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このブログを読んでいただく前に、まず先に謝罪をさせていただきたいことがあります。
ボケ症状があるので、思っていることが上手く言葉にならずニュアンスが崩れてしまいます。ですから、そのことも含めて色々と 【謝罪文】 のなかで謝罪させていただきました。申し訳ありませんが、 【謝罪文】 を読んでいただけると助かります。
そして、皆様に謝罪文を読ませるお手数をおかけして申し訳なく、ここで重ねて二重にお詫びお申し上げます。申し訳ありませんでした。

2017/10/12

蹴られたり等で虐待されている盲導犬について
このキャンペーンはどれほど意味があるのか?

私は、このキャンペーンに、賛同している要素と心配している要素とを両方同時に抱え持っています。今回は、それらのことについて説明してさせていただきたいと思います。
話が長くなりますが、お付き合いいただければ、幸いに思います。

私の問題提起や、それに関する私の考えを説明する前に、まず始めに、
盲導犬に対して、どういった虐待があったのか? ということについて説明させていただきたいと思います。
虐待目撃者のお話や、複数の実例を、
【Rescue Japanese Animal Victims (RJAV) 被災動物ネットワーク】
という団体の Face book から引用してみることにしますね……(⌒-⌒)

虐待目撃者の説明によると、以下、枠の中で説明されているような状態だったようなんです。

ユーザー男性は、盲導犬を宙づりにしてリードを強く上に引き、グイグイ引っ張っていた。何回も。4、5回はやっていた。盲導犬の前脚は宙に浮いていた。犬が苦しそうで撮影を決断した。
撮影を始めた、すぐ直後には、両足で盲導犬を締め上げて素早く蹴り入れるなど行っており、一連の動作が手慣れている。 また、首を集中的に攻撃していることから、殺意を感じている。盲導犬が苦しむ事で満足していると考えられる。

これは、明らかに虐待だと扱って良いと思うんですよね……( ̄ヘ ̄)

ただ、本当に、加害者に殺意があったのか? 盲導犬が苦しむ事で満足していたのか? そのへんに関して、私は、加害者本人ではありませんので、加害者の心の内にあった本当の心情なんて分かりません...(・_・)...? ですから、加害者の心情について決めつけることはしません……。また、本当に、一連の動作が手慣れていると言えるかのどうか? これに関しても、よく分かりません...(・_・)...? ですから、日常的に虐待が常習化していたと決めつけることもしません……。

指示に従わなかった盲導犬に何かを伝える伝達手段として、リードを引き合図を出す「チョーク」という行為が存在します。
もしかしたら、加害者の 『”リードを強く上に引き、グイグイ引っ張っていた。”』 といった行為は、盲導犬に指示が上手く通らなかったり、盲導犬との間でコミュニケーションが上手くいかなかったりしたことで、抑えらないほどイライラしてしまって、行為が本来の「チョーク」のあり方から酷く遠のき、許されないほど行き過ぎた形に変化してしまって虐待的な行為になってしまったものだったのかもしれません……(-。-;)
本来、どんな状況であれ、明らかな証拠がないかぎり、加害者に殺意があったとか盲導犬が苦しむことで満足していると決めつけることは問題なのですが、この場合も、加害者に殺意があったとか盲導犬が苦しむことで満足しているのかといった点を、第三者が勝手に断定的に決めつけるのは問題があり、あくまで、無数にある可能性の一つに過ぎない事柄だと思うんですよね……。もちろん、殺意があったり盲導犬が苦しむことで満足している可能性だってないわけではないのですが……。ただ、動画のなかの加害者の表情だけでは正確な心理は読み取れないはずなんですよね……。本来、分かるはずがないものなんですよ……( ̄ー ̄?)ですから、もしかしたら、そういった殺意等その他強い悪意はなく、ただの苛立ちのような感情だったのかもしれません。まあ、他にも可能性はあるわけなのですが……。
ただ、仮に、強い悪意はなく、指示が上手く通らなかった等その他、何らかの理由が、ちゃんあったとしたところで、あの動画の中で見受けられた盲導犬を蹴るという行為は、盲導犬が酷く可哀相で、絶対許されない行為であることに変わりはないと思うんですけれどね……。酷く愛情がない思い遣りがない行為であることに変わりはありません。ですから、あれは心無い虐待であることに変わりはないはないと思うんです。
虐待目撃者かつ動画撮影者である方の見間違いである可能性もあるので、何回か、ある動画を見て確認させていただきましたが、明らかに盲導犬を蹴っていたことに間違いはないと思いましたから……( ̄ヘ ̄)(たぶん・・・(-。-;))

下にある複数のTweetをご覧ください。
下にあるTweetを読むことで、読者の皆様にも、

殺意を持っていたり盲導犬が苦しむことで満足している等その他相当強い悪意のある虐待であった可能性も充分有り得るものの、それとは別に、当初、強い悪意はなかったのにも関わらず、盲導犬になかなか指示を受け取ってもらえず、先に進めなかったことで、物凄くイライラしてしまって、度を超えた行き過ぎた行動になってしまい、結果、虐待を行ってしまった、という可能性も両方有り得る。

と捉えてもらうことができるんじゃないか?と思うんです (・_・)...?
まあ、と言っても、他の可能性も有りえるんですが……。

《補足》
私が言った 『……(略)……。加害者の心情を決めつけることはしません……。』 といった言葉やその他一連の言葉に、否定的な感情を抱く方が、極一部いらっしゃると思いましたので、殺意のような酷く強い悪意のある虐待以外の可能性を示唆できる記事やTweetを、試しにネット上のあちこちで探してみたのですが、そうしたところ、何日か経過して少し見つけることができましたので、下の3つのTweetを、この記事の中に、追加させていただきました (⌒-⌒)
下の3つのTweetは、この記事投稿後、約2ヶ月経過してから遅れて追加させていただいたものなので、Tweetの投稿日が、この記事の投稿日よりも、後の日付になってしまっているものがあるのです。
(Tweetは3つありますが、時々全部表示されないことがあります。何かのバグでしょうか? おかしいですね……(-。-;) 更新すると全部表示されることがあるので、もしよかったら、何度かF5クリックして更新してみてください。申し訳ありませんが……<(_ _)>)

国内で盲導犬を育成する団体は数多くあり、訓練方法や盲導犬に対する考え方は、各協会ごとで違います。リードを強く引く「チョーク」 という行為を禁止する団体もあります。

別件になりますが、他の方の事例にも触れてみましょう……。

この下に記載しているリンク先のページ、【盲導犬虐待は常態化?】 の最後のほうに、以下の枠のなかに引用させていただいた文章が記載されていました。参考までに枠の中の文章をお読みください <(_ _)>

Rescue Japanese Animal Victims (RJAV)被災動物ネットワーク
盲導犬虐待は常態化?

多くの方も感じている事と思いますが、兼ねてからRJAVでは盲導犬の扱いと必要性に疑問を持っていました。代表自ら過去にボランティアの経験で接した複数の盲導犬ユーザーの方から、盲導犬への複雑な本音を聞いています。『盲導犬は仕事中は外に繋いだまま。夜になるまで炎天下、大雨、強風にさらしたまま。職場に入れる事は許可されていないし無理を言えば解雇になるかも知れず仕方ない。』似たような話は数名からお聞きしました。『自転車と同じ。盲導犬を拭くのも面倒だ。』『盲導犬の日々の運動なんて無理。』『できれば盲導犬の世話は一切せずに利用したい。』『自分の事もままならず、疲れて果てて帰宅してからは盲導犬には最低限の事しかできない。』『収入が低く盲導犬への支出が厳しい。』『休日家に居ればやる事があり盲導犬を構っていられない。』『歩かない時は盲導犬の存在が負担となる。』
一方で盲導犬の関係組織は、当然ですが盲導犬とユーザーの美談のみ発信してきました。
これまで盲導犬の存在は日本の福祉の象徴とされ、人間に忠実な犬、体を張ってユーザーを守り死んだ有能な犬、犬は訓練を自ら楽しんでいる等々。それは利用する側、盲導犬で生活している側の論理でした。1939年日本初の盲導犬の時代は遠く、犬の習性・生理・本能を尊重しペットをわが子とする世代からは否定されつつある概念です。盲導犬をどんどん増やし、視覚障害の方すべてが利用する事が幸せでしょうか。多くのユーザーを抱えながら、それしか選択肢を与えない組織、また盲導犬育成に巨額の補助を続ける国の税金の使い方にも疑問を感じます。少なくとも盲導犬を虐待しているユーザーは、幸せでもなく満足もしていない事は明らかです。一部のユーザーの方たちの盲導犬への「虐待」が社会問題化し、貸与の基準の甘さと盲導犬組織の管理能力が問われています。

全ての視覚障害者の方々が、同じ感想を持たれているわけではありませんが、上の枠の中に書かれているような感想を持たれている視覚障害者の方々が、一部いらっしゃることは、知っておくべきことなのかもしれません。
何故なら、視覚障害者の方々が、何に不便し何に困っているのかを把握していない状況は、仮に、福祉を行ったとしたところで、健常者側からの善意の押し付けに繋がってしまう可能性があるからです……。

この枠のなかの話に関しては、実際に一部の視覚障害者の方々が、盲導犬を放置虐待している可能性もあるのですが、そうではない可能性だってあるんです……。何故なら、『面倒だ』 と 『何もしていない。』 これは同義ではないからです……。そして、『世話は一切せずに利用したい。』 と 『世話は一切せずに利用している。』 これも同義ではないんですよね……。実際には、普段、盲導犬のケアを、ちゃんとしているのにも関わらず、疲れているからこそ、願望でこのようなことを言ってしまっただけだったという可能性もあるのです……。普段、本当に何もケアをしていないとは言い切れないんですよね……。そして、『最低限の事しかできない。』 という言葉にしたって、最低限というのは、人によって基準が違いますから、他者から見たら物凄くちゃんとしっかりケアをしている方であっても、本人は、満足できずに 『最低限の事しかできない。』 と言う場合もありますから、度合の良し悪しを、実際に現場を見ていない我々ネットユーザーが、判断しようがないんですよね……。それに、これの場合、最低限のことはしているわけですから、全く放置はしていないわけです。『休日家に居ればやる事があり盲導犬を構っていられない。』 という話にしたところで同じことなんですよね……。
まあ、それに、伝聞で間接的に聞いた話の場合、発言者ご本人様の台詞とはニュアンスが変化してしまっていることが、よくありますので、そこもネットユーザーである我々としては、気をつけなくてはいけませんね……。
子育て中のお母さん達にしたって、子供に愛情があって一生懸命育てしていても、時に愚痴として似たようなことを言ってしまうことがあるじゃないですか? それでも、皆さん、面倒を見ていないわけではないですよね? (まあ、我が子に失礼なので、私は、ああいう類の台詞を言ったことはありませんが、それでも、他者から聞いたことがないわけではありません(⌒-⌒)
もし、仮に、放置虐待ではなく、疲れて何気に言ってしまっただけの話だった場合、疲れている時に何もしたくない方の気持ちだって理解ができますし、何か事情があって、ワンちゃんを充分にケアしたくても満足いくようなケアができていない方の場合、その方だけの責任ではないので、責めずに、もっと違った角度の視点を入れて判断する必要性があるんだと思うんです……(⌒-⌒) 視覚障害者は、我々のように周囲が見えているわけではないので、スムーズに行動なんてできませんし、他にも色々な理由があって、当事者は、疲れていて当然なんだと思うんですよね……。(なんなら試しに目隠しして行動してみてください。ものすごく怖いですから……)その他、収入やら仕事やら用事やらの問題は、なんとかなるものと、ならないものがあるので、良い悪いの判断が非常に難しいですね……。普段、ワンちゃんを放置していなくとも、疲れていたり忙しい等の事情があったりして、たまに、ケアが雑にならざるを得なくなってしまうことがあり、『充分なことができていない。』 『何もしたくない。』 と愚痴をこぼしてしまっただけなのかもしれません。
放置虐待ではなく、先程話したケースのような場合、やはり、彼等視覚障害者の方々の苦痛感だって、第三者が理解しようと努力する必要性があるんだと思うんですよ……。視覚障害者の方々の領域を土足で踏み込むような方法を使用して知ろうとしないように気をつけなくてはいけないのですが、何も知らなければ、改善の策は見つけ出せないので、ある程度のことを知る必要性があるんだと思うんですよね……(-。-;)

まあ、正義感があると、感情が高ぶり過ぎて冷静さを失い、何でも神経質な見方で見てしまう可能性もあるので、皆で、気をつけたほうがいいかもしれませんね……。
あれらの言葉だけで虐待だと言ってしまうと、子育てで 『……が面倒くさい。』 『疲れて果てて帰宅してからは、子供には最低限の事しかできていない。』『収入が低くて子供に充分なことがしてあげられていない。(;へ:)』『休日家に居ればやる事があり、子供を構ってあげることができていない。』 と愚痴を零している全国のお母さん達まで、虐待犯扱いしなければいけなくなってしまいます。それは、ちょっと変だし困りますよね……(^_-)-☆
まあ、直接話しを聞いた方は、もっと詳しく視覚障害者の方々から話を聞いているのかもしれませんが、間接的に話を聞いたネットユーザーである我々は、先程の話だけだと事実を把握しようがありませんからね、そんな感じの感想になってしまいます (-。-;)

それから、盲導犬がどういった育成のされかたをしているのか、参考までに下の動画をご覧ください。



どんな虐待があったのかということと補足の説明が終わったので、ここからは、私の問題提議と、それに対する私の考えをお話していこうと思います。

【盲導犬への虐待をやめさせる為に貸与条件を厳しく】 というページに書かれている通り、盲導犬への虐待に対する対策として、貸与条件を厳しくするべきではないか……といった見解に賛同を求める方々がいます。
そういった見解に賛同を求める方々の気持ちだって、全く分からないわけではありませんから、私も、その見解に賛同の意を示して、私の名前を記入させていただきました……。

ただ、こういった貸与条件を追加することが、何らかの解決に繋がるとは思えないんですよね……(-。-;) もう少し対策の案を丁寧に練り上げる必要があるんだと思うんです (-。-;)

まず、『貸与後も管理使用状況を定期的に周囲の人などから聞き取りをする』 といった貸与条件を追加しても、一部の盲導犬わんちゃんは、救われないでしょうね……。
(どうして、救われないと思うのか、後で説明をさせていただきますね)

また、『貸与後も管理使用状況を定期的に周囲の人などから聞き取りをする』 といった貸与条件を追加することによって、視覚障害者の方々に、プライバシー侵害の問題が発生する可能性があると思われます。
(どうして、プライバシー侵害の問題が発生する可能性があると思うのか、こちらも後で説明をさせていただきます)

それから、以前、乙武洋匡さんがレストラン事件を起した時に、ネット上の誰かが、他の車椅子ユーザーの方々まで一緒に一括りにして責めてしまっていたんですよね……。あれは、あくまで、乙武洋匡さんが起こした問題であって、他の車椅子ユーザーの方々は、全く関係ないのですが、それでも、他の車椅子ユーザーの方々まで一緒に一括りにされて非難されてしまっていたのです……。
私自身、あの時、非常に残念な気持ちになりましたね……(TωT)
貸与条件を厳しくした場合、盲導犬虐待の件を、多くの人々に意識される結果にはなりますから、人々の感情の動きが、どのように変化していくことになるのか? その辺のところが、まず一番気になります……。
あの時と同じような問題が起こらなければ良いな~と思ってはいるのですが、それを望んだところで、同じような問題は起きてしまうでしょう……。この世の中、物事を一括りにして語ってしまう馬鹿が、必ず何割か紛れ込んでいますからね……。ですから、残念ながら、それは避けられないことなんだと思うんですよね……。
まあ、『一括りにしては駄目ですよ』 と言い聞かせたところで、言うことを聞いてくれる方ばかりではありませんから、簡単な問題ではないでしょう……(-。-;)
先程のTweetと同様、【盲導犬を怒鳴って蹴り上げた「八つ当たり」動画拡散で考える、虐待と訓練のはざま】 という記事も、私のこの記事投稿後、約2ヶ月経ってから後で見つけた記事ではありますが、先程の【……(略)……虐待と訓練のはざま】という記事に書かれている通り、一部の人間が、必要以上に騒ぎすぎてしまっているところもありますし、この件(虐待)とは無関係な視覚障害者の方々まで巻き添えを食らってしまっている問題もあります (TωT)
個人的に、『「他の視覚障害者の方々にまで迷惑をかけるような動きをする人間は、必ず現れるだろうな~。」と予測はしていたけれど、やはり、また、現れてしまったか~。やっぱり駄目だったか……。まあ、人の世には、よくある話で、毎度のことなので、今更、何を思ったところで仕方がないな……。』 と、先程の記事を読んだ時には、とても複雑な気持ちになりました……。まあ、『どうせ、いつものこと……。』 といった感情の慣れがあるので、あまりショックは受けませんでしたが、それでも、『またか! ε=(-。-;)』 とウンザリした気分になってしまったのは事実です……(x_x;)ε=(-。-;)

私自身病人なんですが、同じ病気の方達の言動をみて、『この人、病気を理由にして、それを盾にして、怠けているな~。この方、重症度が軽いから、もう少し頑張れるはずなんだけれど、不誠実な方だな~。』 とか、『この人、病人という理由で、気遣ってもらえるのが当たり前だと思っているのか? 態度が横暴だな~。 なんか不誠実な方だな~。』 とか 『かなり無茶苦茶な理屈だな~。』 とか、納得できない感想を抱いていることは、かなり多いんですが、あまり、そこはブログなどで指摘していないんですよね……。(一部の特例の方を除いて……)
何か思っていても口にせず黙っているということ、皆さんにも多いと思います。
他者に、私の言葉の一部を切り取られ間接的に伝わると、物凄く頑張っている患者さん達までも巻き込まれてしまい、誰かが物凄く傷ついてしまったり、状況を悪化させてしまう可能性があるというのはとても怖いです。(まあ、どれだけ皆で気をつけたところで、悪意を持って行動する人間は、何かしら仕出かしてくれるので、全てを完璧に防ぐなどできませんから、必ず問題は何かしら起きますけれどね……。残念ながら、それが、人の世です。)
そもそもにして、本当に症状に苦しんでいる方に、『頑張れ!』 なんて言う気はないんです……。苦しんでいる方を頑張らせるのは、むしろ問題です……。
それから、病状が、かなり軽度であったとしても、子育てを頑張っているお母さん達は、充分大変ですし、それ以外にも、人は、様々な要素を抱えながら生活していますから、病気の重症度だけで大変さを計ることはできないと思うんですよね……。複数の病気を抱えている患者さんは、一つ一つの病気の症状が軽かったとしても、他の患者さんより大変な状況になってしまうケースが多いと思いますし、そうかと言って、じゃあ、一つの病気しか抱えていない患者さんが、複数病気を抱えている患者さんより楽なのか? と問われれば、必ずしもそうなるとは限らず、これもまた、一概には言えなくて、その他の様々な生活状況や家族の思想や金銭の問題等キリがないぐらい沢山の要素が複雑に絡み合ってくるので、人と人の困難さの量なんて、どちらのほうが大変なのかなんて全く比較しようがなくて、なんとも言いようがないことが多いと思うんですよ……。例えば、私の場合、お金が足りなくて一日一食しか食べれていませんが、こうなると、病気以外の別の問題が身体に生じてしまいますし、お金がないと手間を省略できなくて労働的に負担がかかり、動かない身体を引きずって動くことになるので大変になることが多いんですよね……。つまり、結局、病人、皆大変であることに変わりはないと思うんです…… (;へ:)
にも関わらず、人は、愚かにも、一つの条件だけで、人と人とを比べて、『あの人は恵まれている。』 だとか、『あのひとは、不幸……。』 だとか言ったります。同じようでいて、一人一人抱えている状況があまりにも違うので、比較しようがないはずんですよね、本来は……。
人と人とを比較する意識が、人と人の間で、争いや下らない問題を引き起こすことが多いと思うんですよ……。
まあ、こういった考えを持っているので、私自身が比較的重症だからと言って、症状が軽い患者さんを軽視しているわけではないのです。ですから、『この人、病気を理由にして、それを盾にして、怠けているな~。この方、病状が軽いから、もう少し頑張れるはずなんだけれど、不誠実だな~。』 といった台詞を言うからには、前後関係で必ず何かしらの理由があるのですが、仮に、理由があったところで、大衆を前に、そんなものは、ほとんど通用しません。前後関係は考慮されず、部分的に言葉を切り取られて、私が軽度患者さんの症状を軽視して今よりもっと頑張るべきだと思っていると判断されてしまう可能性があるのです。
そうなると、一部の軽度の患者さんは、傷ついたり、他者から私の言葉を悪用されて暴言を吐かれてしまう結果になってしまうでしょう……。
まあ、実際、不誠実で文句言われて当然の方は、他者から何か言われたとしても自業自得なので、そんなことはどうでもいいのですが、問題は、誠実で頑張っている患者さんまで、巻き込まれる可能性があるというところです。
でも、たぶん、すでに私の発言の一部が切り取られて話が変形しているものって沢山あるって思っていますけれどね……。あと、相手の方の解釈の仕方で話は変形してしまいますから、様々な言葉の意図は正確に伝わっていないと覚悟しています……。
私は、友人達のことは信用しているので、本音が言えるのですが、友人達の前以外では、本音は言えていません。やはり、大衆の前にした時には、ニュアンスに変化が起こってしまうことが多いですね……。本当は、本音が言えたほうが、自分としては気分がスッキリするので楽なのですが、先々の影響を考えると、責任上、言えないことのほうが多いんです。(『責任』 という言葉の表現は正しくなくて、ただの私の『願望』 ですね……。誰かが傷付くのは望んでいませんから……)
まあ、でも、これからは、なるべく本音を言おうと思っていますけれどね……。って言うか、ここ何年か、いずれ本音は書く予定で、伏せていただけなんですよね……。
ですから、私の記事に関しては、部分的な言葉の切り取りは禁止しますし、仮に、切り取らなくてはいけないことがあった場合には、私の記事へのリンクを貼ったうえで、言葉を引用してください……。リンクを貼らない引用は禁止いたします (⌒-⌒)

様々な理由があって、賛同を求める行為って、実は、難しいと思うんですよね……。絶対駄目と言う気はないんですけれど、やっぱり難しいと思うんですよ……(-。-;)
世の中、善意があれば、誰かを救うことができるというほど単純なものではないと思うんですよね……。

動物虐待の問題に限らず、他の分野でもそうですが、人が善意で何かを行う時、
(私も含めて、人間皆そうですが……)人は、誰しも、必ずどこかで失敗する可能性があるので、『これは、善意だから、自分のやっていることは、絶対正しい。』 と、必要以上の自信は持たないほうが良いと思うんです……。あくまで、自分の行為は自己満足であることを自覚をして、失敗した時には、必ず、反省する心の準備と何かの覚悟をしてから、その後で、善意有る行動をするべきなんだと思うんですよ……。自分の行動は正しいと思っていると、時に、その行為が迷惑じみたものになってしまっていても、修正起動ができなくなりますし、偽善のようなものになってしまうことだってありますからね……(-。-;)
私は、若い頃からよく言っていました。『もし、私が正義を語るのなら、自分自身の行動を正義だと思わないことが、私の正義だ……。』 と…… (⌒-⌒)
『これは、絶対正しい行い。』 なんて言えるものは存在しないので、もうね、正義を語りはじめてしまったら、ただただ胡散臭いだけなんですよ……。下手したら、かなりキモいだけですし、かなり迷惑なだけですからね……(-。-;) (⌒-⌒)
自分は、きっとどこかで何かを間違えている! と疑いながら行う善意のほうが、まだ、誠実に近いものになると思うんですよね……(⌒-⌒)

何故、一部の盲導犬わんちゃんは、救われないのでしょうか?

加えたいと願う貸与条件の中に、『貸与後も管理使用状況を定期的に周囲の人などから聞き取りをする』 といったものもあるのですが、本当の悪人は、悪人である証拠を周りの人間に見せない人が多いのです。なかには悪人だと分かりやすい馬鹿も一部いますが、意外と、通常、悪人と言うものは、本当に良い人よりも良い人に見える分厚い仮面を被っていることが多いんですよね……。ですから、周囲の人々に聞き取り調査を行っても事実が判明することは、極稀でしょう……。

沢山の猫ちゃん達を残酷な方法で虐殺した大矢誠さんに関して、『仕事柄というか良識のある感じの方だった。話を聞いてビックリしました。』 と言った感想を抱いた方がいるようですが、そういったことが、下の動画のなかに出てきます……。まあ、そうですね……。悪人は、基本的に、普通に良識のある人に見える人が多いでしょうね……。(汗)

意外と、悪い子に見える子のほうが、正常な場合もあります。

先程説明した理由の理由・何故なのか?

まあ、本当に良い人って、わざわざ[私って良い人アピール]をしませんし、基本、人を騙す気もありませんから、仮面を被っていない人が多いんですが、悪い人って、計算高く自己中心的な考えから、自分自身が他者より優位な立場に立てるように、もしくは、自分自身が得するように、等その他、様々なことを考えて、[私って良い人アピール]をして、良い人の仮面を被っていることが多いので、良い人より悪い人のほうが、物凄く良い人に見える場合もあるんですよね……。まあ、自分をアピールするために演出に多大な手間をかけた分、そこが、やたら強調されてしまいますからね……。悪い人は、計算高いので、[どうしたら自分が他者より優位に立てるのか、どうしたら得をするのか] そんなことばかり常に考えていますから、そういった分野に、やたら練度を積んでしまっていて、熟練していることが多く、普通の人より、下らない処世術だけは長けてしまっていたりすることがあるんですよね……。本当に下らないですよね……(-。-;) その逆に、本当に性格の良い人って、損得でものを考えていないので、わざわざ必要以上に「私って良い人アピール]をしない人が多く、そういった演出や駆け引きを頻繁に行ったりしないので、演出や駆け引きといった類には然程練度を積んでいなくて、結果、彼等以上に他の人のほうが目立ってしまい、彼等の善意や努力の真実は、目立たずに何かに埋もれて、かき消されてしまうケースが多く、彼等って、実は、物凄く損をしている場合があるんですよね……。(必ずしも、そうなるとは言っていませんが……)
それ以上に、全体のバランスを取るために水面下で微調整に追われていたり、悪い人に手柄を横取りされたり等、その他、様々なことが起こってしまったりすることがありますから、その人間にかかる心理的負担もでかくて、ニコニコ笑っていられる余裕がないので、けわしさから、周囲の人間に人格を誤解されてしまうことだってあるでしょう……。それから、優しい人のほうが色々気付いてしまうわけですが、何も気付かずに周囲の人間の意見に同調していられる人間のほうが、波風が立たず穏やかで優しい人に見えてしまうことだってあるでしょう……。ですから、結果的に、真実とは真逆の印象を持たれてしまうことだってあるんですよね……。それから、真剣に生きている人ほど、他の人以上に、この腐った社会に対して失望やら何やら様々なものを強く感じてしまうことがあるので、屈折した時には、反動で、ものすごく悪たれた態度を取ってしまうことだってあるでしょう……。10代ぐらいの若いうちはとくにね……。(まあ、年取ってからも、悪たれた態度取っていたら、それはそれで、問題がある場合もあるわけなんですが……(-。-;)
実際、本当の真実ほど、世の表には出て来ないことが多いんですよね……(-。-;)(ことが多いって言っているだけで、絶対そうなるとは言っていませんが……)性格の良い人が得をするのではなく、要領の良い人間ばかりが得をする、人の世とは、そんな切ないところでもあったりします。(私の祖父は、あちこちに土地を持っていたぐらい、正真正銘、社会的に成功者でしたが、それと同時に、とてもとても誠実な方でした。私は、祖父のことを尊敬しています。誠実な人間が、この世で勝ち残っていった実例だって多数見てきましたから、性格が悪いが故に要領の良い人間だけが、この世で勝ち残っていくと思っているわけではありません……。ただ、この話は、社会で成功できるかどうかの話はしておらず、全く別の分野の話をしていますから、ご理解ください……(⌒-⌒))
表に現れていることと裏の真実が違うのは、ちゃんと注意深く観察して、しっかり考えれば、どこかに矛盾点があるので、多少気付くはずなんですが、そこまで、ちゃんと考えることができる方は、極僅かですからね……。たいがいの人は、聞いた言葉を、すぐ真に受けてしまうことが多いんですよね……(-。-;)
とは言え、[この人は、裏で何を考えているのか分からない腹黒い問題のある人物だ] ってことが、直感的に漠然と分かるだけで、充分、観察眼は優れているので、対象の人物が具体的に何を考えているのかまで把握することを、周囲の人々に期待するのは、語るまでもなく無茶振りになってしまいます……。そんなことを期待したら、「妖怪 さとり」 になれ! とオカルト的で物凄く非現実的なことを言っているのと、なんら変わりはありませんからね……(-。-;) ですから、周囲の人への聞き取り調査って、物凄く物凄く難しいと思うんですよ……(;へ:)

そういったことは一般的に多くて、そういったことに関する実例なんて、キリがないぐらい沢山ありますが、沢山例を挙げると話が長くなってしまいますから、その中から極一部分を摘むようにして、2つの例を挙げてみることにしますね……。

1つ目の例です。

私の祖母や伯父は、私の母や私を虐待した残酷な人でしたが、世間体を気にする外面が良い人だったので、世間での評判は、『良き母』『良き妻』『良い人』『お人好しで真面目な人』 だったんです。約一名を除いて、皆さん、全く気づいていませんでした。
まあ、『なにかおかしい。』 と気付いていても、違和感があるというだけで、具体的な説明ができないので、どう指摘して良いのか分からず、言葉に発することができなかったって方も、かなりいたとは思いますけれどね……。
私の祖母や伯父も二人共亡くなりましたが、二人は、物凄く酷い人達でした……。同じように虐待を受けたことがある方から、『自分も虐待を受けて育ったが、ananさんが経験したことは、自分が経験したものより遥かに酷くて壮絶だな。』 って言われてしまったことがあるぐらい物凄い酷いことをやらかしてくれる人達だったんです。ですが、それでも、周囲の人間は、全く気づかなかったんですよね……(⌒-⌒)

まあ、被害者である我々が、SOSの声を上げなかったから周りの人達が気づかなかったというところも大きいのでしょうが、SOSの声を上げると逆恨みされて、もっと酷い目に遭いますから、SOSの声を上げて、苦しみを周囲の人々に叫び訴えるよりも、行き先を伝えずに遠くへ引っ越すなどして逃げたほうが、より無難なんですよね……。何かを分からせようとしたところで、分かってくれるなんて期待は絶対できませんから、全く関わらないことのほうが大事なんです……。酷いことをされたことによって、泣いたり怒ったりしたら、よけいに酷い目に合うと言うことが、分かっていましたから、こっちも、あれ以上に、もっと酷い目になんて遭いたくありませんでしたから、声を殺してリアクションなんてしませんでした。声を上げるって、そんな簡単なことではないんですよね……(汗)(-。-;)

しばらく、盲導犬虐待の話から話題を反らして、
人間で虐待を受けている子の話を例に挙げていきながら、当事者以外の人には本当のことが伝わり辛いという現象の実例を話させていただきますね……(-。-;)
最終的に盲導犬の話に戻しますので、申し訳ありませんが、ご了承ください <(_ _)>

ただ、そういった話をする前に先に、ある説明をさせていただきます。
私は、今、虐待のことで苦しんではいません。今から話すことは、私にとって、あくまで、解決した問題にしか過ぎないので、心配をせずに気を楽にして読んでくださいね (⌒-⌒) 失敗と葛藤と挫折を繰り返しながら、時間をかけて自分を見つめることで、今は、心理的に解決しているので、虐待のことに関しては、全く悩んでいないのです。ですから、読者の皆様方が暗くならずに読んでいただけたら嬉しく思います。申し訳ありませんが……(⌒-⌒) <(_ _)>。
まあ、虐待以外の他の分野では、凄く苦しみを抱えているわけですが……(汗)(-。-;)

それでは、一応、お話、始めますね……。

多くの人々が抱いている、虐待を受けている子達のイメージって、現実の真実とはズレていることが、かなり多いんですよね!
虐待を受けている子の殆どは、泣き叫んでSOSの声なんて上げません。全ての子がそうだとは言いませんが、大半、元来、それが普通ですよ……。あと、我々被害者は、自分を虐待した加害者である人間達と笑って会話ができてしまうぐらい、ある意味、迫害されることに慣れてしまっているようなところがあります。

普段、加害者と笑って会話をしていますから、『虐待を受けた。』 なんて言っても、他者から信じてもらえないことは、分かっていますから、初めから他者に事情を説明したりなんてしません。
私のもと夫も、私が、日常的に、私のことを虐待した親族達と仲良く会話をしていたので、虐待の事実を初めは信じていませんでした (⌒-⌒)
ですが、虐待受けている子って、実は、大半が、私みたいに加害者と笑って会話している子が多いので、べつに珍しい話ではないんですよね……(-。-;)
まあ、おかしな話だと思うかもしれませんが、理由は、こういうことなんです (⌒-⌒)
怒ったり泣いたりしたら、よけい迫害に遭うので、状況が悪化しますから、苦しみを抱えながらも、悲痛を抱えながらも、無表情を貫いたり、何事もなかったかのような笑顔を定着させたりして、その環境に適応するなり順応するなりするしかないんですよね……。どんなに酷い現実であれ、子供のうちは、自分で自分の環境を選んで生きることはできないわけですから、その環境に順応しなければ、そこでは生き残れないんですよ……。大人になってから迫害を受けたのではなく、生まれた時から、そういった環境だったのですから、その環境に対する適応の度合いは、他者が想像するものとは違って当たり前なんですよね……。
虐待とは関係がない話になってしまいますが、例えばの話をすると、子供の頃から日本で暮らしている外国人さんは、滞在期間が短くても日本語の発音になまりが生じないですよね……。それが、大人になってから日本に来て日本で暮らしている方の場合、何十年と長年日本で暮らしていても、日本語の発音になまりが生じてしまうじゃないですか?……。滞在期間の長さと発音の正確さは、実は、比例しないんですよね……。つまり、子供の時(脳の成長期)に経験するのと、大人になってから経験するのとでは、その個人のなかに違う感覚が形成されてしまうのは明らかな事実なんだと思うんですよね……。ですから、生まれた時から虐待を受けている虐待の当事者のことを、当事者ではない方が、想像をしたところで、結果的に真実を言い当てることは難しいと思うんですよね……(-。-;)
また、こんな例があります。
海外で戦争があって、日本のテレビ局が現地の状況を撮影していました。少し距離が離れたところに爆弾が落ち、日本のテレビ局のスタッフ達は、次から次ヘと落ちてくる爆弾の大音量に驚いて肩をビックと振るわせてゾワゾワしていました。ですが、そこにいた現地の子供達は、まったく驚きもせずに爆弾が落ちた方向を振り返ることすらしなかったんです。まったく変わりがなく平常運行を保っていました。つまり、『どうせ、いつものことだ。』 という慣れが生じてしまっているのでしょう……。こういった現地の子供達の様子を目撃する度に、日本のテレビ局のスタッフ達は、大層驚いておりましたが、これと全く同じではないにしても、こういった現象に類似する現象は、虐待を受けている子供達にも多く見られる現象なんだと思うんです。私は、これを「感情の麻痺」と読んでいます……。感情の麻痺が起こると様々な問題が生じてしまうので、けっして良いことではなく、悲しいことではあるのですが、こういった現象は、珍しいことではなく、ごく普通に起こることだと思うんですよね……。
実例を挙げましょう。
私の息子が、私が病気であることが理由で、施設に入所したのですが、やはり、その施設には、親からの虐待が原因で保護され入所している子達もいます。私の息子が、その子達を見て大層驚いておりました。『虐待を受けた子って、親に怯えてビクビクしているのかと思っていたら、普通に笑って親と会話しているから、最初、「嘘だろ!」って思って驚いた。世界が違う人間だと思った。』 って……。それを聞いて、私自身、苦笑してしまいましたね……。私自身も、子供時代、虐待加害者と常に笑って会話をしていた記憶があるからです……。[あ~、なるほどな~、私には普通のことでも、この子にとっては不思議な世界なんだな~。] って思いましたね……。そんな風に語る息子の母である私こそが、まさしく、自分を虐待した人間達と笑って会話ができてしまった人間の一人だったんですが、私は、自分の子供に、私の子供時代の虐待の話を聞かせたくなかったので、自分の子供には必要最低限のことしか語ったことがなく、そのせいで、彼は何も知らずに生きてきたんですよね……。ですから、彼は、最近、虐待をされた子達の様子というか真実を見て、世界観が違うと驚いてしまったようなんです……。そういう状態だったんですよね……。
ですから、人の笑顔なんて当にはなりませんよ……。「感情の麻痺」 がありながらも、やはり、当事者にしか分からないってぐらい心理的に追い詰められてしまっていることも事実で、物凄く苦しくて悲しいことに変わりはなくても、それでも、各々何かの感情を内包させながら笑っていることだってあるんですから・・・。笑っているからと言って、苦しくないわけでも、悲しくないわけでもないんですよ……。まあ、笑っていると他者から事実を軽視されがちなんですけれど、そうかと言って、これはもうどうしようもありません・・・。当事者の現実は、当事者にしか分からないものなんですよね……。ですから、あまり、他者が勝手に判断しない方が良いとは思います……(⌒-⌒)
(自分の感情に麻痺を起こして鈍感になると、他者の感情に対しても鈍感になってしまうので、感情の麻痺が起こるのは問題であり、私は、ティーンエイジの頃から、感情の麻痺が起こらないように自分のなかで闘い続けてきました。自分を大事にすることは何より大事なことです。「動揺を引き起こさない強さ」と「自分の感情の感じ方が鈍くなり麻痺する」、これらは似ていて、まったく性質の違う感情状態なんですよね……。人間は、自分の感情に鈍感になってしまっては、物凄く不味いんですよ……。崩壊の道を辿ることになりますから……。自分を大事にできない、これは、強さとは全く別の問題なんですよね……。強さではないのです……。怒りだって悲しみだって本当は大事な大事な感情なんだと思うんですよ……)
まあ、何も言わない子のほうが、危険な現実を抱えていると判断したほうが良いかもしれないですね……。たぶん、酷い虐待を受けている子のほうが、大人に対して、自分の被害を訴えるようなことはしません……。何も言わない子のほうが、逆に要注意なんですよ……。
先程も言ったように、笑っているからと言って、何も問題がないとは限りませんしね……。かえって、物凄い怖い場合もあります。
子供の側が、怒って怒鳴り声を上げたり泣き声を上げたりして、親に牙をむくタイプは、意外にも、それほど内情が深刻ではない場合もあるので、虐待の恐れを感じて通報といった形で、児童相談所に連絡する場合には、冤罪の可能性を気つけてあげてくださいね……。やはり、通報された側は、物凄く傷つきますから……。(まあ、相手の大人が、それほど危険ではないことが分かっているからこそ、子供の側が、泣いたり怒ったりできる場合があるんですよ……。相手が本当に危険な人物だった場合、子供の側は、身を潜めて息を殺してしまい、牙をむくことなんてできませんからね……。まあ、ただ、そういう可能性があると言っているだけで、全てがそうだと言っているわけではありませんけれど……。(汗))ただの親子喧嘩で、親子間で向き合って頑張れば解決できた問題にまで他人が入ったことで、かき回されてしまい、親子関係が崩壊して修復不可能になってしまうことだってありますから……。そういうケースを実際に私の目で見たことがありますし……。ですから、出来る限り気をつけてあげてくださいね……。

当事者以外の人には本当のことが伝わり辛いという話の実例は、ここで終わります。話を元の話に戻させていただきますね……。

2つ目の例です。

私のもと旦那さんは、性犯罪前科2犯の前科持ちで、けっして良い人ではないのですが、外面が良く、周囲の人達の前では、妻に理解のある優しい旦那だよアピールが凄かったので、周囲の人達からは凄い良い人だと思われていました。
ところが、家のなかでは、ほんと異常なぐらい何もかも無関心な人でしたね……。(笑)
他人からの評価は、『凄く良い旦那さんだね~。』 って、やたらと評価が良かったので、人の評価というものは、たいがい真実からは、かけ離れていると、そう認識しておいたほうが良いと思いますよ……(-。-;)

悪人の実態なんて、一般人が想像するほど、単純なものではないはずなんですよね……。

結局のところ、周囲の人などから聞き取り調査が行われることを視覚障害者の方々が知っていた場合、周囲の人に盲導犬の虐待をしているとバレないように事前に対策されてしまう可能性があるので、盲導犬の貸与条件を厳しくしても意味が無いケースだってあるでしょう……(-。-;)

何故、プライバシーの侵害が発生する可能性があるのか? その理由

周囲の人々に聞き取り調査が行われることを、視覚障害者の方々が知っていたら、事前に対策されてしまい、事実が判明し辛くなってしまうので、意味は無いのですが、そうかと言って、内緒で無断で聞き取り調査を行うのも、プライバシーの侵害になる可能性だってあります。
まあ、事前に告知してあったとしても、周囲の人々に聞き取り調査を行うこと自体、プライバシーの侵害になるような気がしますけれどね……。ですから、周囲の人々から聞き取り調査を行うといった形で貸与条件を厳しくすることは、多少なりとも難しさを感じてしまうんですよね……(-。-;)
先程、虐待を受けている子を例に挙げて、当事者と当事者以外の方々との間には感情と認識の温度差があることを説明させていただきましたが、虐待に関することだけではなく、どんな分野であれ、当事者と当事者以外の方々との間には、お互いに感情と認識の温度差が有るのは、当たり前なんじゃないかと思うんですよね……。やはり、当事者でなくては、分からないことが沢山あるはずなんですよ……(x_x;)
当事者ではない方々から前後関係を誤解されやすい状況になることも当たり前で、疲れているからこそイライラしたりダラダラとした情けない状態になってしまう時があることも当たり前で、障害があって健常者と同じような生活スタイルは実行できず違いが多数あることも当たり前で、そういった様々な状況の違いを、視覚障害者(当事者)以外の方々から理解してもらえることばかりではなく、分かってもらえないことも多いなかで、
[自分の日常生活を多くの人に意識されたくない、ジロジロ見られたくない、自分の生活を意識されるだけでプライバシーの侵害だよ] という気持ちになってしまっている視覚障害者の方々の場合、
周囲の人々への聞き取り調査付きといった貸与条件を付加されることによって、
盲導犬を虐待する気なんて全く無く、疚しい感情を抱えておられなかったとしても、盲導犬と共に暮らすことを諦めてしまう方もいるのかもしれません……。(分かりませんが……)
こういった個人の精神的な面にも配慮が必要なので、こういった貸与条件には、かなり難しさを感じたりもしてしまうんですよね……(x_x;) まあ、視覚障害者の方々に対して、度を越した意味不明な世話を焼き始める人が増えても困りますしね……(まあ、増えるでしょうね……そういう馬鹿は必ずいますから……(-。-;))

視覚障害者の方々だって、絶対、当事者と当事者以外の方との間に認識の温度差は生じているはずだと思い、色々Tweetを探してみたのですが、そうしたところ、下に埋め込ませていただいた数々のTweetを見つけました。やはり、当然、温度差はありますよね……。
では、下のTweetを読んでみてください……(⌒-⌒)

2017/12/02 と 2017/12/03に、ここから下のTweetを追加させていただきました。それと同時にTweetの下に多少補足も書かせていただきました。各Tweetの投稿日を見ていただければ分かりますが、私がこの記事を投稿した日には、下のTweetの存在はなかったので、遅れながら、ここに追加させていただくことになったのです。

国内で盲導犬を育成する団体は数多くあり、訓練方法や盲導犬に対する考え方は、各協会ごとで違います。紐を強く引く「チョーク」 という行為を禁止する団体もあります。

この上で紹介させていただいたTweetに書いてある内容を全て把握されていた方は、どれほどおられるでしょうか? ( ̄ー ̄?) 意外と分かっていなかったというのが、大半の方の現実だと思うんですよね……。私も分かっていなかったことが一部ありました。(汗)やはり、当事者のことは当事者にしか分かりません。下のTweetに書いて有ること以外にも、まだまだ分かっていなくて誤解していることが多数あると思うんですよね……。キリがないぐらい沢山有るんだと思うんです (x_x;)
そんな現実のなかで、無闇に聞き取り調査と言ったものを行ったら、どうなるでしょうか? 勝手な憶測が飛び交ったり、虐待とは全く関係がない何てことはない日常生活の細々とした違和感までも話が飛び出して、視覚障害者の方々の個人的領域は、他者に踏み荒らされそうな気がします……。人の口に戸は立てられませんから……。それも、かなり心配なことの一つなんですよね…… (-。-;)

こういった温度差という問題に対する対策を、事前に多数しておく必要性があると思いますし、なおかつ、記事の最初のほうでも言ったように、視覚障害者の方々を一括りにして語ってしまうお馬鹿さんが、多数出ないように、事前に、盲導犬を大事にしている良い例だって多数挙げておく必要性があるんだと思うんです……。

You Tube を調べても、なかなか、大事にされている盲導犬を撮影した動画なんて、見つけ出すのは難しいんですよね……。何故なら、視覚障害者自身が、いかに自分が普段盲導犬を大事にして生活しているのかについて発表するために、自分の行動を撮影して投稿するなんてことは、まずしないからです……。そんなことを、わざわざする方がいたら、逆に気持ちが悪いですよね……。少し頭がおかしいです。ですから、たいがいは、何か他の話題のついでに、視覚障害者の方々の行動が付随して写し出される程度のものでしょう……。そもそもにして、目に障害があるわけですから、彼等は、自分で自分の生活を撮影することは難しいですし、あとで動画を視聴することもできないわけですから、思い出のために記念に何かを撮影しておくなんてことは、通常ほとんどしないわけです……。ですから、盲導犬の動画となると、たいがいテーマは、盲導犬がいかに素晴らしい行動を取ったのか! といった感動的な話題が中心で、そんな感じの動画で、You Tubeは、埋め尽くされてしまっているでしょう……。もちろん、他のテーマの動画もあることはあるわけですが、それでも、お目当てのテーマの動画を探し出すのは、かなり面倒くさい状況にはなりますね……。
ですから、賛同を集めているキャンペーン主催者が、キャンペーンの活動によって、視覚障害者の方々に何らかの弊害が出てしまわないように、責任を持って、そういった動画を作って、活動中でそういった動画も流して、そのうえで、キャンペーンを行ったら良いとは思いますけれどね……。もちろん、ただの案なので、他にも方法はあるとは思いますけれど……<(_ _)>
(まあ、『絶対やれ!』 って言っているわけではないのですけれど……<(_ _)><(_ _)>)

そんな感じなのです (⌒-⌒)

最後に

私自身、あのキャンペーンに関して、気分がスッキリしてはいませんが、問題点を言い始めたらキリがないですし、今のところ他に良い方法が思いついたわけでもないので、ある程度妥協をして賛同ということで私の氏名を書いて送らせていただきました……。
ただ、何かを妥協して飲み込んで、氏名を書いたことが、本当に正しい判断だったかどうかは、自分でもよく分からないのです……(-。-;)
ですが、完璧を追求して対策の案を熟考しすぎると対応が遅れて、状況が悪化することがあるってことを、昔、完璧主義者だった私は、よく知っていますからね……。ですから、今回は、一時しのぎ、とりあえずってことで、賛同という形を取り私の氏名を書かせていただきました……(-。-;)

まあ、でも、先程も言ったように先に色々対策は必要だと思いますけれどもね……。

《余談》 先程、昔、完璧を追求して対策の案を熟考しすぎて対応が遅れたとは言いましたが、ここ10年間ぐらいは、持病のボケ症状のせいで判断能力と頭の回転が悪くなっているので、全く違う意味で、対応が遅れますけれどね……。まあ、頭が多少今より働いていた時代には、完璧主義のせいで対応が遅れたと言ったところで、グチャグチャな状況にはならなかったんですけれど、今は、グチャグチャな状況で、自分でも自分の判断能力の低能さが信じられなくて、うんざりしてしまいます……(;へ:)
ですから、ここ最近の私の判断力は、全く当にはなりませんけれどね……(-。-;)

どちらにせよ、『こうあるべき……』 なんて話は、ただの理想論で、理想論を言ったところで机上の空論になってしまいますから、現実を見るべきですよね……。よく、『(一律に一括りで判断してはいけない等その他様々なことを……)説明したのに、何も理解してくれない。どうして? 心無い人ばかり……。』 なんてことを言う方がいますが、私は、それに対して、よく、こう言ってきました。『何も理解してくれない人が多数現れることは、世の常なので、今更過ぎるから、理解してくれない人に掻き回されることも初めから考慮に入れて計算して動かないと、計画倒れになる。最初から言うことを聞いてくれるなんて思わないほうが良い。他人に何かを期待するだけ無駄だから、理解してくれるなんて初めから期待しないで、上手く行かないことは当たり前だと覚悟してから、計画を練り、動いたほうが良い……(⌒-⌒)』 と……(⌒-⌒)
もし、何かの改善を図りたいのであれば、そういったところも考慮に入れて動いたほうが良いとは思うんですよね……(⌒-⌒)

多種多様な人が大勢絡み合いながら生きているので、よりましな正解案を導き出すのは、かなり難しいですが、なんとか良い方向に行くと良いですね……。

それでは、この辺で、失礼させていただきます <(_ _)> 長々とお付き合いくださり有難うございました。

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