぎ……。』 って言って説教するのですから、相当頭悪いんですよ、私の母って……。(笑)自分自身の怒りの感情の後始末を無意識に他者に頼っておきながら、他者に 『怒り過ぎ……。』 って説教するのは、主張に整合性が取れていないんですよね……。矛盾だらけなんですよ……。(ただ、『怒り過ぎ。』 って怒られたのは、小学生の頃ではないんですけれどね……。もっと大きくなってからですね……。小学生の頃は、母が可哀相だと思っていたなど色々な心理的理由があって親に自己主張しなかったので、そういうことにはならなかったんですよね……。)私の母って、怒りを向ける矛先を、かなり間違えてしまっているんですよね……。
そして、話をもとに戻せば、一番最大の問題は、先程も言ったように、やっぱり、母って、「感情の麻痺」を起しているところが、かなりでかくて、どこを怒るべきか、どこを収めるべきか、全く分からなくなってしまっていたんですよね……。怒るべきところでも、大した問題では無いと思っているところが、あったんですよね……。
そして、怒らないことが強さだと勘違いしていたんです……。仮に、100っ歩譲って、怒らないことが強さだったとしても、べつに人は強くある必要性なんてないですし、格好良い必要性もないんです……。相手に自分勝手なことをされたら、嫌だと思う権利は誰にだってあるんですよね……(⌒-⌒)
オカシナことに、我が家のルールは、伯父を怒らせた人が悪いってルールだったんですよ……。伯父が間違ったことを行っていても、善悪の基準関係なしに、伯父を怒らせたらいけないんです……。伯父が火の付いたタバコを投げたという無茶苦茶な行為ですら、怒って注意をしたら駄目だったんですよね……。怒って注意をしたら伯父は確実にキレるので、伯父を怒らせた人が、悪いということになってしまうんですよ……。ですから、直後にボコボコに殴られてしまうんですね……。無茶苦茶なルールでしょう? もちろん、私自身、直接、祖母や伯父を注意したことはありませんが……。
いささか、タバコを投げた伯父が見逃されることがオカシイことぐらい、母も気付いていたので、そのルールを暗黙のうちに作り上げた祖母に対しては、不満を抱いていましたが、他のことでは、たいがい「感情の麻痺」を起こしていたので、どう考えても異常な事柄に対しても、少ししか不満を抱かずに誤魔化し誤魔化し過ごすことができてしまっているようなところがありましたね……。ですから、怒っている私が、短気な人間って扱いを受けました……。母は、「物事に動じない冷静さ」 と 「感情の麻痺」 の違いを、当時、全く分かっていませんでした……。
そして、不思議なことに、「感情の麻痺」 を起こしている人間(母)の感情は、いずれ憎しみへと転化されていき、自分の感情に素直で怒りを素直に表現していたことで、『短気だ。』 と言われてしまった娘(私)の感情には、憎しみという感情が発生していないんです……。
ここで言えることは、「感情の麻痺」と「強さ・冷静さ」は、全く別の現象であると言えるのと同時に、自分を愛し自分の感情を、ある程度出してきた人間のほうが、人に対して憎しみという感情を発生させ辛いと言うことができると思うんです……。
って言うか、実は、私も感情を麻痺させた人間の一人なんですが、ティーンエイジの頃、それでは不味いことに気付いて生き方を変えようとしたんですね……。やはり、人は感情を麻痺させたら不味いんですよ……。人は、良い意味で我儘なぐらいで丁度良いと思うんです……。もちろん、自分勝手ではいけないんですが……。
誤解がないように言えば、母は私のことを愛してくれましたよ……。上に書きましたが、母の憎しみの原因が、自分だけではなく自分にとって大事な人まで痛めつけられたからだ……ってところだったんですが、そうである以上、愛情がなかったわけがないんですよね……。まあ、ただ、それを言うなら、私も同じなんですよね……。自分が大事に思っている人を痛めつけられたから、痛みに震えたんですよ……。自分にとって大事な人が傷つけられる方が、自分が傷つけられるより、遥かに苦しいんです……。
ただ、とにかく、なんであれ、自分を愛し自分で自分の感情と向き合い、自分の痛みに正直に生き、怒る時は怒った人間のほうが、憎しみの感情は発生し難いと言うことができると思うんです……(⌒-⌒)
ですから、私は、母には、『己を許せ、自分自身を大事にするように……。』 ってよく言っていました。(まあ、これ、当時、意味を理解してもらえなかったんですけれどね……。)

それに、母が今まで耐えてきたからって、なんで、私まで一緒になって耐えなきゃいけないんですか? って話なんですよね……。私に、耐えろと頼まれたわけではなく、母自身が、自分で勝手に耐えるという選択肢を選んだだけでしょう……。それに関して、私は関係ないんですよね……。私は、当時子供だったので、収入がないから逃げたくても逃げられなくて我慢するしかなかったのですが、母は、収入があるから逃げることが可能だったはずなんですよね……。母が、逃げてくれれば、我々子供達は苦しまずに済んだのに、母が逃げずに頑張って耐えているからこそ、子供である我々までオカシナな状況に付き合わされているわけで、そうであるにも関わらず、耐えてきたことを誇らしく自慢して威張ってどうするんだ? って話だったんですよね……。頭悪いぞ、この人! って感じだったんです……。
まあ、でも、今は、それに関して、母は反省しているので、怒っていませんし、それに関してだけではなくて、ここに書いたこと全部に関して、何年か前に、母から、謝罪の言葉として、『申し訳なかった。親がこんな馬鹿なせいで、ananに大変な苦労をかけた。ananは、とても馬鹿みたいに包容力のある子だったから、いつのまにか、それが当たり前になってしまい、ananを心の痛みの吸収剤にしてしまった。気付かないうちにストレスの発散口にしてしまった。申し訳ない。本当に申し訳なかった。』 といった言葉をもらっているので、大して問題はありません (⌒-⌒)
まあ、母との間には、これ以外にも沢山問題があって、そちらのほうが大問題だったんですが、今回の記事の内容には関係がないことなので、それに関しては触れないことにします……(⌒-⌒)
まあ、そちらに関しても、母自身、心理的には反省できていて、解決はしているんですが、残ってしまった負の遺産的な残留している状況的問題はありますね……。当たり前ですが、心理が変化したところで、過去何か行ったことで出た結果が、突然消えてくれるわけではありませんからね……。まあ、母には、反省するのが精一杯で、解決能力はないので、私が解決するしかないんですけれど、私自身、体力ないから問題を解決できるかどうかも、アヤシイですし、仮にできたとしても、解消されるまでには、かなり時間がかかるでしょうね……。

それから、虐待に関して親族を訴えれば、逆恨みされて、もっと酷い目に遭うので、関わり合うのが面倒ですから、私は、自分を虐待した自分の親族に関しては、制裁を受けてもらいましょう~なんて考えずに放置して県外に逃げましたけれどね……。無駄に熱り立っても時間の浪費が半端なくて人生無駄になるだけですから……。
親族等の自分の身近な人間の場合は、制裁って、面倒なことが色々間に挟まって難しいんですよね……。

それでは、長い話になりましたが、この辺で、失礼させていただきます。(⌒ー⌒)ノ~~~

 

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